『マッドサイエンティストの手帳』449

●マッドサイエンティスト日記(2009年3月前半)


主な事件
 ・都内ウロウロ(6日)
 ・日本SF大賞贈賞式(6日)
 ・JAZZ AT XIV琵琶湖(8日)
 ・風力発電装置「赤とんぼ風車」(12日)
 ・創サポ講義(14日)


3月1日(日) 穴蔵
 わ、目覚めれば3月だ。
 スギ花粉も飛び始めたし、どうやら春は近い。
 張り切ってゴロ寝。溜まっている本を読む。
 といっても、歳である。ひどく目が疲れる。
 枕頭に10冊ほど積み上げているものの、読んだのは田中森一『反転』のみ……しかし、こりゃまた凄まじい。森一くんはおれの一歳上、今は収監中だ。おれは10日ほど仮釈放だけど。共感は覚えず、ただこんな別世界(裏社会のみならず、検察上層部も含めて)があるのだなあと感嘆するばかり。
 食事で自宅へ行く以外、終日穴蔵を出ることなし。
 人これを冬眠と呼ぶ。

3月2日(月) 穴蔵
 終日穴蔵……といきたいところなれど、金融機関関係の月次処理、週末上京のチケット手配などあって、午前中外出。
 風が強い分、花粉が昨日よりひどい。
 午後は穴蔵にて作業。
 マスクして1時間半ほどウロウロしただけだが、鼻水とまらず。
 しゃべったり体を動かしている時はいいのだが、ひとりでじっとしているとなぜかズルズル状態になる。
 困ったことだ。
 事情あって、本日はアルコール抜き。
 早寝できず、めずらしくテレビで『チームバチスタの栄光』を見る。
 21時から映画見るなんて年に1度あるかないか。
 劇場では見てないけど、相当カットされているとしか思えないなあ。特に最後の2段階解決の部分は。

3月3日(火) 穴蔵/安藤忠雄建築展/ハチ
 定刻午前4時に起床。飲まなかったから熟睡はできなかった。
 メールを見たら、ややこしいミス指摘あり、慌てて数ヶ所にメールとFAX。焦るなあ。
 朝9時に近所の内科医院へ行って定期検診+諸々の検査を受ける。
 旧友が先日ちょっと危なかったので、おれも用心しなければならぬ。
 怖いのは血液の流れが止められる症状だからなあ。
 血はサラサラ流れる。ブロックが怖い。理にかなっているのである。
 昼前に専属料理人と地下鉄で本町へ。
 「TOTOテクニカルセンター大阪」で開催中(3/7まで)の安藤忠雄建築展「挑戦−原点から−」を見に行く。
 御堂筋に面したビジネスビルだが、客の半分以上は建築科とおぼしき、むさくるしい学生諸君である。
 東京方面では「住吉の長屋」の原寸大模型が展示されたようだが、こちらでは会場のスペースから無理だったみたい。
 いったん帰館。
 夕刻、歩いて梅田へ。
 大学の同級生・チャンタくんと会う。
 地下街の正起屋でビール、ヤキトリなど。
 あと、雨の中、ハチへ。
 先日チャンタくんが入れておいてくれたワイルドターキーの開封のためである。
 雨だからガラガラと思っていたら、若い連中がボチボチ集まってくる。
 なんでも「ひな祭り」ライブをやるのだとか。
 21時頃からライブ。
 
 某社の要職にあるHさん(ベース)も来て、ギターとのデュオ。初めて聴くが、なかなかの腕ではないか。おれの後輩だけのことはある。
 ということで、22時過ぎまで飲んでしまった。
 千鳥足で帰館。
 爆眠。

3月4日(水) 穴蔵
 よく寝た。
 午前7時に目覚めて朝刊を見たら、昨日、小沢一郎の公設秘書を逮捕というニュース。
 こりゃすごい。すごいが、よくわからん。
 ……「国策捜査」という検察批判がよくなされるが、そもそも基本的に検察の捜査方針はすべて国策によるものである。(田中森一『反転』)
 これを読んだばかりだから、まあ、当然の流れと思うが。
 小沢は昔検察を動かした(動かそうとした)立場だから、手の内は知り尽くしているはず。
 どう出るかと思ったら、9時過ぎに堂々の検察批判。
 面白くなってきたなあ。
 ワイドショーを幾つか見たが、コメンテーターなる電波芸者諸君もどっちつかずである。ま、どっかから金貰ってない証拠でもあるけど。
 穴蔵にて、少しは仕事もするのであった。
 専属料理人がボランティアのグループと旅行に出かけてしまった。
 夜は、炊事が面倒になり、近所の凄まじくも楽しい立ち呑み屋「はなび」で晩酌。
 
 おでん、とんテキ、トマトでビール。
 わびしいものである。

3月5日(木) 穴蔵
 啓蟄である。
 S字型のいやなのがゾロゾロ這い出してくる季節の到来である。嗚呼。
 キンタマが収縮しないのはいいけど、播州龍野へ行ったら警戒しなくては。
 で、啓蟄なれど、おれは穴蔵にこもったまま、雑事を粛々と片づける。
 断続的にテレビで「小沢の公設秘書逮捕」の報道を見るが、新情報は何もなし。
 色々出てくるのは、たぶん検察からのリークであろう。
 したがって、テレビ報道は小沢糾弾の方向へシフトしつつある。
 国策捜査だから致し方あるまい。
 いや、どちらを応援する立場でもないのだけど。
 万が一、小沢の天下になったら、検察の首脳には恐ろしいことになるぞ。
 それだけに検察も必死なのである。
 あ、チンカス三百代言の五十嵐敬喜を思い出した。あのカス弁も早川清という旦那しくじったら大変だと、必死だったんだなあ。バカ質問しかできなかったけどよ。
 お足ほしさに提訴しましょうよと旦那を使嗾して、始まってしまったら引っ込みがつかなくなったってところかな、ハゲ頭の五十嵐はんはよ。
 当分、退屈はしないなあ。
 ということで、そろそろ就眠。
 明日は上京である。

3月6日(金) 上京/渋谷/表参道/日本SF大賞贈賞式
 朝だ。雨が降っている。アサダ……もういいか。
 午前9時過ぎののぞみで上京。ちょうど1年ぶりである。
 ボケーーーーッと車窓から風景を眺めながら移動する。10分ごとに新しい建物や看板が見つかるから飽きない。
 昨年夏のSF大会ツアーでいっしょだったSFファンのAさんがホームまで出迎えに来てくれた。
 いっしょに都内をウロウロする約束だったのである。
 まず……有楽町線で東池袋へ。
 うまい魚で昼飯ということになって、古い魚屋の隣の小さい「直営食堂」へ案内してもらう。
 刺身定食+カレイの煮付け。これが、旨いの旨くないの……旨いのであります。
 この店、店名を書くのはちと迷う。グルメ誌に取り上げられては困るらしい。
 新しい高層ビルの隣というか、大勝軒の行列の近くというか……まあ、どうしても知りたい方はメールでお問い合わせを。
 東池袋から副都心線で渋谷へ。
 安藤忠雄設計の副都心線・渋谷駅を見学する。
 巨大ラグビーボール型の宇宙船をイメージしたというが、宇宙船の外観がよくわからない。
 案内で訪ねたら「ここがその内部です」という。
 
 駅は「地中に埋もれた宇宙船の内部」にあるのだという。だから宇宙船でなく「地宙船」と表記されている。
 外殻の一部はホームの上に露出している。
 太古に地球に不時着した宇宙船みたいでいいではないか。
 JR渋谷の「岡本太郎の壁画」を見て、今度は、銀座線・表参道へ。
 ここで安藤忠雄設計による「表参道ヒルズ」を見学。
 緩い坂道の欅並木のイメージを損ねないように、低層のビルに見えるが、内部は意外に深い吹き抜けである。
 
 最下層のファッション誌が展示してある広いスペースで休憩、コーヒーを飲む。
 雨のせいか、意外に空いた、贅沢なスペースである。
 あ、これは安藤忠雄氏の「アトリエ」内部のイメージと同じではないか?
 最下層中央にデスクを置いて、全スタッフに直接声をかけられるという……。
 千代田線で東京會舘へ移動。
 SF作家クラブ総会。
 夕刻から「徳間文芸三賞」の贈賞式である。
 今回の受賞者と作品は、
 第11回大藪春彦賞
  東山彰良『路傍』(集英社)
 第29回日本SF大賞
  磯光雄『電脳コイル』
  貴志祐介『新世界より』(講談社)
 日本SF大賞特別賞
  野田昌宏氏
 第10回日本SF新人賞
  天野邊『プシスファイラ』
  杉山俊彦『競馬の終わり』
 
 写真は右から東山さん、貴志さん、磯さん、野田さんご弟妹、天野さん、杉山さん
 贈賞式のあと懇親パーティ。
 色々な人に会う。30年ぶりなんて人に会ったりして驚く。
 二次会は遠慮して、地下鉄で南阿佐ヶ谷へ。
 ホテルにチェックインのあと、阿佐ヶ谷一番街の「鳥正」へ。
 モツ煮込みなどでビール。
 おばあちゃんは「米寿の祝いのあと」、ちょっとした骨折で、それを機会にリタイアしたという。
 元気だったんだなあ。
 今はご子息夫妻が切り盛りしてはる。メニューも味も変わらず、伝統は継承されていくのだった。

3月7日(土) 都内ウロウロ
 東京の休日。
 ボンクラ息子その1・改メ・ボンクラ親父の息子その1と晩飯の約束だったのが、昼にしたいと連絡してきた。
 南阿佐ヶ谷のホテルから徒歩7分にいたのが、事情あってつい先日、森岡浩之さんの近所へ引っ越してしまったのである。
 肉よりは魚というので、東池袋で待ち合わせ、昨日に引きつづき本日も「魚屋直営食堂」へ行く。
 「今日は北海丼がおすすめですよ」というので、それを注文。
 ウニ・イクラ・シャケなどがてんこ盛りの丼が出てきた。
 旨いのなんの、ボンクラ親父の息子その1、思わず絶句。
 近所に住んでいたら毎日でも通いたい店だ。
 ボンクラ息子その1・改め(以下略)、事情があって、家具を買いに行き、夜はテレビでWBCを見るというので、地下鉄の途中駅で別れ、おれひとり銀座へ。
 雨後の快晴で、花粉を警戒しなければならぬ。
 山野楽器を覗くが収穫なし。
 ノエビアのギャラリーで小林泰彦『無名百低山』原画展を見る。
 
 疎開先の名栗村辺りは避けられているような気がするなあ。
 低山とは標高1500メートル以下の山ということで、おれには結構高いなあ。おれには天保山くらいの山がいちばんいい。
 南阿佐ヶ谷に戻り、ネットカフェでメールのチェックその他1時間。
 昼飯の反動というか、夜は外で中途半端な食事をするのが面倒になり、コンビニで弁当とビールを買って帰館。シャワーで花粉を洗い流したあと、ビール飲みながら日本〜韓国戦を見る。
 職業野球を見るのは久しぶりだが、冗長だなあ……。
 本を読むには、ホテルのベッドの照明は暗く、たちまち目が疲れる。
 穴蔵に帰りたいなあ。
 もう2泊以上の旅行は無理な気がしてくる。

3月8日(日) 東京→米原/「JAZZ AT XIV琵琶湖」
 鼻水とくしゃみであまり眠れず。
 10時前に南阿佐ヶ谷のホテルをチェックアウト。
 ネットカフェに1時間ほど寄ってから、東京へ移動。
 昼過ぎのひかりで米原へ。
 琵琶湖湖畔にあるリゾートホテルでの「第2回 JAZZ AT XIV琵琶湖」に参加である。
 SF大賞の帰路、米原で下車、これは昨年とまったく同じパターンである。
 近江牛のステーキなどでビール、ワインを飲みつつニューオリンズ・ジャズを堪能。
 もと神戸ジャズ大使・川島陽子さんの司会で、出演バンドは、
 ・NOグローリーランド・ジャズバンド
 ・ニューオリンズ・レッドビーンズ
 ・サウスサイド・ジャズバント
 ・マホガニーホール・ストンパーズ
 ・cl tb tpの勢揃い演奏
 ・ロイヤルフラッシュ・ジャズバンド
 ・ニューオリンズ・ラスカルズ
 で22時まで。
 
 最後は例によって全員で盛大に「聖者の行進」、22時終演。
 二次会は、2部屋を使ってワイン・パーティがあり、参加資格は仮装してくることという。
 「仮装パーティ」である。
 皆さん、カツラとかマスクやメガネを持参。
 
 おれは旅の帰路で、装束を持ち歩くのが面倒だから、「白衣なしのマッドサイエンティスト」である。
 つまり「目玉」だけ持っていたのだが、これは不評であった。
 リアルで、仮装に見えないということらしい。嗚呼。
 が、ワインはありがたくいただき、深夜就眠。

3月9日(月) 米原→大阪
 琵琶湖畔のリゾートホテルにて目覚める。
 11時から横の教会でラスカルズのチャペル・コンサートがあるのだが、雑事が溜まっているので、朝食後に帰阪することにする。
 8時前、送迎バスがまだ動かないので、駅までブラブラ歩くことにする。
 と、直線状の水路の端に排水機場があり、その向こうが「琵琶湖干拓資料館」。前に古い揚水機が展示してある。
 
 石碑の表記から、ここが「入江干拓地区」であることを知る。
 来るときに送迎バスから見て「この辺は農地が広いなあ」と感じていたのである。
 歩いてみるものだ。
 資料館の開館時間まで待つわけにもいかず、来年来ることにしよう。
 昼前に帰館。
 ほっ。やっぱり穴蔵は落ち着くなあ。
 ということで、雑事色々片づけ、普通のメニューで晩酌、早寝するのである。
 明日から田舎行き。

3月10日(火) 大阪→播州龍野/代用冷麺の夜
 早朝の電車で播州龍野へ移動する。
 午前9時の本竜野駅にて身内と交替。
 長期間、よくやってくれたものである。
 ということで<下男モード>入り。
 老母の「定額給付金申請書」が届いている。
 そういえば「たつの市」は西日本では給付がいちばん早く、マスコミでも報道されていた。
 代理人の手続きが面倒なので、母を連れて市役所へ出向く。
 「え、なんで2万円もらえるの?」などといっておる。
 「なんかしらんけど、くれるねん」
 「ふーん」
 「貰えるもんは貰ろといたらええがな」
 「そうやなあ」
 「わしが代わりに貰てもえんやけど、手続きがややこしいねん」
 「ビールでも買うたらええがな」
 ということで、2週間以内に振り込まれるらしい。むろん、そのまま貯金である。
 タイムマシン関係……今年は「冬眠」の予定だったのが、某国からカタコトのニホン語・英語・某国語が入り交った国際電話がかかってきた。相手は資材部門の若い女性らしい。
 「あの、前のestimate高いよ、レートたいへんよ、もと負けてよ、エン高いよ……」
 先日のSF大賞パーティでの白鳥某子を思い出すなあ。今夜ヒマしてるよ、きと来てよ、まてるよ……ワタシ頭痛してきたあるよ。
 某国はどうも本気。今年はゼンジー北京師匠のお祓いはうけられなかったけど、堀川戎の御利益ありや。
 がんばるのである。
 ということで、夕食は、老母メインに、おれはヤッコ、みりん干しなどで軽くビール。
 20時前に老母が寝た。
 本日は比較的暖かく、シャワーを浴びたあと、無性に冷麺が食べたくなった。
 「代用冷麺」を作ることにする。
 今季はヒガシマルのぶっかけ素麺つゆを買い忘れたので、ネットで「冷麺のスープ」レシピを調べてみるが……牛スープも鶏ガラスープもない。ニンニクもレモンもない。
 ここはシンプルに、醤油・塩・酢だけでスープを作り、素麺・トマト・カイワレ・ハムを入れて、キムチをドサッ、氷をのせる。
 
 ん……コクはないけど、さっぱりした味で、そこそこいけるではないか!
 スープを飲むわけではないし。
 ま、これをベースにこれから色々工夫してみよう。
 「神の河」ロックで2杯。
 播州龍野の夜は早い。21時半、そろそろ就眠である。

3月11日(水) 播州龍野の日常
 わ、いかん。目玉が痒くて3時頃に目が覚めてしまった。
 花粉が入っているのであろう。
 目をつぶっていて痒いというのには困ったものだ。
 カユーイので思い出して間寛平ちゃんのブログを見たら、ロスに到着直前である。出発したの、つい先日みたいな印象だが。がんばってはるのだ。
 4時に朝刊が届く。
 一面に「道頓堀でカーネルサンダース人形発見」の記事。
 確かにトップ・ニュースとは思うが、がっかりでもあるなあ。
 野尻ボードだったと思うけど、カーネルサンダース人形が月面で発見されるという、J・P・ホーガンも顔色なしのアイデアが掲載されていたはず。これが現実になる可能性がなくなったとは寂しい……。
 本日も下男(おとこし)仕事色々。
 朝、相棒の某くんに、それぞれのクルマでMさん自動車まで同行してもらう。
 車検である。タイムマシン業者が空間移動装置を導入したのが3年前、早いものである。
 クルマを預けて、某くんのクルマで帰館。
 本日は自転車で銀行や食品スーパーに行く。
 健康にはいいのだが、クルマが怖いねえ。
 クルマに乗って初めて自転車の危うさがわかるのである。
 ということで、夜はキムチ鍋でビール。
 早寝するのである。

3月12日(木) 播州龍野/風力発電装置「赤とんぼ風車」
 午前、老母を定期検診のため近所のI医院へ連れて行く。
 数値は相変わらずであるが……年相応の状態について、老母を病院へ連れて行って一度検査を受けるようにいわれる。
 「テクノはご存じですか?」
 「テクノパークですか? スプリング8へは行きましたが」
 「あの近くの病院へ紹介状を書きますから」
 予約制で、最新設備が揃っているらしい。
 I先生から「何もかも身内で抱え込むのはたいへんですから、利用できる制度は使う方がいいのです」とアドバイスいただいたあと、
 「医学系のSFは書かれないのですか?」
 「ぼくは書いてませんけど」
 「行ってみたら、色々面白いと思いますよ」
 そうか、何でも取材と考える方がいいのだな。「世話」と思うからストレスが溜まるのである。
 さすが名医、わがイライラまでお見通しのようである。
 午後、自転車で揖保川上流へ出かける。
 時々散歩する祇園橋上流の堤防から、対岸(西側)に風車が見える。
 前から気になっていたのだが、仮想工作室で、これが自家製の風力発電装置であることを知る。
 天気がいいので、見学に行ってみることにした。
 自転車で15分ほどの距離。すぐわかった。
 
 赤とんぼ風車
 製作者の福島隆信さんがちょうどメンテナンス作業中だった。
 とつぜんの訪問だが、色々と説明していただく。
 6年前から作り始めて、本格的な作業は発電機関係の会社をリタイアされた2年前から。
 名前は「赤とんぼ風車」
 支柱は15m、ブレードは差し渡し12mで、個人の製作物としては相当大きい。
 特長は大きくはふたつ。
 ・ブレードのピッチが風速に応じて変わる機構を備えていて回転を安定させる(特許出願中)。
 ・風車の回転機構と発電装置全体が昇降する構造になっていて、メンテナンスや強風時の安全対策がとられている。(写真の状態からさらに2m下降できる)
 ちょうどメンテ中で、発電機や昇降の機構も近くで見せていただいた。
 今の発電機は500ワットだが、ブレードのサイズからは数十キロワットまで可能らしい。
 「そよ風でも回る風車を普及させるのが夢」……いいなあ。
 ブレードの先に赤とんぼのマークが描かれていて、これは播州龍野の名物になるのではないか。
 近くだから、今度は回っている時に見に来ることにしよう。
 で、タイムマシン格納庫に戻ると、某国の案件、動き出した気配。
 おれもがんばらねば。
 「医療機器」「風力発電」「タイムマシン」の三題噺を考えるか……
 ということで、21時過ぎ、そろそろ就眠。

3月13日(金) 播州龍野→大阪/播州一の恥さらし
 午前4時に起床、朝刊を読んだあと、精力的に下男仕事を遂行する。
 午前10時過ぎの姫新線で大阪に向かう。
 姫路駅、例によってコンコースを自転車で走り抜けていくアホがおる。ぶつかりかけた。
 
 コンコースは屋内だが、傘さしたまま。
 地元の恥をさらすが、姫路の交通マナーの悪さは西日本一で、おそらく日本一であろう。
 10年前、姫路のタクシー事情のひどさは全国一だった。
 駅タクの近距離拒否は当たり前で、「姫路城まで」なんていおうものなら「そこに見えとるやろが」と怒鳴られるのが普通だったのである。
 筒井康隆氏が姫路文学館に講演に来られる時に、駅からタクシーはやめた方がいいと忠告申し上げたほどである。
 筒井さん、姫路職員から「姫路の印象は?」と訊かれて「ともかくタクシーが恐ろしいから」といったら、市役所職員は否定はせず「改善に努めております」といったとか。
 ま、最近は「近距離専用」の乗り場もあって、少しはマシなようだけど。
 おれ? 姫路のタクシーには一生乗りません。
 播州の交通マナーはタクに限らず、自転車も三輪車も、おしなべてひどいのであろう。上田さんと八杉さんは例外だけど。
 ともかく、無事に姫路を通過して、昼過ぎに大阪に帰れた。
 雑用の処理……と思ったが、郵便物など読み始めたところで睡魔に襲われ、夕方まで仮眠。
 専属料理人からの電話で起こされて、3日ぶりにシャワーを浴びる。
 専属料理人に色々並べてもらってビール。
 早寝するのである。

3月14日(土) 穴蔵/創サポ
 朝だ。雨が降っている。もういいか。
 穴蔵にて粛々と仕事をするのであった。
 楽しきかな人生。
 夕刻、地下鉄で天満へ。
 エルおおさかにて創作サポートセンターの講義。
 本日は、青心社・青木治道さんと対談形式で、提出作品19篇について2時間でコメントするのである。
 平均6分/篇となるのだが……。
 
 SF、ファンタジー、学園もの、ホラー、恋愛小説、芸道もの、紀行、メタフィクションまで多彩。
 面白い作品が多かったのは確かである。
 青木さんとは35年以上のつきあいになるのかな。おれが駆け出しボンサラ、青木さんはSF研の学生の頃からだものなあ。
 その青木さんのコメントが面白く、おれにも勉強になること色々ある。
 おれはのコメントは技法上のことが中心になるのだが、青木さんの場合、さらに感覚的に理解できるかどうかが加わる。これは精神年齢が若いということではなく、厳しいマーケティング感覚が作用してのことらしい。
 二十歳の女性の恋愛感覚なんて、おれには生理的感覚的理解は不能だものなあ。
 大阪で出版社を経営してきただけのことはあるなあ。
 ということで40分も超過してしまった。
 まっすぐ帰館。
 デフランコなど聴きつつビール、湯割り。
 気分よく就眠するのである。

3月15日(日) 穴蔵/外道ソング「手紙」
 わ、快晴である。
 雨後の快晴で風もある。
 花粉の大量飛散必至、終日穴蔵に籠もることにする。
 朝刊で「手紙〜親愛なる子供たちへ〜」という歌が「千の風になって」につつづくヒットになるかも……みたいな記事を読む。
 そういえばテレビでもちらっと見た(聴いた)ような。
 この曲を流行らせようとプロモーションが行われている気配だ。
 暗澹たる気分になる。いや、むしろゲロが出そうな。
 これは親が子供に介護を強要する内容である。
 やめてくれよ。
 「千の風になって」も好きではないが、まだ許容できる。墓参り不要・墓も要らないだから、散骨予定のおれにとっては邪魔な曲ではない。
 「手紙」はいかん。
 親からこんなこと強要されてもたまらんし、おれは、こんな嫌なことを子供に頼む気は毛頭ないぞ。
 歌詞を引用して逐語的にツッコミ入れたいところだが、やめとこ。手が汚れるわ。
 こんな歌が流行って、子供が精神的負担を感じたらどうするのか。
 おれが子供に頼むとすれば「できればおれの尊厳を守ってくれ」だけだな。合法的な範囲でなら「始末」してほしいのだが。
 ともかくお互い勝手気ままににやろうぜ、ボンクラ息子どもよ。世間体なんて気にするな。放っといてくれていいんだから。
 そもそもこの曲、ボケてない(利にさとい)作者がボケを詠むところがあざとい。
 どうせ作るなら、「老老介護」を超えた「ボケボケ介護」のコミックソングを作ってほしいものだ。
 「手紙〜親愛なる子供たちへ〜」に関わっている外道どもに呪いあれ!
 ということで、終日不機嫌に過ごす。

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