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9月30日(土) 穴蔵/ウロウロ
 昨日の右膝の痛み、このまま歩行困難になるのかと覚悟までしたのだが、ロキソニンの湿布を貼って寝そべっていたら、普通に戻った。
 老体にもまだ回復力が残っていたのである。
 午前は穴蔵にて月次の決算業務。
 午後は天気がいいので歩くことにする。
 豊崎の大淀のアトリエ・大淀の長屋・豊崎の集合住宅Uなど一連の安藤建築の前を抜ける。
  *
 新アトリエ?には変化なし。
 南濱墓地、豊崎長屋から本庄の路地を抜けて天八のスーパーへ。
 専任料理人と合流し、重量物(主に飲料系……10月1日では遅すぎる)のポーター役で帰館。
 5000歩を超えた。
 たちまち夕刻。
 久しぶりに「入浴」して膝を揉みほぐす。
 5皿ばかり並べてもらって、盛大にビール、酎ハイ。
 体調よろしく、やはり毎日歩かねばいかんなあ。

9月29日(金) 穴蔵
 終日穴蔵。
「迫りくる影」に怯えつつ……などと書くと大袈裟だが、「中敵」とでもいうか、体調である。
 昨夜から急に右膝が痛くなり、歩くのが辛くなった。寝そべっておればよし。
 だんだん歩行困難になるのか。
 ということで午前はベッドで雑読。
 午後はBSで久しぶりに『白い巨塔』(1966大映)を見る。
 やはりこれが最高の配役ではないかと思う。特に滝沢修。
 たちまち夕刻。
 数皿並べてもらってビール、冷酒。
  *
 中秋の名月を眺めつつ。
 本来なら三脚を立て、露出の補正をしつつ、ウサギを撮るべきなのだが、もう面倒になってきた。
 やはり寿命が近いのだろう。

9月28日(木) 穴蔵
 終日穴蔵。
「迫りくる影」に怯えつつ……などと書くと大袈裟だが、「内敵」とでもいうか、そろそろかなという予感である。
 これは書き出すときりがない。
 米朝師匠は「55歳」と言われていた。実父と正岡容と米團治師匠の享年が、このあたりに「集中」していたからである。
 しかし米朝師匠は無事に55歳を通り過ぎられて、税金が高いとぼやきつつ、89歳まで生きられた。
 わたくしの場合、実父の享年は2年ほど前に過ぎたのだが、あとひとつが2ヶ月以内……
 まあ、そう怖がることでもないので、気楽に行くしかないか。

9月27日(水) 穴蔵
 終日穴蔵。
「迫りくる影」に怯えつつ……などと書くと大袈裟だが、「外敵」のひとつは、近々始まる「下水道工事」である。
 近所の公園の半分が工事塀で囲われて、梅田までの「幹線下水管渠築造工事」の起点となる。
 令和8年末までというが、そんなはずあるまい。左岸線だって8年遅れ。10年はかかるのではないか。
 夕刻、その工事説明会があるので、某会館まで出向く。8月2日のつづきである。
 前回の「質疑」に対する「回答」が30分ほどあり。
 その後「質疑」になって、前回と同じ「超難物」が、またも延々と「演説」を始めた。
 嫌になって本日も途中で退席する。
 いずれにしても、年内は予備工事、来年早々に公園は塀で囲われて、たぶん生きているうちに撤去されることはないだろう。嗚呼。

9月26日(火) 穴蔵
 終日穴蔵。
 少しは散歩しなければいかんのだが。
 色々考え事をしているうちに、たちまち夕刻。
 5皿ばかり並べてもらってビール、冷酒。
  *
 白エビの掻き揚げがなかなかいける。
 お楽しみはこれだけだ。

9月25日(月) 穴蔵
 秋日和。終日穴蔵。何もせず。
 何もしない(できない)というのもつらいものだ。
 半日、USBのファイルが壊れたのか、奇妙な表示が現れたため、その復元作業。
 3日前にバックアップをとっていたので、2日半ほどの作業を思い出しつつ。やれやれ。
 あとの半日は近い将来のことを思い悩みつつボケーーーッと過ごす。
 人これを痴呆と呼ぶ。嗚呼。

9月24日(日) 穴蔵
 秋日和。終日穴蔵。何もせず。
 たちまち夕刻。
 5皿ばかり並べてもらってビール、ワイン。
  *
 ジョージ・ルイス「Jazz at Vespers」を聴きつつ。
 やはりルイスの最高傑作。トランペットとトロンボーンがミュート使用の「教会音楽」で、昨夜聴けなかったスタイル。
 もう生では聴けなくなったのだな。嗚呼。

9月23日(土) 秋分の日/ニューサン
 秋分の日。晴。さすがというか、とつぜん季節が変わって、肌寒い日になった。
 終日穴蔵。雑事多し。
 中小企業庁の「実態基本調査」の催促があったので、回答用紙に、正直に代表取締役1名、売上ゼロ、人件費0、要するにペーパーカンパニーであること、後継者なしの「実態」を記入して発送。廃業理由は「インボイス制度」であると記入する欄がないのがけしからん。管轄がちがうからだろうが。
 夕刻、専任料理人と歩いてジュンクドーへ。
 横浜から播州龍野へ墓参に来た兄たちファミリーがチャスカ茶屋町(安藤建築)のホテルに宿泊なので、書店前で合流。
 甥のJさん夫妻も来て、総勢7人で地下街を南へ移動、ニューサントリー5へ。
 兄と来るのは3年半ぶりである。
 この日は(彼岸に合わせて)前から予定していた日程で、河合良一さんが亡くなるとは予想もしていなかった。
 楽しみにしていた大姪(兄の孫娘)は河合さんのクラを生では聴けないままになった。
  *
 ラスカルズ・メンバーは福田さん、木村さん、川合さん、尾崎さん。
 ただしフロントは若手(ともいえない年齢だが)が色々入れ替わって、賑やかな演奏がつづく。
 結局3ステージ最後まで聴く。
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 終演後、1階の看板前で記念撮影。ミーハーであるなあ。

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