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5月14日(木) 穴蔵
早寝早起き。晴れて好天。直射光あり、6時の室温は28℃。いちばん快適な季節になった。
終日穴蔵。きちんと机に向かって過ごす。
午後、40分ほど散歩。3000歩だが、まあいいだろう。
たちまち夕刻。
専任料理人が「ほとんど居酒屋メニュー」をずらっと並べてくれた。
こうなると飲むしかないではないか。
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ビールのあと、某方面から届いた(などと伏せることはないか/カジシンが熊本から送ってくれた)純米吟醸酒「崇薫(すうくん)」を冷やして一献。少し甘口で濃厚な香り……まるで川上「宗薫」の描く女体(古いか)を味わう気分になる。
なぜこんな銘酒を手に入れたかというと、怪我の功名というか敵失に乗じてというか、ややこしくなるから書かないが、ま、ご好意に甘えておく。
充実した1日であった。
5月13日(水) 穴蔵/ハチ
午前4時に目覚める。
よく歩いたおかげでよく眠れ、普通の早寝早起きパターンに戻ったようだ。
朝、近所の某医院で定期健診を受ける。数値は極めて良好であった。
昼間は穴蔵にこもる。
たいした成果はないが、一応机に向かって過ごす。
夕刻に這い出て、インタープレイ8へ行く。
マスターから、昨日の「気がかりな電話」の詳細を聞く。
要するに、常連だった「ハチ軍団」メンバーの死亡だが、天涯孤独の男だったから、どんな形で「送る」ことになるのかわからない。
某方面からの連絡を待つ他ないようだ。
わが同世代で(ハチ軍団メンバーも、もうほとんど残っていない)、体調は前から悪かったから、驚きはしないが、気がかりなままである。
5月12日(火) 穴蔵/ウロウロ
忙しい1日であった。
昨日の残務とでもいうか、色々な物品や書籍類の発送。
いちばん嫌な税金の納付書が届いていて、金融機関に行かねばの娘。精神的にもしんどいことである。
慌ただしく昼食。
午後は、身内が近所まで出てきたので、茶屋町の喫茶店まで思いファイルを抱えて出向く。
播州龍野の地籍関係事項の経過説明と今後の相談など2時間ほど。
今年4月から住所変更登記が義務化されたので、年末に転居した身内には義務が生じている。これも行政書士に依頼することにして、委任状に署名捺印してもらう。
ついでに郵便局に寄り、レターパックで書類を発送。
穴蔵に戻り、PCでの処理色々。
昨日の疲労もあり、さすがに疲れた。
ハチから「気がかりな連絡」あり、夜に顔を出したいところだが、明日に延期する。
夜は健康的居酒屋メニュー5皿ばかり並べてもらって、ビール、酎ハイ。
早寝させていただく。
5月11日(月) 堀晃展@新ギャラリー/懐かしき再会@博多
晴。好天である。
久しぶりに新幹線で西へ出かける。
・朝のひかりで西へ。新下関から山陽本線で幡生、ここで山陰線に乗り替えて、昼前に湯玉(下関市豊浦)に着く。
玄界灘……このあたりは響灘と呼ぶらしい……の絶景を見渡せる場所である。
下関に来るのは2019年の堀晃遺作展以来で7年ぶり。山陰線(響灘側)へ来るのははじめて。
駅から5分ほどのところに、この春、堀晃記念館「ギャラリー海の話」がオープン、その記念展が開催されている。
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アトリエをギャラリーに改装、今回は80年代の初期作品(鳥の時代?)を中心に展示されている。
ギャラリーの一角には、今まで公開されることのなかったコラージュとか、近所の陶芸家と協力して作った絵入りの皿なども展示されていて、茂美夫人の解説を聞いて、改めてヒカルさんの多才ぶりに感心する。
あと、海岸近くにある(大型作品制作のために使われていた)もうひとつのアトリエ跡(今は倉庫)も案内してもらう。
以前(80年代)は響灘が見えたそうだが、今はテトラポッドと高さ5mほどの防潮堤に遮られて、海は望めない。
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ついでに、すぐ近くにある生家にも案内してもらった。
宇賀漁港のすぐ近くで、今は無人の家屋。少年時代は海水着のまま泳ぎに行ってたらしい。
ヒカルさんの絵画の原点は響灘だったのだな。
・午後は、山陰線で下関へ、海峡をくぐって小倉、そこから新幹線で博多に向かう。
博多の改札口で「テンタクルズ時代」(当方はタイムパトロール時代)からの知り合い、松崎真治さんと(熊本から来てくれた)梶尾真治さんと合流。
カジシンとは10年ぶりくらい。松崎さんとは(カジシンの結婚式以来だから)ほぼ半世紀ぶりである。
筑紫口すぐ近くの居酒屋で再会を祝して乾杯。
松崎さんは95歳! 歩くのに杖は必要だが、頭脳明晰、記憶力も確かで、博多俄のしゃべくりも変わらず。
お元気そのもので、今夏のSF大会(大分で開催のHELLCON)には、ふたり揃って参加予定だそうな。
10分ほど喋ってたら、3人揃って昔のままの雰囲気に戻ってしまう。
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ビールから焼酎に切り換えてあれこれ話しているうち、3時間半ほどがあっという間に経過してしまった。
最終に近いひかりで帰阪する。
実は今回の博多行は、これが最後の機会かなと思ってだったが、松崎さん白寿の祝いまで頑張らねばの気分になってくる。
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