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『マッドサイエンティストの手帳』329

●一番槍の功名


 4月12日の夕刻、本竜野18:05の姫新線に乗る。
 これは始発ではなく、山奥の方から来るジーゼル車。嫌なんだよねえ。
 案の定「一番槍男」がいる。
 一番槍男とは何か。……必要以上に座席を占拠する不逞の輩のことである。姫新線にはこの手のがやたら多い。
 下の写真の通り。
 
 広角で撮ったから脚が長く見えるが、実物は普通である。
 3人掛けシートの中央に座って、両側に誰も座らせんもんねというメッセージを姿勢で示している。
 某高校の生徒の多くはこの座り方する。立っている客が増えても席は譲らず、たとえば写真の向かって左側など、よほど度胸のあるオバハンでないと割り込めない。
 おれがなぜこの手のを「一番槍男」と呼ぶか。
 出典は永井荷風である。
 『墨東綺譚』(墨にはサンズイ付き)の「作後贅言」に出てくる名フレーズ。
 「……日曜日に物見遊山に出掛け汽車の中の空席を奪い取ろうがためには、プラットホームから女子供を突落す事を辞さないのも、こういう人達である。戦場において一番槍の手柄をなすものこういう人達である。空いた電車の中でも、こういう人達は五月人形のように股を八の字に開いて腰をかけ、取れるだけの場所を取ろうとしている」
 名文であるなあ。荷風は悪口となると冴え渡る。
 おれは「五月人形のように股を八の字に開いて腰をかけ」るのは関西系の風潮と思っていたのだが、昭和11年の東京ですでにこうだったのだ。
 子供には、あんな真似してはいかんぞ、ありゃキンタマが異常にでかいからなんだ、と教えてきた。
 が、本当のところは、儒教精神が日本から失われた結果であろうと思っていた。
 韓国では、こんな光景は絶対に見られない。
 荷風も『断腸亭日乗』のどこかで、儒教精神の喪失を嘆いていたと思う。
 が、半藤一利『永井荷風の昭和』を読んでいたら、別解釈であった。
 『日乗』昭和7年に、上海事変のあと、銀座の大騒ぎをみて「思うに吾国は永久に言論学芸の楽土には在らず、吾国民は今日に至るも猶往古の如く一番槍の功名を競い死を顧ざる特種の気風を有す、亦奇なりと謂うべし」とあり、ここが原点という。
 この時、荷風の頭にあったのは「爆弾三勇士」というのが半藤説。
 なるほどねえ……。
 姫新線の兄ちゃん、世が世なら、やっぱり爆弾抱えて突撃するのかねえ。

 ※「一番槍の功名」の用例。
 おれが一番好きなのは、落語『口入屋』の一節。
 新しく入った女中(おなごし)の部屋へ夜這いをかける番頭の杢兵衛さんが、階段を忍び足で昇りながら呟くセリフ。
 「それでは一番槍先陣の功名を……」
 一番槍という言葉がこんなに見事に決まっている用例を他に知らない。

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