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『マッドサイエンティストの手帳』369

●マッドサイエンティスト日記(2006年3月後半)


主な事件
 ・播州龍野の日常(15日〜)
 ・穴蔵の日々(24日〜)
 ・末廣さんと秋満さんは元気です会?(26日)
 ・A.P.J.ライブ(31日)



3月16日(木) 播州龍野の日常
 朝8時に降り始めた雨が、9時には本格的な降雨となり、午後風雨強まる。
 早朝のゴミ出し以外、外出することなし。
 書斎の窓からボケーっと外を見て過ごす。
 雨でも意外に小鳥が飛んでくるものだ、とか。
 老母がなぜか中断していた歌作を再開。
 昨夜が満月であったわけでもないが「月」を詠み、詠進歌に応募したいらしい。
 悪くはないと思うが、「死」をテーマにしていて、歌会始にはふさわしくないのではと意見する。が、米寿ともなると、何を詠んでも死の影はつきまとうわけで、入選狙いであざとい歌を作るよりはいいわけだし……感想を述べるのに迷うところだ。
 ついでに……。
 午後、老母が、知人から送ってもらった本を読んでいて、「これはおかしい」といい出す。
 見れば「……岳母○○が……」と書いてある。
 「岳父はあるけど……義母のことをこう書いてはる。長年お医者さんやった立派な人やのに」
 衰えとらんなあ。入院中でも病院内の貼り紙の表記(ら抜きとか謙譲語の間違いなど)にいちいち文句をいっていたからなあ。
 「岳母は確かにおかしい。そんならどう表記するねん。岳父の対義語はないんかいな」とおれ。
 「……ないなあ。女の表記は少ないんやろ」
 「刀自の対義語はないやろ」
 「媼か……あ、媼には翁か」
 「刀自って呼ばれたいか」
 「子供からはお母さん、孫からはおばあちゃんでええ」
 ま、言葉にうるさいのはボケてない証拠であろう。

 ※岳父の対義語は「丈母」であることを教えていただいた。

3月17日(金)
午前3時に目が覚める。
 早寝したのだから、いたしかたなし。
 室温10℃を切っているが、足温マットと電気ストーブがあれば机に向かえるのがありがたい。
 朝、タイムマシン格納庫でマシンの積載作業。
 相棒の某くんが陸送。
 おれは終日タイムマシン格納庫で見張り番を務める。

3月18日(土) 播州龍野の日常/サラリーマン逆鉾くん
 細雨烟のごとし。終日書斎の窓から外を眺めてボケーっとすごす。
 雨にもめげず、意外に小鳥がよく来るのであった。
 濡れた庭石にうまそうな鳥。※
 
 しばらくヤキトリを食べてないなあ。
 梅田の「てころ」が閉店してから、馴染みの店がなくなってしまった。阿佐ヶ谷の「鳥正」は年1、2度しか行けないし。
 喜多哲士さんの日記を見て、えっ?!と思う。
 幕下に「福薗」という取的がいるらしい。
 そこで「井筒部屋」を検索してみたら、なんと今の井筒親方は元関脇の逆鉾ではないか。
 福薗好昭くん、親方になっていたのか!
 などとなれなれしい書き方をするのは、おれはボンクラ・サラリーマン時代、元関脇・逆鉾と同じ職場に机を並べて(正確には背中合わせで)仕事をしていたことがあるからである。
 12、3年前、引退間もない頃だろう。新規事業として作られた子会社に社員として「入社」してきたのである。
 ……ボンクラ重役のひとりが当時の井筒親方と親しく、社会経験がないからしばらく面倒見てくれと頼まれたというところだろう。
 これは別に秘密でもなんでもない。当時、夕刊フジのトップ記事になったほどだ。
 社員5人ほどでスタートした会社、おれのいた部署とフロアが同じで、おれと背中合わせの位置になった。
 振り向けば1メートルに元関脇の福薗くんがいたのである。
 その「仕事ぶり」についてはコメントは控えさせていただく。
 弟の寺尾ほど能弁ではなく、おとなしい方だった。ただ、現役時代のおもろい話は少し聞かせてもらった。
 1年ほどして東京に戻り、両国にチャンコ屋を開店したはずだが……。
 井筒部屋もゴタゴタしたようだが、親方になったいたのか。
 福薗くん、健闘を祈る。
 幕下の福薗も応援するぞ。

 ※この鳥は両足を揃えてぴょんぴょんと移動する特徴からツグミと教えていただいた。

3月19日(日) 播州龍野の日常
 狂風世界。自転車では怖い。
 空間移動装置を導入しなければならず、その準備作業など色々。
 夜、NHKスペシャルで「復興への行進」を見る。
 ニューオリンズでマルディグラにマーチングバンドとして出場する黒人高校生を追ったドキュメンタリー。
 どこまでが演出か……などと邪推はすまい。素直にホロリとさせられる。
 大阪でも4月の「ニューオリンズ・ジャズ・カーニバル」、5月の「ビッグリバー・ジャズ・フェスティバル」とつづくから、N.O.復興支援は続けるよ。

3月20日(月)播州龍野の日常
 世間は「休日の谷間」である。
 相棒の某くん、遙か西の方向にタイムマシン修理に出かけたので、本日はおれが終日タイムマシン格納庫の見張り番。
 電話もほとんどなく、静かなものである。
 昼間、筑波昭『津山三十人殺し』(新潮文庫)を読む。傑作である。いやはや……。何が凄いったって、30人の「殺戮」よりも○○人にかけた「夜這い」の実態の方が凄まじい。「娯楽のない時代」かくあるべしや。
 タイムマシン格納庫のネキを姫新線が通っている。
 昔は「姫津線」……終点は津山であった。
 ジーゼル車に飛び乗れば津山か。行ってみたくなるなあ。いっそ這って行くか。
 夜。
 老母が20時に寝たので、2階のリスニング・ルームに這い上がって、ワイン飲みつつLP。
 「コンサート・イン・ニュージャズ」……泣けてくるなあ。
 この編成の山下トリオ、おれは20代半ばで聴いていたのだが、今聴いてもやっぱり興奮するものなあ。

3月21日(火) 播州龍野の日常
 世間休日なれど製造業の工場は稼働している。
 昨日西の方向へ向かった相棒の某くん、結局泊まりがけになった。
 朝からタイムマシン格納庫で見張り番。
 大阪に一度戻らねばならぬのだが、諸般の事情で身動きがとれない。
 昼、思い出して、あわてて花など買って墓参り。
 墓地の「ご近所」に手入れの行き届かない一角あり。墓参忌避のおうちである。
 老母のいうのに、何年か前、墓参に行く途中、そのおうちの前を通りかかった。
 「いっしょに墓参りに行きませんか」と誘ったら、
 「あんなに苛められた姑のお参りなんかしません」とか。
 老母見解「気持ちはわかる。けど、先祖代々ということもあるからねえ……」
 おれは姑への憎しみが先祖代々への敬意よりも大きいというのは、ある意味凄いと思う。他の係累から嫁いできた立場としてはなおさら。この態度、おれは断固支持である。
 ただ、同じ墓に入れてくれるなとしっかり遺言しとかないと、永遠の地獄が待ち受けているぞ。
 「靖国問題」も同質ではないか。少なくとも、よその国からとやかくいわれることではない。
 タイムマシン格納庫は早めに閉店。
 近所を散歩。
 家の横に置かれた廃車、十数年で横の木が成長して、サンドイッチ構造になって久しい。
 
 風格が出てきたなあ。神林長平『魂の駆動体』の表紙にどうだろう。
 家屋・ワゴン・樹木、どの寿命がいちばん長いか、興味あるところ。
 確かなのは居住者の寿命が先にくることだろう。
 年に1、2度、不動産業者がウチを訪ねてくる。
 「あの家の持ち主さんはどこですか?」
 「中に住んではりまっせ」
 などと愚考するうちに夕方となる。
 夕刻のニュースはWBCの日本優勝ばかり。
 王率いるチームの優勝は慶賀に耐えない。ナベツネのおかげで日本の職業野球に興味を失ったおれでも、王には祝福したくなる。
 が、何よりも、アメリカの横暴が世界に通用しないことを思い知らせたことがいちばん大きい。殊勲甲はメキシコであろう。

3月22日(水) 播州龍野の日常
 休日明け。午前雑用、午後は予報通りに12時30分から降雨、書斎に籠もる。
 諸般の事情で、帰阪は明日になる。
 今夜は滝川さんと鍋島直昶さんのライブがミナミであるが、これも断念。
 田舎ストレスがピーク……ほとんど限界である。
 雑読メモ。
 喜志哲雄『喜劇の手法 笑いのしくみを探る』(集英社新書)
 これは古典的喜劇の解説書・入門書だが「喜劇についての本質的な考察」ではなく、「どんな手法を用いることにによって喜劇的効果を生みだしているか」「なるべく具体的に検討しよう」というもの。
 その手法……「変装」「一人二役」「嘘」「変身」「双生児」などから始まって「自縄自縛」「誤算」「機知合戦」「スラプスティック」「劇中劇」……「ハッピー・エンディング」まで23項目。
 題材は古典的戯曲がメインだが、そして個別の手法については知っていることもあるが、小説作法としても小説論としても、ヒントになることが多い。
 20年前にこれを読んでいたらなあ。もうわしゃ体力がないから「実践」はしんどいけど。
 かんべむさし氏が実例を作りながら試行錯誤の経過を(小説のみならず笑芸まで拡大して)書いたのが『笑い宇宙の旅芸人』だが、ハンディな手引き書としては、こちらの方がきわめて便利(あくまでも小説作法書として)。
 個別の作品紹介がもう少し「面白く」書かれていたら申し分ないのだが(学者らしく誠実に紹介してあるがマジメ過ぎ)、ここに小林信彦氏の「紹介芸」レベルを求めるのは贅沢に過ぎるか。

3月23日(木) 播州龍野→大阪
 老母を医院へ連れて行く。
 昨秋からの定期的通院だが、結果は「正常値」となる。
 特に禁欲的食生活を強いることなく「100を切った」。
 おれの酒量の方が心配である。老母を見習わねば。
 午後帰阪。
 久しぶりに穴蔵に戻る。
 本とCDの間に寝そべる。
 落ち着くなあ……。
 のたうち回りたい気分である。
 高見順『この神のへど』の一節を思い出すねえ。
 ビルマの戦場で、蛆だらけの便所で大便をした直後の光景。
 「……鮮やかな私の糞めがけてたちまち、蛆の大群が周囲から、わッと詰め寄せた」「もぐり込むや否や、こたえきれぬと、糞の中を転げ廻っているようなのもいた」
 前後数頁に及ぶ名描写である。
 「蛆になることが、私には必要なのだ」とつづく。
 高見先生、私も続きます。

3月24日(金) 穴蔵/市内ウロウロ
 大阪。
 専属料理人が不在につき、朝からゴミ出しや洗濯。
 9時前に出かける。
 事務処理関係、世間の給料日と重なって、銀行が混んでいる。
 特に三井住友のATMの列はどことも長い。りそなは無人ATMも多いが、どことも閑散としている。現金なものであるなあ。
 窓口関係は時間が読めないので午後に回して、いったん帰館。
 10時までに帰らねばならぬ。
 永田寿康の懲罰委員会中継を見るためである。
 今さらだが、やっと、あっさり「西澤孝」の名を公表。
 さあ、やっとご尊顔を拝せる可能性が出てきた。
 それにしても公明党の大口善徳ってのは何と尊大な。姓はそのまま名は正反対みたいな印象である。
 午後、ふたたび市内ウロウロ。慌ただしいことである。
 部品屋のあと、青空書房に寄って坂本さんとしばらく雑談。
 穴蔵に戻る。
 夕刻、梶尾真治さんに電話。久しぶりにしゃべる。
 カジシン、会社の事務所を「書斎」にしていて、これはおれの「穴蔵」と似た方式だが、事務所で完全にひとりというわけではないらしい。
 蔵書について聞く。4000冊を熊本図書館に寄贈というニュースは知っていたが、データベース化してくれ、優先的に利用できるから、「書庫を図書館に移して、使い勝手がよくなったようなもの」という。
 これは希有な例であろう。
 ぶらっと見物に行ってみたくなる。
 夜。
 炊事が煩わしく、梅田のヤキトリ屋へ行くのも面倒になり、近所のホカ弁屋ですき焼き弁当を買ってきてビール。日頃の食事パターンからは考えられぬ行動である。

3月25日(土) 穴蔵/新世界串カツ異変
 暖かくなったので、久しぶりに早朝グルメ。
 朝5時に天六の「十八番」へ。
 あとは終日穴蔵……のつもりでいたら、夕方に近い時刻に30年来のジャズ関係知人から連絡あり、大阪に来ているという。
 地理不案内というのでJR天王寺駅まで行く。
 天王寺周辺、喫茶とビールの共存店が意外にないことに気づく。飲めない人を連れて明治屋というわけにもいかず。
 駅付近一周、めったに来ない北側に落ち着いた店があった。
 と、しばらくして、有栖川有栖さんが数人で入ってきた。
 何かイベントがあったらしい。ちょっと挨拶。そうか、今は上町台の住人であったのだ。
 19時過ぎまで。
 あと、一杯飲んで帰宅のつもりで、ひとりで天王寺公園横を抜けて新世界へ。
 ずぼら屋の近く、「日本一の串カツ」という表示のおおきな店「横綱」に行列ができている。これ、比較的新しい店か新装開店だろ? 入ったことなし。
 そう人出は多くないのに、ここだけ行列。
 
 串カツ「新世界一」ならジャンジャン横丁の某店だろうにと、ジャンジャン横丁へ行くと、なんと串カツ3店舗にさらに長い行列が出来ている。
 おれが時々食べる「地下鉄寄りの某店」の列がいちばん長い。
 テレビの特集か何かがあったのか? 総じて若い連中である。
 賑やかなのはいいが、串カツに集中というのは困ったものだ。
 並んでまで食べる(また後ろに並ばれて食べる)ものではないのだが。
 おれは「やまと屋2号店」で、若竹煮と寄せ鍋でビール。
 静かに飲み静かに帰る。

3月26日(日) 穴蔵/「末廣さんと秋満さんは元気です会?」
 終日穴蔵。
 本とCDにまみれて蛆のごとく過ごす。
 夕刻に這い出て神戸へ。
 新神戸オリエンタルホテルで『末廣光夫さんと秋満義孝さんは元気です会?』というジャズ・パーティに参加する。
 ともに今年がめでたい年齢ということで、「神戸のジャズ・シーンを担ってきたお二人」をお祝いする会である。
  
 関西のバンドの他、東京から花岡詠二さんやデキシー・キャッスルも参加、盛大なパーティになった。
 詳しくは数日中にODJCホームページの「Bourbon Street」にレポート掲載の予定。
 午後6時半から「疲れるまで」ということだったが、終演というか終宴は午後10時前になった。
 深夜の帰宅となる。

3月27日(月) 大阪←→播州龍野
 朝のJR新快速で大阪から姫路へ移動。
 姫路駅の高架切替工事、やっと山陽本線が高架化、昨日、山陽電車がJRの高架下をくぐるかたちに切り替えられた。
 ここまで10年近くかかったのかな。姫新線の高架化はまだまだ先で、相変わらず「半地下」、山陽電車のまだ下をくぐる、相変わらずの「最低」路線である。
 姫路駅の通路、ややこしいのなんの、高架から従来のホームに降りて、そこから改めて陸橋か地下道を利用しないとオモテに出られない。
 
 駅そばのコーナーは広く「屋内」型になった。
 味は? 本日は試さず。たぶん変わってはいないだろう。
 姫新線で播州龍野へ。
 少し遅れて兄が到着。久しぶりに一族集合。
 空間移動装置導入のため立ち会いである。
 おれタイムマシンで時間移動する方が好きなのであるが。
 夕刻の電車で帰阪。
 専属料理人も東の方向から帰ってきた。
 こういう場合、夜は静岡の物産展メニューになる。
 桜えびの掻き揚げ、しらすおろしでビール。黒はんぺんとわさび漬けで湯割り。

3月28日(火) 穴蔵/レムの訃報/新世界ふたたび
 朝刊にスタニスワフ・レムの訃報。あまりにも小さい記事で、そのことにびっくりする。
 巨星墜つ。この言葉は初めて使う(あとはクラークと小松さんの時にしか使わないつもり)。
 レムの凄さは、その作品がまったく古びないところだ。SFでは細部にどうしても時代と合わない部分が出てくるものだが、レムの場合、それが微塵もない。というよりも、まったく気にならない。レムの思考力とイメージの喚起力に圧倒されつづけるからだろう。
 たとえば『ソラリス』でステーションの軌道変化を確認するのに対数表が登場する。最初に読んだとき(SFマガジンの連載)はおれも数表を使っていた時代で気にならず、今読み返すと、コンピュータの演算結果に不審を抱いての行動みたいに読める。
 そして、この場面にレムの作家としての姿勢が重なって見える。
 まさに「孤高」の作家である。
 クラークが多くの科学者と交流があるのとは対称的に、レムの場合、数少ないオリジナル論文と格闘して、そこからイマジネーションを拡大していくらしい。
 石原藤夫さんが(出典を忘れたが……「金星応答なし」の奇妙な物体に触れられてだったかな)、レムは相対性理論の原論文を精読している数少ない作家のひとりと指摘されていたのを思い出す。
 欧米の作家とはほとんど交流のないまま、ひとりでSFの最高峰を築いた偉大な作家である。
 こういう日は喪に服すべきかも知れないのだが……。
 タイムマシンの部品調達の必要あって日本橋へ。
 いつもなら難波から歩くのだが、本日は動物園前から。
 ジャンジャン横丁はずれの「奴寿司」へ……水曜が定休日だが、月一度、本日も休みであった。無念。
 せっかくだから周辺を歩く。
 八重勝、昼間も長い行列。しかも家族連れ(子供が多い)が目立つ。
 
 先日は気づかなかったが「横綱」前にはビリケンさんの巨大模型があり、新世界の新名所にしようという魂胆ミエミエ。
 ここに限らず、串カツ屋の急増に驚き、やや呆れる。
 日本橋の雰囲気は、いつも通るコースについては、DVD店が増えたくらいであまり変わらず。ニノミヤのパーツ売場、シリコンハウス、なにわネジ、この3店だけは続いてほしいものである。
 日本橋北端あたりで時ならぬ雷雨。
 Musicraftで雨宿りをかねて軽くビール……のつもりが、ジェリー・マリガンのクラリネットなどかけてもらって2時間近く居座ってしまった。

3月29日(水) 穴蔵/梅田/ハチ
 午前中は穴蔵で雑務。
 昼、自転車で出かける。
 徘徊コース東回り、天五の部品屋により、あと、扇町公園を通過。
 桜の開花はまだ。
 モクレンの白い花が咲いているだけで、ルン吉くんの定位置「2番石」に人影はない。
 
 昨年10月25日以来、姿を見なくなって5ヶ月を越す。
 以前の冬眠?は2004年12月22日から昨年4月27日までの約4ヶ月だった。
 どこへ行ってしまったのだろう。元気でいてくれればいいが。
 木蓮咲く春なのに
 あなたは帰らない
 たたずむ扇町公園に
 涙の雨が降る
 ……風が冷たくなり、雹まじりの小雨が降った。
 インタープレイ・ハチでランチ。
 4月3日のオーネット・コールマン+山下洋輔に備えて、ハチママ、気もそぞろである。
 初来日(1967年10月)の時に貰ったというオーネットのサイン(プログラムにサインと「オーネット」というカタカナも書いてある)を持ち出してくる。
 サインはめったにしない人らしく、貴重品だという。
 ふーん。ともかくあと4日である。
 帰館。雑用の続き。
 夜は先日の『末廣光夫さんと秋満義孝さんは元気です会?』のレポートを書いて、ODJCのホームページ「Bourbon Street」にアップする。
 酔っぱらってのライブ、曲目や演奏者の記憶があいまいなところが多く、老化を実感することである。嗚呼。

3月30日(木) 穴蔵
 終日穴蔵にこもる。
 一歩も出ず。
 正確には、夕食のために「自宅」往復一度。朝刊もこの時に読む。
 寒かったらしい。
 外を見ることもかったので、天気の記憶もなし。
 確かに廊下の風は強かった。

3月31日(金) 穴蔵/A.P.J.
 月末なのであった。
 タイムマシン業にも月次という時間的区切りは容赦なく襲いかかってくるのであった。
 サウンド・オブ・サンダーの時間波みたいなものである。
 朝から銀行など走り回って荒波を乗り越えるのであった。
 ついでに近所の医院にも寄る。
 血圧が嘘みたいに下がっているのであった。春とはいえ、異常に寒く、血管が開いたとは思えないのだが。
 午後は穴蔵。
 夕刻穴蔵を這い出て、専属料理人と梅チカを北端から南端まで歩き、桜橋の「Mr.Kelly's」へ。
 A.P.J.(難波弘之、水野正敏、池長一美)のライブである。
 
 「Labyrinthos」につづくA.J.P.の3枚目のCD「e」発売記念ツアーである。
 水野さんがウッド・ベースを弾いている。
 
 「e」のジャケットの「名実共にアコースティックになったA.P.J.」とあるのは、こういう意味であったのか。
 「超変拍子」といった曲が多いが、聴いていて緊張感を強いられることはなく、じつに心地よい。……水野さんのMCが緊張を緩和しすぎるからでもない。
 「クラゲ注意報」なんて、池長ドラムが北陸の雲と風、細かいしぶきなどの背景を描き出し、水野ベースが波のうねりを感じさせ、難波ピアノが越前クラゲの襲来を予感させる。こちらはクラゲになって音の海を漂っていればいい。
 プログレッシブというものの、そして恐ろしく複雑なリズムとコードが駆使されているが、底流にはビル・エバンスの初期トリオ以来の血脈を感じさせる。
 2ステージ。最後は「God be with you 〜膚の下」という神林長平氏の三部作をイメージした曲で終わる。
 昨日愛媛で「ニセ科学シンポジウム」だったはずの菊地教授がちゃんと出現……たいしたものである。
 前回聴いたのが2001年9月27日であったから、ライブは5年半ぶり。「センス・オブ・ワンター」の頃からだと17、8年になろうとしている。
 相変わらず同じようなメンバーが集まるわけで、難波さんの人気の根強さを再認識。
 終演は22:30頃になった。
 すぐ近所にわが早朝グルメの愛好店「まん馬」があり、専属料理人が一度行ってみたいというので、ここでスンドゥーフ定食。
 キムチの臭いをふりまきつつ深夜の梅田を歩いて帰館。

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