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『マッドサイエンティストの手帳』334

●マッドサイエンティスト日記(2005年5月前半)


主な事件
 ・高槻ジャズストリート(4日)
 ・『春一番』山下洋輔トリオ(5日)
 ・谷口英治カルテット(5日)
 ・播州龍野の日常(6日〜)
 ・穴蔵の日々(13日〜)


5月1日(日) 穴蔵/ちょっと一杯
 午前3時半に目が覚める。
 室温27℃で快適である。
 昨日は敷地内から出ていないので、本日は久しぶりに早朝散歩を試みる。
 自転車で梅田。
 土曜の夜の延長で、路上に屯しているアホ青少年が多い。
 扇町公園……。
 お、ルン吉くん、定位置の「2」番石に寝ているではないか。
 4月27日に4ヶ月ぶりに梅田で再会したのだが、やっぱり定位置に戻ってきたのだ。
 だが、4ヶ月間、どこへ行ってたのだろう。
 
 この雰囲気だと、今年はまた年末まで、ここが定位置になりそうである。
 天五〜天六界隈、「早朝グルメ」店はどこも休み。
 帰宅して牛乳を飲み、健康的な普通の朝食。
 あとは穴蔵。
 夕刻這い出て、阪急宝塚線で石橋へ。
 阪急、混んでいる感じ。福知山線普通の影響であろう。通勤が始まるとどうなるのであろう。
 石橋の居酒屋で、連休で帰省している友人と一席。
 ヒラメ、アワビの活造りでビール、ワイン……。
 ただし帰宅は21時前。
 明日は播州龍野である。

5月2日(月) 大阪→播州龍野
早朝の電車で播州龍野へ移動。
 大阪〜姫路間の移動には、ここ数年、よほど急ぐ時以外、JRよりも阪神電鉄〜山陽電鉄の直通特急を利用する。
 JR新快速なら1時間、阪神なら1時間半。この差は大きい。
 が、精神的な快適さが違うのである。
 JRの場合は大阪駅で、姫路駅では折り返し運転だから、いずれにしても「一番槍の功名」を目指しての席取り合戦に巻き込まれる。
 特に姫路駅の場合、到着から折り返し発車までの時間が短くなって以来、ホームにはたいてい定員以上の乗客が待機していて、まだ乗客が降りきらないうちに「突撃」が開始される。これが嫌で、利用することがなくなった。
 以前は10分以上の余裕があったから、普通に待っていれば普通に座れたのである。
 福知山線脱線事故の報道を見ていたら、これも私鉄との競合の結果、高速化・過密化したしわ寄せだとわかる。
 おれはその結果、遅くて安い私鉄利用に替えたのだけどねえ。
 播州龍野。
 しばらく来ないうちに……1週間である……家の周囲も東西の山も見事な新緑。
 連休中、兄が来ているのだが、実家周辺の工事のことその他色々、いつもすれ違いなので、ビール飲みながら相談すること多い。
 夜は盛大にすき焼き。……材料費は老母が出してくれるから豪勢なもの。
 午後8時にはやることなくなった。
 寝転がって、中野晴行『そうだったのか 手塚治』(祥伝社新書)を読む。

5月3日(火) 播州龍野→大阪
 わ、やっぱり午前3時に目が覚めた。
 7時間近く眠ったのだから睡眠は十分というものの、こんな時間、播州龍野では読書以外することがない。室温17℃。おれには寒い。
 連休後半も兄が龍野に滞在するというので、昼間の電車で帰阪。
 梅田に着き、阪急3番街を北に向かっていたところ、前から来た無精ひげの男が、
「よう、久しぶりやんか、どないしとんねん」
 一瞬、岩神六平さんかと思って、
「あ、何ですか、こんなところで」
「栗東の厩舎から引っ越してきて、今は嫁さんの実家におるねん」
 ……やっぱり人違いらしい。
「当てたで、見てみ」
 場外馬券場からの帰りらしい。
 上着のポケットから札束を出して見せてくれた。
「一八〇万や!」
「凄いですね」
「調子どないやねん」
「ぼくはギャンブルやりまへんがな」
「そやったかいな、ほなまたな」
 一杯おごったるでもなし……ありゃ、いったい誰だったんだろう。
 5月4日、5日とコンサート、ライブが詰まっているが、予定が定まらず「予約」はしていない。ハシゴを試みるつもりだが、どうなるやら。
 本日は静かに食事、静かに就眠である。

5月4日(水) 高槻ジャズストリート
 午前中、穴蔵。
 午後に這い出て、専属料理人と高槻へ向かう。
 阪急京都線、ガラガラ。行楽のひとはとっくに出かけたせいか。
 高槻ジャズストリート。
 5月3〜5日の3日間、360バンド出演、高槻のいたるところでジャズが演奏されているが、大半はアマチュアバンド。今年の目当ては谷口英治と滝川雅弘のデュオだけ。
 高槻城跡公園で吹奏楽団を聴きながら、昼飯代わりに、模擬店の焼きそばとビール。
 日差し強く、野見神社の日陰に移動、ここの樟や樫、欅の新緑は見事なものである。
 14時〜高槻現代劇場で谷口英治バンド。
 
 滝川雅弘カルテットのクラが谷口英治に替わった編成で、木畑晴哉(p)、中村尚美(b)、佐藤英宜(ds)。スタンダード中心に6曲……最後は「チュニジアの夜」で、谷口さんとしては珍しい曲。
 動くのが面倒になって、引き続き、魚谷のぶまさトリオを聴く。
 1時間ブランクあり、また野見神社や公園グランドぶらぶら。
 ビッグバンドがサンバなどやっている。
 どうも龍野から帰阪の翌日というのは体がだるい。
 直射光を浴びたせいか。
 17時〜谷口英治+滝川雅弘カルテット。
 
 文化会館のレセプションホール、今度は超満員である。
 去年が大ホールで大受けだったからなあ。
 それぞれのバラード含めて6曲は、全部新アレンジ。45分はちょっと物足りないが。
 午後6時前に終わって……ここで選択肢は3つ。
 ・京都RAGに行く(本田俊之+森山威男のライブが7時半〜で間に合わないではない)
 ・どこかで食事をしてから20時〜別会場で2クラ・セッションを聴く(たぶんこちらはリラックスした雰囲気になるはずだが、立ち見会場)
 ・帰宅
 迷うところだが、体がだるく、立って聴くのもしんどいし、深夜までは辛い。
 結局、明日に備えてまっすぐ帰宅。
 安売りが始まった阪急地下で刺身や総菜類を買い求めて帰るのであった。

5月5日(木) 春一番/谷口英治カルテット
 子供の日なのであった。もうボンクラ息子にかまう必要はないのであった。快晴なのであった。
 体が3つほしい日である。
 ・11時〜緑地公園野外音楽堂で『春一番』というフォークのコンサートがあり、伝説の山下洋輔トリオ(坂田明、森山威男)が出演する。
 ・11時〜夕方まで、天満のOAPでOSAKAビッグリバージャズがあり、関西の主要トラディショナル・バンドが出演、滝川さんもゲスト出演する。
 ・午後に梅田ディアモールの特設会場に谷口英治カルテット(畑ひろしのグループ)が出演する。
 すべてのハシゴは無理とわかる。
 森山さんは夜に東京でのライブがあるから、「春一番」の出番は昼前かと予想されていた。が、前夜になって、13:50と判明。そりゃそうだろうな。最初にこんなトリオを出したのでは、後が持たないもの。
 ということで、今年は「ビッグリバー」を断念だんねん。
 13時ちょっと前に服部緑地公園野外音楽堂へ。
 目当ては山下トリオ(山下、坂田、森山)だけである。
 ギターのデュオとか、ゴースト4?の、アイラーの「ゴースト」に詩をつけたのとか。
 ともかく暑い。コンクリートで囲まれた会場、「春一番」というより真夏の野外コンサートの雰囲気である。
 知った顔が場内にいるはずだが、みんな帽子や傘で判別できない。
 前の方に大ちゃんのボーズ頭が見えて、森山掲示板の主要メンバーも判明する。
 13時過ぎに三上寛が登場。
 
 三上寛をナマで聴くのは30年ぶりではないか。太ったなあ。
 相変わらずの、凄まじくも情感溢れる唱法。
 「酒で汚れた小便の行き着く先は海でしょう……」なんて三上フレーズ、いいなあ。
 2曲目の前に水を飲んだら「焼酎か!」という野次、これもいいねえ。
 しばらく休憩。……舞台右に白いボード。それもビニールシートが敷かれ、後ろに土嚢が積まれる。倒れないようにということだが、何が始まるか。
 炎天下、山下洋輔トリオ登場。
 
 山下洋輔(P)、坂田明(as,cl)、森山威男(ds)
 「キアズマ」から始まる。
 と、左手から白塗り怪人がジワジワ登場、麿赤児である。
 舞台右手のボードに黒田征太郎がペインティングを始めた。すごいゲストが出てくるものよ。
  
 麿赤児、山下さんのピアノにもたれてしばし休憩のあと、左手上のステージから再登場、ジワリジワリとご降臨となった。
 やっぱりこのトリオは凄い。おれの場合、懐かしさと興奮の混沌である。
 森山さん、スティックをステージ前の客に投げ入れる。まさにご神木。西宮神社の大晦日とか、西大寺の裸祭を思わせるね。
 2曲目、坂田さんがクラに持ち替え「ミナのセカンドテーマ」
 クロセイの「絵」……重ね塗りで、「ピカドン」文字の上に「花」その上に黒い模様と、絵を完成させるより、経過を見ろということらしい。
 怪人・麿赤児、ジワジワとにじり寄って、坂田さんと背中合わせ状態。さらにずれて、坂田さんのカデンツァ中、森山さんと睨み合い状態になった……。
 
 このあたりの怪人の挙動については、塩之谷さんのレポートに詳しい。
 塩之谷さん、さすがにカブリツキにいただけに、写真も鮮明、迫力がちがう。
 あ、パフォーマンスが面白すぎて、音への注意力が散漫になってしまった。
 アンコールの拍手鳴りやまず。が、進行上、これはないようである。直ちにドラムセットの解体が始まる。なにしろ森山さんはこれから東京、20時からライブである。
 おれも「春一番」はここで失礼する。
 梅田へ。
 ディアモールの特設会場で、谷口英治カルテット……というよりも、谷口英治+畑ひろしトリオ(広田昌世、東敏之)である。
 1st set 途中に間に合った。ガーシュカン特集で、「私の彼氏」快演中。
 梅田地下街でこんな実力派の演奏が無料とは……吉川裕之のプロデュースであった。
 地下街といっても陽光が差し込む場所で、防災上、こういうところが増えたために密閉空間が作りにくく、某作品の21世紀版に難渋するのである。
 16時から2ステージ目に専属料理人も合流。
 先に、関西クラリネット四重奏団が30分。
 
 岩田秀昭氏率いるクラ4人。滝川さんのクラのお師匠さんである。時々ライブ会場にも来られているが、聴くのは初めて。弟子はビッグリバー出演中である。なかなか。
 
 谷口カルテットの2セットはエリントン特集。
 こんなステージでも企画に手抜きしない姿勢は立派であるなあ。
 「スイングしなけりゃ……」から5曲、「A列車」で終わる。
 2日間のジャズ漬けはこれで終了。
 明日からまたしばらく、播州龍野行きである。

5月6日(金) 大阪→播州龍野
 早朝の電車(私鉄)で姫路へ移動。
 姫路から本竜野まではJRに乗るしかない。
 それにしても、ボーリング大会を実行したの、懇親会をやったのと、このところ、マスコミのJR叩きは凄まじい。
 ちょっと便乗するか。
 いつも気になるのが播磨高岡駅の看板。
 何が書いてあるのやら。
 
 どうやらゴミに関する注意らしいのだが、ずいぶん前から「字が脱線」してしまっている。
 全体が汚れてだんだんと読みにくくなったのではなく、文字がボロボロと欠け落ちたりズレたり。
 写植か、レタリングの貼り付けか?
 JRの気の緩み、注意書きまで脱線しているのである……などと書いても、何の意味もないねえ。
 JR諸君の本音をいえば、「規則を守った範囲内でやっとるのに、なんでこないにボロクソにいわれんなんねん」だろうね。
 おれの予想。
 ま、そのうち自殺者が出て(区長とか、中間管理職が濃厚)、JR勤務というだけで子供がいじめられるという声が出たりして、マスコミの論調が変わってくる。
 恐ろしい組織だから、すでにフーマンチュー博士が水面下で「生贄」の人選を進めているのではないか。
 「……な、長年の恩義があるだろうが。家族のことは心配せんでいい、一生きちんと面倒みてやる。ここはひとつ、君の男気でだな……」
 松本清張にこんなのがありましたなあ。
 雨が断続的に降って、播州龍野、すこし肌寒い。

5月7日(土) 播州龍野の日常
 雨があがって、朝から急速に晴れた。
 揖保川の水量確認に行く。
 ウチの近くから東側に引き込まれている「用水路」……子供の頃、よく泳いだ水路であるが……昨秋からの大がかりな改修工事が終わり、記念碑まで建てられたという。
 この水路の先がどこへ続いているのか、前から気になっていたので、自転車でたどってみようと走り出したら、3分も走らぬうちに、黒い犬がおぼれかけているのを発見。
  
 ヒガシマルの醤油工場の東側。
 大きな黒犬が用水の西側へ這い上がろうと苦闘している。前脚がやっとかかるが飛び上がれないのである。
 子曰く。白い犬でも黒い犬でも水に落ちた犬は助けてやれ。ちがうか。
 縁に降りて前脚を持って引き上げてやるが、相当重い。10キロ近いのではないか。あやうくこちらが落ちそうになる。
 と、黒犬、礼をいうでもなく、いきなり体をブルブルっと振って水を切ったものだから、こちらは顔から靴まで、かなりの水滴を浴びせられた。恩知らずめが。興奮状態でそこいらを走り回る。野良犬ではあるまいが、育ちはよくない感じだな。
 どうせ私は黒犬ですよ、というオジンギャグを思い出す。尾も白くない。
 着替えに戻る。
 ケチがついたので、水路の探査行は中止。
 午後、龍野公園へ新緑の撮影に行く。
  
 花鳥風月、まったく関心がなかったはずが、やっぱりトシかねえ。

5月8日(日) 播州龍野の日常
 朝から地区内放送のスピーカーががなりたて始めた。
 また訃報かと思ったら「リサイクルデー」の案内であった。
 新聞雑誌・古着・アルミ缶などの回収。年に数回、小学校用だが、この校区だけで一回100万円近くになるというからたいしたものだ。
 さすがに大阪とちがって、回収に持ち去る「プロ」はいない。
 その分「相互監視」の目もあるわけで、住みにくいことである。
 午前中「幹線水路の果て」を探検に行く。
 午後は龍野図書館へ。
 「龍野市史」「太子町史」「播磨國風土記」その他、揖保川流域の水利関係を調べる。
 幹線水路について、石碑には「今日まで水害干害を防いできたもので古人の苦労がしのばれる」と上品に書かれているが、そんなきれい事ではない。「水争い」の凄まじさがわかってきて恐ろしくなる。……いや、規模こそ違え、戦後も続いていたはずである。
 中国の農村、実態はどうなんだ。
 「母の日」であるが、特別な料理はせず。おれだけワインを飲むのであった。

5月9日(月) 播州龍野の日常
 夜中2時頃に階下で異様な物音。
 ガツン、ガツンと何かを打ちつける響き。
 何事か……と駆け下りれば、老母がムカデを退治する物音であった。廊下に這い出たのを杖の先でやっつけたのである。
 ま、この元気があれば、○○人の強盗が入ってきても、ある程度は抵抗できるであろう。
 ということで、2時間早起き。眠れなくなった。
 午前4時に朝刊到着。
 あとはふだんの生活。特別のことなし。
 老母もムカデ退治のあと、眠れなかったらしい。
 ということで、老母、夕食入浴のあと、19時過ぎに寝てしまう。
 おれもつき合って、早寝である。といっても22時に近い。

5月10日(火) 播州龍野の日常
 予想通り3時に目が覚める。
 室温17℃は、おれにとっては冬の気温。さすがに石油ストーブは片づけたが、机下のハロゲンヒーターは6月まで必要な気がしてくる。
 それでも早朝に起きて机に向かえるというのはありがたいことである。
 3月までは布団から指先を少し出して本を読むしかできなかったんだものなあ。
 かんべさんの『朝はミラクル』で定期的に「海外ロングステイ」の話題を取り上げている。
 おれも海外での生活を検討したことがある。
 ポルトガルに同じタイムマシン・メーカーがあって、その経営者とは海外の見本市で何度か会った。住居だけ世話してくれるなら2、3年行ってもいいなあと考えていたのだが、10年近く前に事業をたたんでしまった。ポルトガルでは難しかったのだろうな。
 会社勤務時代、取引先の知人が退職後にロングステイを計画していて、ぼくにも勧めてくれた。「日本ロングステイ協会」の本も読んだが、やっぱり性に合わないな。特に田舎は5日が限度だ。
 もっとも「帰郷」と見知らぬ土地でのロングステイはちがうだろうけど。
 N産業のOさん、今年の年賀状にリタイアしたとあったけど、どこかへ行かれたのかなあ。
 ……などと考えるうちに1日が過ぎる。

5月11日(水) 播州龍野の日常
 またも3時に目が覚める。
 寒い。室温16℃。机下のハロゲンヒーターをつける。下はジーンズ、上はトレーナーにフリース。大阪の穴蔵では真冬の装束ではないか。
 田舎生活、そろそろ限界に近づいてきた。
 夜、救援メール。

5月12日(木) 播州龍野→大阪
 2時30分に目が覚めた。
 室温18℃、まだ寒い。
 朝から小雨が降り出した。
 気が滅入ってくるところに、さらに気が重くなる事態発生。
 「ニコニコ仮面」接近の気配である。
 怪人ニコニコ仮面とは何者か。……ニコニコと偽善的笑顔を浮かべながらまったく別の意図をもって接近してくるエゴの塊である。
 むろんおれにはエゴ丸出しの素顔がよく見える。
 詐欺師ならもっとうまく素顔を隠すであろう。
 問答無用でシャットアウトできればいいのであるが……田舎では諸々の事情で無視できぬことが多い(地縁とか血縁が絡むと特に困る)。
 ま、具体的には書かぬ方がいいな。
 梅雨空のごとき気分で、午後帰阪。

5月13日(金) 穴蔵/『天満人』
 やっぱり午前3時に目が覚める。
 室温は24℃で快適である。やっぱり大阪は暖かい。
 午前中、穴蔵で溜まっていた雑件処理。
 午後は自転車で市内ウロウロ。平日の昼間にしかできない雑用が色々溜まっているのであった。
 ハチに寄る。
 ハチママ「酉年」ハチライブは8月8日(月)に決まったという。
 むろん山下洋輔ソロである。
 これで7月(国際クラリネット・フェス2005)、8月(ハチライブ)、9月(森山JAZZ NIGHT 2005)、10月(神戸ジャズストリート)のメイン・イベント決定である。
 秋までは「ニコニコ仮面」の攻撃に屈せず頑張らねばならぬ。
 ハチからの帰路、中崎町に回って、久しぶりに青空書房に寄る。
 紹介し忘れていたが、『天満人』3号に坂本健一さんが文才・画才を発揮、北天満の「お地蔵さん」を紹介しているのである。
 文人画の趣があって面白い。
 
 この『天満人』、3号から「年3冊発行」ペースになるらしい。
 「天満の語り部」たちの聞き書き(井上彰さんの聞き書きのうまさは一流である)に加えて、「団塊の世代と昭和」をもうひとつの軸にして、次号からは「ラジオの時代」という企画を始めるという。このあたりの感覚、『朝ミラ』に通じるのかもしれない。
 坂本さんと雑談30分ほど。
 坂本「『ビーバップ・ハイヒール』の筒井さんはおもろいですなあ」
 ……おれにはとても起きてられない深夜番組である。
 テレビの『富豪刑事』についても意見が分かれた。
 坂本「確かに脚本は弱いですけど、深田恭子というのはユニークでっせ」
 おれよりもだいぶ精神的に若いようである。
 白ワインを買って帰る。
 夜は専属料理人に頼んで「初夏パスタ」……ヤリイカとかさやえんどうなどドバドバのスパゲティにボンゴレ、トマトサラダ。鰹だけはマリネにするのをご勘弁願う。
 昨夜が韓国系、明日はたぶん揚げ物で、おれが龍野で作れないメニューを集中的に食べることになるのであった。

5月14日(土) 穴蔵
 定刻4時に起床。
 4時半、外が明るくなりかけたところで、久しぶりに早朝散歩のつもりで出かける。
 冬の間、「早朝グルメ」は休止状態であったが、閉店とか、だいぶ様子が変わっているらしい。再調査をしようと思っていたのである。
 が、自転車で少し走ったところで引き返す。室温は24℃と快適であったが、外は風が冷たく、体が急に冷えてしまう。
 まだ冬なのである。
 再調査は来週以降にする。
 ということで、終日穴蔵。
 夜、居住している集合住宅の定期総会。
 遅めの夕食となる。
 で、スポーツ・ニュースが流れているのを見ていたら、プロ野球の交流戦で河原が西武ライオンズの投手として読売相手に登板したというので仰天。
 新聞のスポーツ欄もあまり読まなくなったので、トレードされていたとはまったく知らなかった。おれのいちばん好きな選手であったが……「意地で読売を完封」といかなかったあたりが、これまた河原らしくていいなあ。好漢の健闘を祈る。
 つづけてニュースでロッテのユニフォームを見たが……。
 上が白、下が黒。なんじゃ、あれは。車夫の格好……バンツマの無法松を連想してしまったぜ。
 ウズベキスタンの政情不安。キルギスとの国境付近で反政府暴動が拡大しているようである。
 ウズベキスタン・ミッションからもう3年になるのか……。タシケントは静かな雰囲気だったが、独裁政権下というのはあんなものか。市内で尋問を受けることはなかったが、注意事項(特にパスポートよりも「滞在証明」)はずいぶん聞かされた。アンディジャンはタシケントからそう遠くはないが、峡谷を隔てて別国みたいな場所になる。タシケントからは、雪を冠した山脈が見えるだけだった。

5月15日(日) 穴蔵
 わ、珍しく朝5時まで寝てしまった。
 寝過ごしたところで困る人はいないのだが。
 終日穴蔵。
 あと、なーんもなし。
 明日からしばらく播州龍野行きである。

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