『マッドサイエンティストの手帳』454

●マッドサイエンティスト日記(2009年5月後半)


主な事件
 ・田中啓文氏の祝賀会(16日)
 ・廃墟巡礼(22日)
 ・SF検討会(30日)

5月16日(土) 播州龍野→大阪/田中啓文氏の祝賀会
 慌ただしく下男仕事を片づけてから、午前中の電車で大阪へ移動する。
 帰館してニュースを見たら、神戸で新型インフルエンザが確認されたという。
 そういえば、三宮から芦屋まで隣席に座った乗客、マスクをしていたなあ。
 国内感染は時間の問題と思っていたが、神戸からとは意外だった。
 夜、小雨の中を歩いて、梅田新道の「スーパードライ」へ。
 「ニューオリンズ・ジャズ・カーニバル」などでお馴染みの巨大ビアホールである。
 田中啓文さんが短編『渋い夢』で推理作家協会賞を受賞したので、関西方面での祝賀会である。
 ミステリー関係、SF関係、ジャズ関係、落語関係、編集関係、ご学友関係など30人ほど。賑やかで楽しい会であった。
  
 啓文さん、誰が作ったのか「祝推理作家協会賞受賞」のタスキをかけている。
 我孫子武丸さんが推理作家協会報の選評を紹介する。
 この協会報、ウチにも届いてたから見たけど、受賞者(6人)の写真が、どれもこれも人相が悪いのばかりで、凶悪犯の指名手配写真集みたいである。何とかならなかったのか。
 特にひどいのが田中啓文で、これだけは逮捕されて囚人服を着せられたように見える。
 この日の服装も似たようなものだけど。
 月亭八天さんと初めて話したが、入門までの経過を色々聞くに、涙腺が緩んでくるような話であった。
 『ハナシをノベル』会はタイミングが合わなくてなかなか行けないのだが、次回はぜひとも聴きに行くことにしよう。
 帰館。
 わ、新型インフルエンザが大阪まで拡大している。
 こりゃ、1週間以内に東京まで広がるな。

5月17日(日) 穴蔵
 小雨降る日曜日。
 終日穴蔵にこもって、少しは仕事もするのであった。いと少なしを。
 新型インフルエンザの感染地域が周辺で急速に拡大しているようである。
 しばらくは出歩かないことに……と思いつつ、運動不足なので、夕刻、宅配便を送りに行ったついでに、人通りの少ない道を30分ほど散歩。
 
 北野教会がほぼ取り壊された。明日には消滅であろう。
 わが散歩途中の憩いの場所がまたひとつなくなった。
 嗚呼。
 ということで、普通の家庭料理で一杯やったあと、そろそろ早寝するのである。

5月18日(月) 大阪→播州龍野
 早朝の電車で播州龍野へ移動する。
 大阪から姫路まで、6時〜7時半の乗車で、ラッシュの前だが、マスク乗客が8割ほど。
 朝刊で国内感染96人が、姫路に着けば100人突破、龍野が休校になったとメールが届いた。
 時々刻々であるなあ。
 ということで、播州龍野で下男モード入り。
 こちらでは、買い物は人のいない時間に食品スーパーへ行ってセルフレジで精算する、あとは門扉を閉ざして閉じこもっていればいいから安心である。
 ということで、書斎にてボケーーーーっと過ごす。
 夕刻、周囲300メートルほどの圏内を散歩。
 5月下旬というのは意外に花のない時期である。
 紫の雑草にテントウ虫がとまっていた。
 
 「それは、薊でなければならなかった」
 懐かしいなあ。
 山田正紀はデビューから『神獣聖戦』まで、ほとんど変わってないのよねえ。
 と、改めて思ったのは、カジシンの『波に座る男たち』(6月に講談社文庫で出る)を読んでいて、これはカジシン初のノンSF長編なのだが、半世紀前(1959年)からジワジワと構想されはじめた作品と読めるからである。
 ぜひとも文庫で確認していただきたい。
 おれも半世紀近く、同じことばっかりやっとるのだけどね、進歩してるかどうかは別にして。
 ということで、そろそろ早寝。
 ●大予言。
 明日には職業野球の「交流戦」を見に行く休校中のチンピラ高校生が出るぞ。それにインタビューするテレビのアホがいて、「自宅待機ではないのですか」「勝手やろが」「学校に感染者がいないんですか」「おんどれがマスクせんかい」なんて攻防が楽しめそうだ。テレビのアホは手前の不都合場面はカットするだろうけど。がんばれ、チンピラ諸君。祈・共倒れ。

5月19日(火) 播州龍野の日常
 午前中の薄曇が午後は快晴となる。
 下男仕事の合間、新型インフルエンザ予防のため、終日書斎にて……のつもりが、ちょっと必要あって図書館へ。幸い龍野図書館はオープンしていた。ついでだから5冊借りてくる。
 あとは門から出ることなし。
 老母、テレビのニュースを見て、しきりにスペイン風邪との類似をいう。
 老母はスペイン風邪流行の年に生まれていて、女学校時代にはよく「あんたの学年は、アタマのいい子は全部死んでしもた」とよくいわれたらしい。
 生まれた年のことを記憶しているはずはなく、おれの大戦記憶と似ているのだろうな。
 ということで、夜である。
 チョムスキー『破綻するアメリカ壊れゆく世界』を読みつつ、そろそろ寝るのである。

5月20日(水) 播州龍野の日常
 新型インフルエンザ拡大中につき、終日門扉を閉じて、下男仕事以外は書斎にて仕事をして過ごす……つもりであったが、なかなかそうもいかず。
 出歩かねばならぬ。
・老母の定期検診の日だが、某医院へ老母のクスリの処方のみ依頼に行く。
 老母本人を「患者密集」の医院待合室へ連れて行くわけにはいかないではないか。
 病院・医院とは元気でヒマな人のみが行く場所なのである。
・タイムマシン格納庫にて某国への輸送の打ち合わせ。
 しかし、6月に日本から出張となった場合、どうなることやら、検疫体制の予想がつかない。ま、成り行きだな。
 テレビで、企業が「不要不急の出張は控えるよう」指示しているとかいっとるが、そんな出張はもともといらんのではないか。
 まさか、まだ「不要不急の出張」を認めている民間企業があるとは思えない。
 GDP戦後最悪とかいうが、こんな出張はNHKか「官」の話ではないかい?
・税金関係で市役所へ行く。
 12:45頃に行ったら、照明消した薄暗いフロアに役人諸君がマスクしてじっとしてはる。ぞっ。
 夕方のニュースでは関西の新型インフルエンザ感染者は200人突破、大津まで拡大。
 東京はまだかいな。
 5月下旬は意外に花がないなと思っていたら、塀や通路沿いにドクダミが昨日から急に開花しはじめた。
 
 不気味な花である。
 白い追憶……「記憶を吸い取る花」というのを書いたのはTP同人だった松田芳勝氏である。あれは『赤い花』だったかな。半世紀ほど前の「宇宙塵」掲載作。
 色々とアイデアが浮かぶが、メモのみ。しばらくは書けそうにない。
 早寝するのである。

5月21日(木) 播州龍野の日常
 終日門扉を閉じて、下男仕事以外は書斎で過ごす。
 朝刊では新型インフルエンザは関東にも拡大……ただし、成田からで、新幹線が関西から運んだものではないらしい。
 明日は帰阪……の予定であったが、夕刻のメールで妙な雲行きになってきた。
 夜の電話で、やはり安全のため、おれの帰阪、交替で身内の神戸方面からの来訪は、ともに避けた方がいいような。
 出所はしばらく見送りとなる。嗚呼。
 ふて寝。

5月22日(金) 播州龍野の日常/廃墟巡礼
 本日も曇天なり。
 龍野での拘留期間が無期延期となった。
 門扉を閉ざして終日書斎にこもる……つもりであったが、宅配便を発送しなければならなくなり、昼、龍野市の西端、揖西町の営業所まで持っていく。
 せっかくだから、隣にある「うどんレストラン・通(つう)」で昼飯……と思ったら、なんと閉店している。
 
 連絡先の貼り紙があるから、廃業。
 「うどんレストラン」という名称がおかしいが、まあまあうまい店であった。
 ええっ! これで龍野のうどん専門店は全滅ではないか?!
 気になって、念のためにウロウロしてみる。
 すべては5年前……名店「うどんの庄・やまと」の閉店からはじまった。
 
 「やまと」はセルフ店で、この店はうまかった。
 大阪の人気店でも太刀打ちできないのではないかと思った。
 閉店は店主の健康問題によると思う。
 龍野町福田。豆腐の「豆華」の斜め向かい。今は喫茶店になっている。ともかく惜しい店だった。
 「やまと」が閉店してから、後につづく店がつぎつぎに……。
 堂本交差点の南に「讃岐うどん・むらさき」が出来た。
 これもセルフ店で、チェーン店。味は平均以下。店の規模が大きすぎた。
 
 閉店。ガランとしている。
 同じく堂本交差点の少し西に「一心」というセルフ店があった。
 ここは健闘していた。老母が骨折入院していた時、栗原病院の近くだからよく通った。
 
 閉店。残念ながら、駐車場が狭かったからではないかと思う。
 当時、自転車で行ける範囲ではいちばんうまかったのだが。以来、空き店舗。
 ウチから北へ1.5キロ、東觜崎の道路沿いに「うどん處・こやま」があった。
 標準的な店で、好感の持てる店であった。
 
 閉店。店舗は改装中である。次はうどん屋ではあるまい。
 揖保川西、赤とんぼ風車の北500メートルほどの「めん処・小路庵」。
 
 店の存在を知ったときには、すでに「貸店舗」の看板がかけられていた。
 6店全滅、ほとんどは空き店舗のままである。
 龍野は「麺の町」のはずである。
 揖保乃糸が代表で、エースコック(ワンタンめん)ありイトメン(チャンポンめん)あり、大手の横尾製麺のうどんも結構いける。
 これらは全国に出荷される商品で、地元民はそれほどうどん好きではないのだろうか。
 ともかく、おれの知る限り、龍野のうどん専門店は全滅した。
 龍野のうどん専門店はなぜ滅びたか……これは大きな研究テーマだ。
 風蕭々……。
 しかし、やはりうどんが食べたくなり、太子町の「あやがわうどん」へ行く。
 まあまあだな。
 が、ここは姫路市なのである。

5月23日(土) 播州龍野の日常/「あの頃」
 本日も下男仕事。
 よんどろろない事情で播州龍野での拘留生活がつづく。
 本来、今日は大阪で友人の結婚式に出席の予定であった。
 友人の子息ではなく、友人の、だよ。
 よほどの事情で再婚とかでない限り、友人の結婚式なんて2年前の芦辺拓さんで最後だろうと思ってたのだが……いかにおれの友人の年齢幅が広いかである。
 ただ、欠席となったので、新記録の樹立にはいたらなかった。
 SF系だとまだ可能性はあるかもね。
 昼。
 老母の昼食の用意をしたあと、おれだけ、近くの和風レトロ・ダイニング「あの頃」へ行く。
 ちょっと豪華に「なごみの味和膳」1380円+税。
 
 ここはうまいのだけど、ご夫妻ふたりだけでやっていて、時間がかかることが多い。
 新書を持って行ったら、なんと5分ほどで出てきた。新型インフルエンザの影響でヒマなんだとか。
 2年ぶりである。前の日記にも「2年に1度ほど」と書いているから、わが体内カレンダーの精度はたいしたものだ。
 この店の味は「料亭の味」とかではなく、手間かけて丁寧に調理された家庭料理の味である。
 だから、大阪にいれば専属料理人がいるから不自由しないのだが、播州龍野の滞在が長くなると、ここに来たくなる。
 意外なことに、実家からいちばん近い店でもあるのだ。
 おれが晩年こちらに住むとなると、荷風散人にならって、毎日昼過ぎに来てランチとビールということになるのだろうか……。
 実は老母もこの店が好きらしい。
 以前の店名は「とりよしのだいどころ」だった。
 2年前、老母の歌集を編集していて、2001年(82歳の時)に、こんなのを作っていたのに気づいた。

 「とりよし」という屋号の店の入口に置く形よき盛塩一対
 入口の白き小皿に塩盛りてこの和食屋の評判よろし

 老母を連れてきてやればいいのだが、駐車場から道を渡るのは危険だし、卓袱台の前に座るのは無理だしなあ。
 ユルセ・ママ。

5月24日(日) 播州龍野の日常
 終日、下男仕事の合間は書斎にこもる。
 天候不安定で、曇時々雨、時に晴れ間、午後には雷鳴あり、パソコンを切って電源と電話線を抜く。
 懲りとるからねえ。
 あ、夕方。
 あ、夜。
 あ、そろそろ就眠である。

5月25日(月) 播州龍野の日常
 わ、朝の楽しきニュース。
 怪芸人・中田カウスが脅迫された事件で、前田五郎の聴取へ???
 筆跡鑑定で前田五郎ちゃんが浮上という。
 おれは、今どき「手書きの脅迫状」なんて出すアホがいるのかと不思議に思っていたのだが、「アホ」の相方とはまた珍妙な……。
 坂田利夫はこんなこと絶対やらんわなあ。
 五郎ってのも意外や意外だけど。
 注目して見守りたい。
 ということで<下男モード>入りである。
 炒飯作って昼飯食ってたら、北朝鮮が核実験のニュース。
 重大ニュースが重なる日だなあ。
 午前中の曇天が晴れ上がり、午後は快晴、初夏の風が吹く。
 運動不足なので、夕刻に近い午後、自転車でウロウロ。
 たくきよしみつさんの『デジカメに1000万画素はいらない』(現代新書)が面白く……というか同感同感と相づち打ちたくなるところが多くて、特に「DiMAGE A200」を使ってはるのに嬉しくなる。
 おれはこれを2004年末に買った。
 その時の判断は間違ってない。特に@バリアングルモニターA手動ズームの2点ね。
 今も愛用していて、これがダメになったらどうしようかと悩んでいるほどである。
 ということで、A200を持って祇園橋上流の堤防を走る。
 対岸は斜陽である。
  
 振り向けば倉庫……ここはキタに備えて「武装」しているのである。
 夜。
 久しぶりに餃子を焼いた。
 マニュアル通りにやるのだが、いつも黒く焦げるなあ。まあ食べられるけど。
 盛大にビール。
 そろそろ就眠である。

5月26日(火) 播州龍野の日常
 わわ、朝の楽しきニュース。
 怪芸人・中田カウスが脅迫された事件、脅迫状の「筆跡酷似」で前田五郎は無期限休養?!
 おもろいなあ。
 しかし、動機がやっぱりわからん。
 下男仕事色々。
 タイムマシン関係のことも色々。
 午後、ちょっと時間ができて、龍野図書館へ行って週刊朝日を読む。
 週刊朝日のスクープ!!(であろう)
 おれなりに要約すると……
 「前田五郎と中田カウスは昔から犬猿の仲で、どうもカウス襲撃事件に「便乗」して「手書きの脅迫状」を送りつけた気配が濃厚である」……と読める記事である。
 五郎ちゃんに「背後関係」があるやなしや。
 これは微妙で、やっぱりただの「便乗犯」というところではないか?
 脅迫状の写真を見て、五郎ちゃんの筆跡やとすぐにわかったというのが、アホの坂田師匠はじめ数人いたというから、背後に誰かいるのなら、そんなドジなことはやらさんだろう。
 となると、怪芸人・中田カウスを襲撃したのは何者か。
 謎は残ったままだ。
 北朝鮮の核実験などどうでもいい気分になってくる。
 早寝。

5月27日(水) 播州龍野の日常
 午前3時に目覚めて、昨夜から読んでいる山田風太郎『風山房風呂焚き歌』(筑摩書房)読了。
 日下三蔵氏編の未刊行エッセイ集の1冊。
 1957年〜93年まで、PR誌や婦人誌に発表されたものまで、毎度のことながら、よくこれだけ「発見」できるものと、日下氏の収集力に感嘆する。
 山田風太郎の35年間(昭和16年に書いた手紙を含めると半世紀に及ぶ)論考、まったくブレがない。
 『陰茎人』や『男性周期律』みたいな奇想小説の頃から晩年の明治ものの時代までの間、エッセイで書かれている文人感覚・市民感覚はまったく変わってないのである。
 おれは『忍法帖』も『戦中派不戦日記』も『幻燈辻馬車』も、同じ感覚で読んできた。表現形式は違うけど根は同一なんだろうな。
 改めて風太郎の偉大さを確認というところ。
 昼間、相も変わらず下男仕事。
 午後は2時間ほど、タイムマシン格納庫にて、某国へ送るマシンの梱包作業を行う。
 某国(に限らず)非木材梱包ということが年々うるさくなってきた。
 確かに木材に潜入して入ってくる虫の恐怖は、新型インフルエンザ・ウィルスの比ではないものなあ。
 ま、タイムマシンの場合、ダンボール箱に詰めたあとは専門業者にまかせるのである。
 明日は大阪へ陸送。
 早寝するのである。

5月28日(木) 播州龍野→大阪
 朝も早よから下男仕事。
 タイムマシン格納庫から某所への陸送を見送りの後、大阪へ移動する。
 通勤時間を避けて、昼間の移動。
 むろんマスク着用。
 電車は空いているものの、乗客のマスク着用率は1割以上2割以下、12、3%ではないか。
 神戸、三宮、芦屋、大阪のホームで見ても、ほとんど同率。
 マスクを使い果たして次が買えないから……とは思えない。
 さすが熱しやすくさめやすいポンジン気質。張り切って増産しているマスクのメーカーは大量の在庫をかかえることになるぞ。
 もっとも、おれもマスクの効果は気休めというかエチケット程度と思ってるけどね。
 来週あたりからは、マスクしてると感染者に見られることになりそうだ。
 帰路、北野教会の工事現場……角にあった桜の老木が消失している。
 
 4月はじめには見事に咲いていた。
 10日前に教会は解体されたが、桜は残されていた。
 オリーブの木その他も含めて、全部なくなり、きれいさっぱり更地となった。
 ここに高層ビル……殺風景になるなあ。
 近隣の住民には、この敷地にあった幼稚園に通ったという人が結構いる。心中複雑であろうなあ。

5月29日(金) 穴蔵/市内ウロウロ
 終日穴蔵……と思ってたら、午前中に(本来は明日の予定だった)タイムマシン関係の諸データが送られてきた。
 この際、月曜日に処理するつもりだった業務を本日中に終えることにする。  張り切るのであった。
 ドキュメントを整理してから、昼前に出て、地下鉄で市内ウロウロ。
 自転車の方が便利なのだが、上町台地が含まれると、電動アシストでなければ無理である。
 15時過ぎに南森町で終了。
 歩数計を持つのを忘れた。地下鉄利用だから5000歩以下と思うが、階段の昇降がきびしい。
 ハチの前を通過。
 ハチには「ランチ営業は休み」の張り紙がある。
 またダウンか、ちょっと心配になる。
 旭屋に寄る。
 お、『男の隠れ家』7月号が出ている。
 
 「故郷の味を愉しむ自家製の酒肴」という特集が泣かせるではないか。
 出版元がややこしい事情で倒れたようだが、「発行・発売」元が変わって、編集スタッフはほぼ同じまま。
 まあ、ともかく雑誌が継続して何よりだ。
 おれとしては、ジャズを巡る旅でつきあった人たちの好印象をよく覚えているからである。引き続き愛読しまっせ。
 ここに紹介してある酒肴をさっそく作ってみたくなるが、本日は、19時から、居住する集合住宅の総会である。
 晩酌は21時からになってしまった。
 「酒肴」は来週、播州龍野で試みることにしよう。

5月30日(土) 穴蔵/SF検討会
 早朝、朦朧とした状態で昨日の夕刊(5/29)を見てびっくり。
 一面に「箸墓古墳は卑彌呼の墓?」……放射性炭素年代測定法で「240〜260年に築造された」ことがわかったという。
 このニュースについては、ヘリコニア談話室トベクマさんのコメントが的確で、おれも石原藤夫博士の『卑彌呼と日本書紀』を読んでいたから、内容でなく記事の大きさに驚いたのである。
 『卑彌呼と日本書紀』は未来研究の手法を古代史に適用した「探偵の物語」でもあるので、前の感想文で石原博士が辿り着いた「真相」を書くのを控えていたのだが、石原博士の結論はドンビシャなのである。
 新聞記事を読むと、考古学の世界では(九州説派と大和説派とは別に)文献派と科学派の対立が伺えるのだが、ちがうのだろうか。石原博士の方法はどちらに捕らわれるものでもなく、膨大な文献と「年輪年代法」の両輪で真相に迫っているのである。
 終日穴蔵。
 少しは仕事もするのであった。
 夕刻、かんべむさし氏来穴蔵。山椒焼酎持参。
 久しぶりに定員2名内容非公開のSF検討会なるものを開催する。
 テーマ雑多。
 といっても、最初のテーマが「前田五郎」だったから、あとはアホな話ばかり。
 気がつけば3時間経過。
 山椒焼酎「AGEHA」の湯割り飲み過ぎにつき、早寝。

5月31日(日) 穴蔵
 雨天につき、終日穴蔵、少しは仕事もするつもりが、7時には雨はやみ、昼前には晴れ間も。
 ヨジバシへ雑品の買い物に行く。
 ついでに阪神百貨店地下のスナックパークへ。
 昨日のかんべ情報通り、姫路名物「えきそば」が出店していた。
 
 姫路駅周辺以外では初の出店。
 以前、讃岐うどん「楽座」のあった場所である。
 えきそばは「天ぷら」のみ。あとは普通の立ち食いメニュー。
 味は、ま、姫路駅と変わらない。姫路まで行くついでのない方にはお薦めである。
 ここにもう一軒「大吉」という讃岐うどんが出来ているのに気づくが、後日調査とする。もうハシゴは無理である。
 ということで立ち食いうどんに記事を追加する。
 これといった仕事もしないうちに5月が終わる。嗚呼。

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