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『マッドサイエンティストの手帳』388

●マッドサイエンティスト日記(2006年11月後半)


主な事件
 ・穴蔵の日々(〜16日)
 ・播州龍野の日常(17日〜)
 ・穴蔵の日々(21日〜)
 ・播州龍野の日常(24日〜)



11月16日(木) 穴蔵/古い映画2篇
 終日穴蔵……ともいかず。
 明日から久しぶりに田舎行きなので、片づけておくべき雑件処理。
 週刊文春(11/23号)の「私の読書日記」で山崎努氏が眉村卓『いいかげんワールド』をとりあげている。これが見事な書評(※)。名優といっていい人だが、読書家としても一級の人とわかり、ますますファンになった。
 山崎努氏のデビュー作は岡本喜八『大学の山賊たち』で、むろんこれは観ているが、注目したのは朝日新聞に1962年に連載された小説『悪の紋章』の「主演」である。……これは橋本忍の「連載小説」(作品の出来映えはいまひとつであったが)で、挿絵の替わりに写真を使うという「映画的小説」。主演が山崎努氏だったのである(その後映画化されて、この主演も山崎努)。声も動きもない、スチール写真だが、確かな演技力が伝わってくるような「熱演」であった。
 翌年『天国と地獄』の犯人役で俳優としての立場を確立。まあ、その頃からのファンである。
 『悪の紋章』がもう一度観たくなった。
 夕刻、ビール飲みながらHHK「クローズアップ現代」を見る。
 クリント・イーストウッド登場。国谷裕子がインタビュー。
 ……テロップ流せばいいのに、野沢那智の吹き替え。劇映画じゃないんだから、これはやりすぎである。イーストウッドは普通にしゃべっているのに「演じている」ように聞こえてしまう。国谷裕子が本人の「日本語」吹き替えをやるのも妙なものだ。
 とうぜんながら「硫黄島」中心だが、おれは初監督作品『恐怖のメロディ』について訊いてほしかったなあ。あの女ストーカーは怖かったが、原因はちょっかい出した男側にあるはずで、共感できぬ恐怖映画という妙な気分が残る、ちょっと後味の悪い映画だった。『白い肌の異常な夜』の影響か。これもドン・シーゲルの「活劇映画」とは別の「妙な性癖」が色濃い作品であった。ともに「ダーティ・ハリー」の前。
 映画人というのは、看板作品からはうかがい知れぬ一面を持つ例がおおく、脚本家・池田一朗作品から隆慶一郎は想像できなかったし、古い例では脚本家・田村猛が青木八束名書いた近親相姦小説『蛇いちごの周囲』に驚いたことがあるものなあ。
 NHKのインタビューに「予想外の一面」を期待するのは無理だけど。

 ※山崎努氏の文章をちょっと紹介すると、『いいかげんワールド』の表紙絵に惹かれて購入、「予感的中」という。主人公に備わる魔力が「力を抜けば抜くほど能力は増し」「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」「でもこの力の抜き方は、剣豪小説の無念無想とは少し違う。なるようになれとまず現実を受け入れて、その上で、こうなればいいなぁとふわっと淡く思う」「がんばれ老人と励ましたいところだが、がんばってはいけないわけだ」と、なんとも的確な。そして終章の述懐から「『私』が魔力を会得したように眉村卓はこの痛快な小説を作り上げた」という。そして「捨てることが魔術のコツ」「捨てる勇気をもとう。もっと身軽になろう」と。
 おれの感想は「ここ」に書いているけど、どうしても「司政官」「カルタゴの運命」そして「1778篇のショートショート」を経由した境地の作品と身構えて読むから、こんな風に作品の本質を素直に受け入れていないのだろう。余計な予断を捨ててないからある。(2006.11.17追記)

11月17日(金) 大阪→播州龍野/「山分け」は二人限定か
 早朝の電車で播州龍野へ移動。
 半月ぶりである。
 出発時は暗く、明石あたりで明るくなってくる。
 姫路駅、旧山陽線ホームの解体が進行中で、これまたなかなかの風情。
 
 播州龍野、寒くなっている。
 書斎の室温は15℃で、机下に暖房器具を入れないと耐えられない温度である。
 下男(おとこし)仕事色々。主に冬支度である。
 と……老母に予想外の「頂き物」(※)あり、ただ好意謝するに余りあれども、体調などからちとありがた迷惑な品物(たとえばの話、アル中に大量のビール券みたいなものか)、せっかくだけれども、子供たち(わしらね)で分けるようにという。まあありがたい話である。
 おれ「そんなら兄妹3人で山分けしたらえんかいな」
 と、
 老母「山分けというのは折半のことやから、3人の場合には使わない」という。
 ええっ、映画で三人組の強盗が「山分け」するの、何度も見たで……。
 慌てて調べてみると……手元にある国語辞典4冊中3冊が「二分、折半」である。知らなかった!
 広辞苑(第二版)は(山路を分け入るといった意味は除いて)「半分ずつに分けること。折半」である。他の中辞典2冊も同様。
 大辞林が「利益などを関係者がほぼ均等に分け合うこと」で、これは人数を限定しておらず、おれもそうだ思っていた。
 しかし、今のところ3:1である。語源ははっきりしない。もともとが二人で分ける意味だったとしたら、それは尊重したいが。父の蔵書も探せば、あと何種類か辞典は出てきそうだが面倒になってきた。
 「三人で山分け」は間違いではなさそうだが、なんとなく今後書きづらい気分である。
 還暦すぎたおっさん(しかも一応「作家」)が、老母からお小遣いっつうか「結構な品の分配」をもらった上に日本語まで教えていただくとは、情けなやありがたやかたじけなや。

 ※分割できる品で、金券とかお金にたとえるとわかりやすいのですが、誤解を招きかねないので、曖昧な表現にしました。ま、「山分け」をイメージするためのフィクションだとご理解ください。

11月18日(土) 播州龍野の日常/続「山分け」
 朝の室温11℃で、大阪の穴蔵より10℃低い。大阪の真冬の温度である。
 下男仕事の合間に龍野公園へ行ってみる。老母のための下見。紅葉はまだ一部だけ。
 
 見頃は来週以降であろう。
 図書館に寄って「山分け」を辞書で調べる。
 やっぱりわからぬまま。
 昨日、老母と、「山分け」が「折半」なのか「数人で分ける」のか話題になった、その続きである。
 老母は「折半」説なのだが、ただしこれは女学校の教育で学んだことではなく、(誰に教わったか記憶が曖昧だがたぶん)短歌の指導を受けた先生あたりから聞いたことらしい。だから、「山分け」が3人以上でも慣用的に使われることは認めており、「厳密にいえば」という前提での話である。

 図書館で10種類ほどの国語辞典を見たところ、「折半」「皆で分配」混在で、やっぱりわからない。
 「山分け」には、@折半。あるいは複数の人間で分ける。A目分量で分ける。B山道を分けて進む。C山地を分割する制度。……の意味があり、ここで話題にしているのは@についてである。ただし、@とAがいっしょになっている説明もある。
 全部を引用するのは面倒なので、代表的なところを。

●日本国語大辞典(小学館) 「もうけなどを半分に、あるいはみんなで等分に分けること。山割り。(江戸時代の洒落本からの引用あり。1976年版、2002年版、ともに同じ記述)
●広辞林 「物の全体を半分に分けること。二つに分けること。ふたつわけ。」(5版1973)
●大言海 「物ヲ数ヘズニ目分量ニテ分クルコト。二ツ分。折半。両分。」(1922年版の復刻)
●辞海 「たくさんのものを半分ずつ分けること。両分。」(1952)
ハンディタイプの辞典では、
●岩波国語辞典 「物を半分ずつに、あるいは人数に合わせて、大まかに分けること。」(2002)
●新潮国語辞典 「半分ずつに分けること。半分わけ。」(1974)
 やはり、傾向としては、古い辞書は「折半」のようである。

 さて、広辞苑である。
●広辞苑 「(獲物を)半分ずつに分けること。折半。」(第二版 1969)
●広辞苑 「(獲物を)全員で平等に分けること。」(第五版 1998)
 と変わっている。三、四版は未確認。
 「全員」って、ふたりの場合はふつう「全員」とはいわんわなあ。まあ集合論的には間違いではないけど、「折半(二人)」から「三人以上」に変化したような印象を受ける。
 龍野の家にあるのが二版、図書館には五版。どちらを見るかで解釈がわかれてしまう。
 言葉は生き物だから時代とともに記述が変わることはあるだろうが、世間での山分けがある時期を境に「折半」から「全員で」に変化したとは考えづらい。
 ここでいえるのは、広辞苑がなんとなく頼りないということである。「山分け」一語だけでこんな印象を持ってしまうから言葉というのは恐ろしい。

 語源については、まったくわからない。図書館にあった語源辞典などに記載はなし。
 色々想像するところはあるのだが、ここではやめておこう。

 また、現在市販されているハンディタイプのを幾つか立ち読みしたが(したがって引用できない)、「関係者で分ける」といったのが多い。ただし新潮国語辞典は40年前から一貫して「半分わけ」。

 龍野ではこの辺までしかわからない。
 この種の問題についていちばん信頼できるのは高島俊男氏だが、週刊文春の連載が終わってしまったから質問できない。……そういえば、高島氏は広辞苑は信頼できないと何度か書かれていたなあ。
 相生にお住まいだから、クルマで20分ほどの距離。紹介してもらえるルートもないではないが、この程度では質問できるレベルではないなあ。
 といって、これ以上の調査も面倒になってきた。
 調べても山分けできるような儲けにつながらないからか。

 などと愚考している間に、宗谷岬から歩き続けているぶんきちくん、ついに国境のながいトンネルを抜けて、関東圏に入ったようである。たいしたものだ……。

11月19日(日) 播州龍野の日常
 終日小雨が降り続くのであった。
 落雷でパソコンが壊れたときにTVチューナー・ボードも破損してしまった。
 そんなに見るわけではないが、田舎では新聞のニュースが遅いから、テレビがないと不便なのも確か。
 ジョーシンへ行ったら、14インチCRT型が6950円で出ていたので、これを買ってきて書斎の隅に設置。ボードより安いではないか。丸みを帯びた画面がレトロ調でなかなかいい。
 終日雑読。
 夜はCD聴きつつ水割り。DENON〜DIATONEを大阪へ移したので、こちらへはCDウォークマン〜Timedomain-miniを持ってきた。これもなかなかの音色である。
 机の下にホットマットとハロゲンヒーターを設置。
 冬ごもり準備はほぼ完了である。

11月20日(月) 播州龍野の日常
 明け方には雨があがる。
 本日、庭木の剪定の予定で、朝から待機するものの植木屋出現せず。問い合わせて見ると、おっさんどこか別のところへ行ってしまったらしい。困ったものだ。
 剪定なんて2,3年に一度でいいのではないかと思うが。
 夕刻近くになって「明日参ります」と電話。
 帰阪が1日延びてしまった。
 いいにくいことだが「老母の代」だけだぞ、おっさん。
 あとは雑木林にする。
 ビール飲みながら夕刻のニュースを見ていたら、宮崎県で「天の声」がしたという。
 老母「天の声いうのは何なん?」
 おれ「天の一角から送られてくるメッセージや」
 老母「誰がいうてるんやろ」
 おれ「わからん。ニュートリノで送られてくる」
 老母「ニュートリノて何?」
 おれ「ノーベル賞もろた小柴センセが観測に成功したやつや」
 老母「そんなエライ先生の声かいな」
 ……ちょっと脚色してるけど、おれにはこれ以上説明のしようがない。
 ソラリスよりも難解だものなあ。
 宮崎県の諸君は具体的発信源は知っとるのだろうけど。

11月21日(火) 播州龍野→大阪
 晴である。
 朝7時半に植木屋3人組が来て庭木の剪定作業開始。
 書斎の窓際に座っていると、なんだかおれが作業を監視しているように思われるのではないかと妙に気をつかう。誰だって見張られるのは嫌だものなあ。
 ということで、居間のコタツで、老母は宮尾登美子を読み、おれは半藤一利『荷風さんの戦後』を読む。
 昼前に身内来たりて交替。
 帰阪。
 姫路から山陽電車・特急に乗る。
 姫路駅周辺の工事がつづいている。
 6月に姫路モノレール・ウォークをやった時に、JR山陽線の高架の下側ギリギリに残されていた山陽電車のレンガづくりの高架が解体中である。
 
 残しておいてほしいがなあ。
 作業員数名がやけっぱちで仕事しているのであった。
 こういう場合、何か声をかけたくなるなあ。
 思い出すのは『馬の首風雲録』の名場面。列車の上から作業員に「やーい、××、お前らの母ちゃん犬の子産んだ、やーい」(手元に本がないので正確な引用ができない)と罵声を浴びせる……と、たまたまとつぜんガクンと汽車がとまってしまう。(この名場面は雀さんの『哀愁列車』のサゲに引き継がれるのであるが……)
 おれも一度これをやってみたいのだが、電車の窓が開けられなくなったのはいかんなあ。
 穴蔵に戻る。
 暖かいなあ。

11月22日(水) 穴蔵
 ボケーーーーーーーーーーーッと穴蔵で過ごすのであった。
 アタマ痴呆状態。
 これではいかんので、少しは体を動かす。
 自転車で少しうろつく。
 ハチでランチ。青空書房(坂本さん不在/奥さんが店番してはった)に寄って「物々交換」的なこと……というか、某氏と物品の受け渡し場所として利用させてもらっているのである。預けていただいていた一品、削って醤油たらせば絶品の酒肴なり。
 ということで、夜は「ブツ」に加えて専属料理人が色々(牡蠣のなんたら肉のかんたらトマトのあほんだら、その他)並べてくれたのでビール、ボージョレ・ヌーボ。
 酔っぱらったので早寝するのである。
 明日は少し知的生産につとめようと心に誓うのであった。

11月23日(木) 穴蔵/正午たかはた
 勤労感謝の日であるから労働してはいかんかなと思いつつも、少しは仕事もするのであった。虚無への供物にならって、いと少なしを。
 昼、肌寒いので自転車はやめて、徒歩にて梅田界隈を歩く。
 駅前ビルから阪急東通りにかけての中古CDショップと書店。
 レイモンド・コンデさんのCD(ゴールデンCD)を見つけた。歩いてみるものである。
 約3時間。せいぜい6、7キロかな。
 ふだん自転車では通らない道を選んだが……ラーメン屋が増えたなあ。
 昼は駅前第一ビル「たかはた」でぶっかけ。
 ここだと往復約3.5キロ。荷風にならって「正午たかはた」を繰り返すにちょうどいい距離か。
 ラーメンよりはうどんがいいのであった。

11月24日(金) 大阪→播州龍野
 早朝の電車で播州龍野へ移動。
 下男仕事色々。
 ちょっと買い物に出るに、人通り・クルマことのほか多し。
 聞けば11/23〜26、龍野の「オータムフェスティバル」で、市内各所に展示その他色々な催しがあるらしい。
 本日はうろちょろする気にならず。
 夕刻より老母とオダあげつつ晩酌(飲むのはおれだけだけど)。
 もう眠いのであった。で、もう寝る。

11月25日(土) 播州龍野の日常
 色々雑事をこなすのであった。
 ・20年以上使ってきた二層式の洗濯機が壊れて、全自動型の配達・据え付け。
 ・着火あやしくなった老母用石油ストーブを買い換え、旧型のをリスニングルーム用にと芯の交換作業。
 ・古い雑誌類の処分。
 ・本箱代わりに並べていたリンゴ箱(木製)の片づけ。
 ・それらをオモテに出すための階段の清掃・雑巾がけ。
 ……下男仕事が色々あるのであった。
 15時頃に終わったので、「たつの市」の「オータムフェスティバル」を自転車でぶらっと見に行く。
 市内数十カ所で色々なイベント。
 昔の郵便局で戦前の写真展とか、某スタジオで古い映画ポスター展とか観光写真展とか。
  
 市内の所々、紅葉なかなか。
 常照寺でジャズ・ライブをやってる。安則アキトシ・トリオ……相生のグループらしい……お寺の本堂というロケーションがいいなあ。
 森山大明神のご来駕を仰ぎたいところ。
 各会場、ボランティアらしき人々がんばってはる。
 企画のレベルについてどうこうはいうまい。
 おれは「たつの市」という市名が嫌いだしこちらでの近所づきあいも苦手だし住民票をこちらに移す気もないが、やっぱり故郷であるから、夕張みたいになつてほしくはない。
 龍野振興のためにがんばってはる方々には好感を抱いたのであった。
 このあたり、荷風のおっさんの境地にはまだまだであるなあ。

11月26日(日) 播州龍野の日常/水田宗親ジャズバンド
 曇天から小雨に変わる。
 書斎の窓より播州の晩秋の空眺めつつ、少しは仕事もするのであった。
 老母との夕食後、小雨のなか、歩いてガレリアへ。
 久しぶりに水田宗親ジャズバンドのライブ。
 
 龍野の「オータムフェスティバル」最終企画ということもあって満員の盛況。
 本日のアルトはヤナギサワで、柔らかく抑制した音色の「懐かしのストックホルム」「枯葉」などがひときわよかった。
 21時半に帰館。龍野では珍しき夜遊びである。
 シャワーの後、水割り飲みつつパソコンに向かうに、ぶんきちくんついに日本橋到着、夫婦で徒歩日本列島縦断達成である。たいしたものだ。
 祝いをかねてもう少し飲むか迷うが、ま、もう寝るのである。

11月27日(月) 播州龍野の日常
 小雨が降り続く。
 古い本や雑誌類の処分を一気に進めることにして、30年以上手にとってない本は何も考えずに捨てることにした。重ねて紐でくくり玄関脇の物置へ移す。
 ……はずであったが、埃まみれの中に『われらをめぐる海』とか『5人対賭博場』とか『殺人鬼(浜尾四郎)』とか『大空のサムライ』とか、捨てるに躊躇するようなのが色々あって困る。
 映画誌・電波誌・ミステリーと文芸誌などの雑誌、大学時代の参考書、バラ売りで買った全集ものなどは目次も見ず処分。
 2時間ほどで20個ほど、階段十数回昇降、足腰がおかしくなってきた。
 部屋は、まるで片づいた雰囲気なし。
 困ったものだ。
 午後は疲労して、埃っぽい本、捨てる前の一読。
 夜、ラジオで「新・話の泉」をしばらく聞くが、当然ながら昔聞いた印象とはまるで違う。回答者の教養レベルが落ちたから……ではないと思う。こちらが歳をとったからで、子供の時なら素直に感心したのであろうが。

11月28日(火) 播州龍野の日常
 下男仕事の合間に昨日に引き続き駄本の整理。
 60年代の「シナリオ」誌がダンボール2箱分ほどあって、全部捨てようと括り初めて、63年9月号……「天国と地獄」と「乾いた季節」の「著作権問題」特集。読み出したら、結局2時間ほど。捨てられず、作業中断したまま。「シナリオ」だから当然映画側の主張だが、この事件は三好徹氏にとっては気の毒であったとしかいいようがない。
 ついでに「悪の紋章」とか「どぶ鼠作戦」など数本を拾い読みしていたら昼になる。
 午後は、そういえば「日本アパッチ族」のシナリオ掲載紙があったはずと探すが、結局見あたらず。
 どこかにあるはずで、そうなるとシナリオ関係の雑誌も処分できぬまま。
 夕刻になってしまった。
 結果的には作業なーーーんも進行せず。嗚呼。
 ぶんきちご夫妻ついに宗谷岬から千葉までの徒歩旅行を完遂、本日めでたくゴールである。
 遠くからだが祝杯ということで、おれはビール、ワイン。老母もつきあって一杯……というわけにもいかず、粕汁を作る。血糖値を考えるとよくないのだが、本日くらいはいいであろう。

11月29日(水) 播州龍野の日常
 朝からろくでもないニュース。
 たつの市新宮町で無職女と「同居の男」が女児虐待で逮捕。女は姫路市で新宮の家は「別邸」とする報道もある。別荘とは書いてないけど、お金持ちなのかしらん。
 1年前(10/22)のゴルフクラブによる社長殴殺事件以来、新宮の通り魔事件(未解決)、今回の虐待と、全国区ニュースが多いなあ。さっそく「現場を見に行く」とやりたいところだが、こちらの生活が長くなってくると知った顔も増えてきて、無名の野次馬としての行動はむつかしくなってきた。困ったものだ。
 「たつの市」という市名がよくないのではないか。
 この際、厄払いで「龍野市」に戻した方がいいと思うが、おれは住民ではないからなあ……。
 晴である。
 昼前に老母を龍野公園へ連れて行って平日昼間の紅葉を見る。
 
 龍野公園、凶悪事件に関係なく、静かなものである。
 聚遠亭と紅葉谷入口の2ヶ所だけだが、老母、歩くのが本当に面倒になってきた気配。
 田舎ストレスがピークになってきた。
 夜、老母就眠後にtimedomain-miniで滝川雅弘『枯葉』を聴く。つづけて私家版ライブ録音の「ティス・オータム」……名演である。
 今年の秋もあと1日。
 明日は「仮出所」である。

11月30日(木) 播州龍野→大阪
 仮釈放の日である。
 午前中、老母を医院へ連れて行く。
 結果かんばしからず。寒さ・運動不足・みかんの季節・その他色々のせいか。いまさら禁欲生活を強いるのは辛いところだ。
 ストレスかかえつつ、午後の電車で帰阪。
 穴蔵に戻るとほっとする。
 月曜までに片づけねばならぬことあるものの、やっぱり田舎よりはいいなあ。
 久しぶりに入浴(←湯につかるという意味。シャワーはほぼ毎日使用する、寒いけど)。
 専属料理人に色々(小芋のグラタン? ホタテに煮物? 肉の炒めたのにキャベツのなんとか ブルスケッタ その他)並べてもらってビール、ワイン。
 片づけをやらなくていいというのはまことに快適である。
 寝る。


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