『マッドサイエンティストの手帳』323

●マッドサイエンティスト日記(2005年1月後半)


主な事件
 ・播州龍野の日常(17日〜)
 ・穴蔵の日々(21日〜)
 ・播州龍野の日常(24日〜)
 ・久しぶりに上京(28日〜30日)


1月16日(日)
 終日穴蔵。
 片づけておくべき雑件が多い。

1月17日(月)
 定刻午前4時に目が覚める。
 阪神大震災から10年。
 やっぱり、この日の朝は緊張する。
 10年前のこの日も、午前4時に起きてパソコンに向かっていた。
 倒れてきた本棚をパソコン(デスクトップ/ディスプレイはCRT)が受け止めたので直撃は免れたが、今の机と本棚の状態だとやばいね。
 5:46が過ぎてから出かける。
 早朝の電車で播州龍野へ移動。
 またしばらく、播州龍野での生活である。
 各紙に『1.17宣言』が掲載されている。
 立派な宣言で、こういうのにおかしなコメントをするのはまずいのだが……。
 「1月17日は忘れない」
 この助詞の使い方について「は」か「を」か議論はなされたのだろうか。
 6紙をチェックしたが、何も触れてなかった。
 ま、単に好みの問題だけど。

1月18日(火)
 播州龍野の日常。
 書斎の防寒対策のためにまず本の整理。
 2階の本棚と1階の書庫を数往復、せいぜい30冊ほどを運んだところで、読みたいのが数冊出てきたため、結局、終日コタツで老母とともに本を読んで過ごす。
 福本和也『悪の決算』……これは1963年の作品だが、今読み返しても傑作である。
 カミソリのように切れる経済ヤクザ、その忠実な手下(この愚鈍な男が、しくじりからタタキの世界に身を落とし、そこから一人前の悪党として這い上がっていく過程が抜群に面白く、一種の教養小説である)、帝大卒の片腕の参謀……テレビドラマでは、それぞれ天知茂、芦屋雁之助、山茶花究が演じたが、これまた見事な配役であった。ビデオは残っていないだろうなあ。

1月19日(水)
 播州龍野の日常。
 比較的暖かいので散歩に出る。
 健康のため、徒歩。
 橋を渡り、旧市街を抜けて龍野公園まで10分。
 脚力チェックも兼ねて、山の中腹にある宿禰神社まで登ってみる。
 展望台から最後の石段まで、途中で休憩することなく登れた。
 下界は春霞がかかったような気配。
 off off off
 A200で撮影すると、28ミリと200ミリでこのようになる。
 200ミリ画像(光学ズームは使用せず)からわが家を切り出してみると、ほとんど細部まで確認できる。ちなみに右側の掲載画像はわが家ではなく、ご近所である(防犯のため)。
 たいしたものだ。
 ここには「取的の元祖」野見宿禰が祭られている。大和から故郷の出雲に帰る途中、龍野で病死したとかいうのだが、全国あちこちにある宿禰神社としてのランクはどの程度なのだろう。一応幕内クラスなのだろうか。
off off
 小学生の頃には、大相撲の地方巡業で、姫路で興業があれば、宿禰の顔を立てて、翌日は龍野でということになっていた。したがって、千代の山、鏡里、吉葉山、栃錦の四横綱の実物を見たことはある。
 吉葉山の引退後、相撲への興味は急に失せた。ということは、おれが相撲ファンであった時期は短いのだなあ。
 夜のNHKニュース、松尾武という元報道局長が「政治的圧力」に関する朝日の報道について、えらい剣幕で吠えている。
 が、この雰囲気、なんだか北朝鮮のテレビに似ているね。
 泣くプロデューサーが出てきたり、吠える元局長が出てきたり、NHK内部は大混乱らしい。こういう場合にこそ「お騒がせして申し訳ありません」とエビが詫びるべきだろうが。
 それに較べて、朝日の紙面に「内部の混乱」は感じられない。
 しかし、どちらの報道が正しいのかというと……ま、印象判断はやめとこうか。

1月20日(木)
 播州龍野の日常。
 定刻午前4時起床、朝日の朝刊、いつもなら週刊文春と並んで掲載されるはずの週刊新潮の広告がない。これは「たぶん」と予想して、昼前にコンビニで確認、週刊新潮のトップ記事が『朝日「極左記者」とNHK「偏向プロデューサー」が仕組んだ「魔女狩り」大虚報』……これで広告掲載拒否なのであろう。
 ありそうなことだ。
 で、「極左記者」とは……と見れば、案の定、またアノ御仁だ。
 週刊文春の「渡部絵美の衝撃の告白」もすごいけどね。
 夕刻帰阪。
 夜、『富豪刑事』の2回目を見るが、脚本があまりにもお粗末。原作はミステリーとしてもきちんとしており、あらゆる可能性をチェックした揚げ句、最終的な方法として大金を使う罠が仕掛けられる(しかも、結果として、事件は解決し、しかも大儲けにつながる)ところに面白さがあるはずなのに、オリジナル脚本となると、いやはやなんとも……。
 面白いのは「最後の1分ほど」だけで、これ、「予告編的な部分だけがだんだんエスカレートしていく連続ドラマ」という新趣向なのだろうか。
 それならそれで期待できるのだが。
 本日、朝起きてから就眠寸前まで、なんやら混乱続きの一日であった。

1月21日(金)
 寒い。播州龍野よりも大阪の方が寒い感じだ。
 こんな日は穴蔵に閉じこもっていたいが、来週は平日に出歩く時間がとれそうになく、業務上の雑件処理のため外出。
 梅田界隈2時間ほどウロウロ。ルン吉くん、いないなあ。
 午後は穴蔵。
 夜のニュース、今度は、朝日新聞がNHKに対して「提訴前提の抗議」の記者会見。
 ポイントはNHKが「録音テープがあるなら、取材倫理に反する」「録音テープがあるなら出せ」に対して、朝日は「有無の含めてコメントできない」
 隠し録りしていたのは間違いなさそうだが、公開したら、双方ともまずいことになるから、取引材料に使ってウヤムヤというところかな。
 NHKも「録音テープ」なんて表現は時代遅れ。朝日の極左記者がデジタル・レコーダーをポケットに忍ばせていたのであろう。「テープはない」といっても嘘にはならんのだがねえ……。

1月22日(土)
 寒い。
 この冬いちばんの冷え込みらしい。
 ボンクラ息子その1が「ノートパソコン余ってないか」と電話してきた。
 友人から貰ったのが不調らしい。
 龍野で使用しているノートを息子に譲り、デスクトップに変更しようかと検討開始。
 ノートパソコンはどうにもキーボードが性に合わないのである。
 10万以下で、現在使用している98デスクトップ機よりも数段高性能のが導入できそうである。
 午後、ヨドバシへ行ってパソコン現地調査。
 迷うなあ。
 夕刻、天満、エル大阪へ。
 大阪シナリオ学校の創作講座、芝崎さんが独立した組織でやることになり、その相談。近日、新HPが開設されるらしいので、詳しくはその時に紹介予定。
 記念イベントを何案か考えるが、どうなりますやら……。
 深夜、またもボンクラ息子その1から電話。
 ノートパソコンは電池が過充電?でおかしくなっていた。電池を抜いて100V電源だけで使えば正常だから、当分これを使うという連絡。
 わしゃ、気分はデスクトツプ機に傾いていたのだがなあ。

1月23日(日)
 朝から西長堀の市立中央図書館へ。
 終日雑読。
 日曜は混んでいるなあ。再三「置き引きに注意」のアナウンス。
 周囲を見ると、本を読まずに居眠りしているのが3割以上。怪しいやつばかりである。
 開架式の図書館で、ショルダーを下げたままウロウロするのはたいへんである。
 調べものの合間に、筒井康隆の二大連載、『銀齢の果て』『巨船ベラス・レトラス』を読む。後者は「大いなる助走の21世紀版」というのだが、いったいどんな展開になるのか。

1月24日(月)
 早朝の電車で播州龍野へ移動。
 本日より相棒の某くん、タイムマシン整備のために重慶行きである。
 サッカーの騒ぎを見ているから、ちと不安である。
 が、まあ、ふたりで行くほどの作業でもなし。
 おれはその間、タイムマシン格納庫で見張り番というわけである。
 この季節、暖房のない作業場だとキンタマが収縮してしまうのだが、隣接して事務スペースがあり、こちらは冷暖房完備パソコン付きであるから快適である。
 夕刻、実家に戻って料理番。

1月25日(火)
 播州龍野の日常。
 午前7時、この時刻、龍野では毎日「赤トンボ」のサイレンが鳴り響くのだが、同時に、町内放送のスピーカーが何らやらがなり立てはじめた。
 この放送、たいていが「誰それさんが亡くなられました、通夜は○○、告別式は○○、バスが公民館の前から……」というのが多い。
 が、本日、延々と放送。よく聞き取れないが、どうやら複数の死者が出たらしい。
 ま、年寄りが多いから、偶然だぶったということだろう。
 『銀齢の果て』を読んだあとだから、近所で老人の殺戮戦が始まったのではないかと余計な想像をしてしまう。
 うちの老母なんぞは、最初に殺されてしまうだろうなあ。
 朝・昼・晩は料理番。
 昼間はタイムマシン格納庫で見張り番。
 だんだん調理の腕が上がるのが、われながら恐ろしい。
 専属料理人にヒマを出すのも時間の問題であるなあ。

  1月26日(水)
 播州龍野の日常。
 終日、タイムマシン格納庫で見張り番。
 芸術新潮の「マルセル・デュシャン特集」を読む。便器やモナリザのヒゲでお馴染みのお騒がせ男。81歳での死後に公開された「遺作」に20年かけていたという話は知らなかった。
 年齢だけでいえば、おれもそろそろ遺作に取りかかる時期ということになる。

1月27日(木)
 播州龍野の日常。
 夕方まで、タイムマシン格納庫で見張り番。
 夕刻に兄が到着する予定なので、こちらは少し前に帰阪。
 姫路〜大阪間のどこかで兄弟すれ違いである。
 夜、大阪に帰宅。
 ビール飲みながら『富豪刑事』第3回……これ「原作」は抜群の「密室もの」だが……うーん。
 予告編だけが面白くなっていくなあ。
 今のところ、これは最後の2分ほどを楽しむ連ドラである。

1月28日(金)
 久しぶりに上京。
 江東区にあるボンクラ息子その1の部屋にスペアキーで入って荷物を置く。
 地下鉄で秋葉原へ。久しぶりに散策。4年ぶりくらいかな。あまりの変貌に唖然。大阪の日本橋もすごいものだと思っていたが、大阪はまだおとなしいものだ。駅のそばも工事中、この界隈いったいどうなるのか。
 夕刻、東京會舘へ。
 某委員会。
 長谷部史親さん、清原康正さんと、1年ぶりに小説談義。
 SF・ミステリー・ホラー以外の話をするのはこの時くらいかな。
 色々と教えられることが多い。
 午後10時頃に江東区へ戻ると、ボンクラ息子その1も少し前に帰ったばかりという。
 大阪から持ってきた食材、帰りに買ってきたワインその他を並べて、深夜まで親子酒。
 テレビで『特命係長・只野仁』というのを初めて見た。
 かなりの人気番組という。へえ〜〜であるなあ。
 これはおれの無知らしい。
 で、ボンクラ息子その1に「唯野仁」を知っているかと訊けば、知らないという。
 困ったものだ。
 「世界の中心で……」に限らず、タイトルのパクり方というのも研究してみる必要があるなあ。

1月29日(土)
 東京の休日。
 ボンクラ息子その1、土曜だが、月末の処理が色々あって出勤だという。
 で、送り出したあと、午前中、パソコンを借りて雑件色々。ソフトが不足で不便であるが、次回上京時に整備することにして、これからはフラッシュ・メモリーだけ持って上京すれば、この部屋である程度仕事ができることが判明した。インターネット接続できるビジネスホテルより遙かに居心地がいい。
 午後は DiMAGE A200 を持って都内散策することにする。
 まず近所を歩く。
 ボンクラ息子その1は、通勤時間と家賃、それに駐車場の値段などでここ(江東区の某所)を選んだようだが、おれはこの界隈に不思議な懐かしさを感じる。
 それは、すぐそばに、亀戸と晴海をつないでいた貨物線が残されているからである。
 「土手」状の線路が雑然とした町並みのを貫いて延びている。
 おれが30年以上前に2年ほど住んでいた毛馬町の雰囲気によく似ている。
 毛馬にあったのは城東貨物線。線路や高架、両側の町並み、よく似ている。
 off off
 徒歩2分、高架をくぐると、「大島銀座通り」という、なんともうらぶれた商店街がある。
 豆腐屋やヤキトリ屋などに並んで、ここに古沢嘉通さんご贔屓の名店「すし與兵衛一四代」が店を構えているのであった。
 何しろ徒歩2分。
 昨夜「おい、明日は與兵衛で寿司でも喰うか」というと、ボンクラ息子その1「ふたりだと、おれの食費一月分くらいになるはず、もっと安くてリーブナブルな店がある」という。(新梅田食堂街の○駒クラスね)
 まあ、健全な判断であろう。おれもグルメではないしね。
 西大島から小川町に出る。
 本屋を覗き、ディスクユニオンに寄って、お茶の水から有楽町へ。
 銀座で山野楽器のCD売場をチェック。
 ヤマハに寄って、あとブラブラと新橋方面へ。
 あと、阿佐ヶ谷方面か浅草かと迷っていたところに、ちょうど業平橋行きのバスが来たので、これに乗る。
 この路線バス、築地、かちどき橋、晴海、月島などを「ウォーターフロント」を抜けて吾妻橋まで1時間ほどかけて走るのである。
 運ちゃんのすぐ後ろに座って、気分は田中小実昌か泉麻人。
 晴海は、深作欽二が『誇り高き挑戦』を撮った頃に較べると、すっかり普通の街になってしまった。いや、日野啓三『夢の島』の雰囲気すらなくなった。
 あまり写真を撮りたい光景がないまま江東区に入る。
 江東区はいずれも橋の手前が上り坂である。いかに地面が低いか実感できる。
 本所吾妻橋まで1時間。
 ここで降りて、浅草まで歩く。
 雷門から浅草寺界隈の夜景を撮影。といっても、まだ午後7時だが。
 off
 歩いて「浅草HUB」へ。
 本日、ニューオリンズ・ノウティーズの出演日である。
 が、演奏開始直前、ほぼ満席のようである。
 入ればなんとかなりそうだが、ここで本格的に聴きだし飲みだしたら、ボンクラ息子その1との晩飯の約束がおかしくなりそうである。
 ここで合流にしてもいいのだが、連絡してみると、最終ステージには間に合いそうにない。
 しかも、某寿司屋へ行くにも難しい時間になりそう。
 結局、デキシーは断念して、帰館することに。
 西大島のスーパーで、この店で最高級のステーキ肉、同じくこの店で最高級クラスのワイン、野菜、果物その他食材を色々買い込んで帰る。これでも「與兵衛」予算の1/4程度である。
 下ごしらえが出来た頃にボンクラ息子その1帰宅。
 あとは交替で調理しながら、またも親子酒。
 何を食べても「めちゃ旨い」と喜ぶのはボンクラ息子その1の美徳である。
 これはたぶんおれに似ている。
 専属料理人は何を食べても「批評的言辞」が先に出てくるからなあ。
 本の感想を述べる場合にも留意しなければならぬ。おれは書評家ではなく、善意の読書家だからなあ。

1月30日(日)
 朝、ボンクラ息子その1のクルマで東京駅まで送ってもらう。
 日曜の朝、約15分で八重洲口に着く。
 帰路はバス(東海道昼特急)である。
 10時10分発、浜名湖で45分の休憩がある便である。
 2階の最前列右側(1C)席がとれたからである。
 東海道には、新幹線、在来線、高速道路で、それぞれ何ヶ所か「定点観測」している場所があり(何のためかというと、まあ、構想だけは20年ほど前からあるのだが…)、バスから復路の写真撮影をするためである。
 雲ひとつない快晴である。
 が、出発前に嫌な予感。
 最前列と2列目に数人のグループらしいのが乗り込んできた。
 この中で、特に隣席(1B)の男が最低。
 水戸泉を少し小柄にして、品性を下落させ、知性をすっかり抜いたような雰囲気の男。靴下を脱いで自分で嗅いだり、ニンニク体臭をむっと漂わせたり。
 それはいいのだが、ともかくしゃべるしゃべる。
 それも容貌に似合った悪声。
 たまらんなあ。
 しかも左席(1A)の女がまた下品。仕事は「病院の受付」らしいが、この相づちもまた下品。
 話の内容はすべて割愛。もう、あまりにも低レベルで。
 そもそも、プライバシーを大声でしゃべりまくり(公開しまくり/車内でしゃべってるのはこのふたりだけ)という神経がわからん。
 オバハン団体もかなわんが、こんなバカップルも初めてである。
 で、こういう場合も想定して用意していたMDウォークマンで、北村英治、谷口英治、藤家虹二、滝川雅弘など聴きながら、なんとか静岡までがまん。富士はきれいであるが気分は最悪である。
 浜名湖までイライラしつづけ。
 ここで45分の休憩。
 遅めの昼飯のあと、展望台あたりを散歩していたら、太った野良猫(だろうな)が日溜まりにいた。のんびりした性格のようである。
 off
 野良「あんさん、アホ相手にイライラしてたら世の中やっていけまへんで」(と林譲治調)
 確かにその通りである。
 MDは聴き終えてしまったし、後部席が空いていたので、浜名湖以西は撮影を断念、最後部に移って、寝て帰ることにする。
 困ったやつだぜ、知性品格抜きの水戸泉はよ。
 快晴だったのが、養老を過ぎたとたんに天気急変、ミゾレが降りそうな雲行き、典型的な「冬の関ヶ原」気象である。
 が、幸い渋滞なく、定刻前に大阪着。
 帰着したとたんにボンクラ息子その1からメール。
 本日も午後に仕事があったが「昨夜のステーキ・パワーでいい結果が出た。次回はおれがおごる」という。
 おれがイライラしている時間、仕事をしていたのである。
 まあ、それはよかった。
 ともかくアホの近所で無駄な時間を消費しないことだなあ……。

1月31日(月)
 寒い。
 穴蔵にこもっていたいが、月末で、色々な処理事項あり、市内ウロウロ。
 昼過ぎ、まだランチタイムだからハチに寄る。
 と、珍しくも大ちゃんが来ている。
 天涯孤独の大ちゃん、やはり浮き世の色々な事務処理があって、午前中に片づけて、ランチに来たのだという。
 せっかくだからビール一杯。
 off
 明利マスターと大ちゃん。
 大ちゃん、これから映画『レイ・チャールズ』を見に行くのだとか。
 おれも興味はあるが、時間的拘束がなあ……などと話していて、映画料金に「シニア価格」というのがあるのを初めて知った。
 おれはすでに有資格者なのである。
 不便な試写会に招待されるよりも、歩いて好きな映画を見に行く方が、交通費を考えれば割安のようである。
 これから映画広告に注意することにしょうっと。
 といいつつ、まっすぐ帰宅。
 堂山町界隈にルン吉くんの姿なし。どうしているんだろう。
 穴蔵で雑用の続き。
 早くも1年の1/12が過ぎてしまった。


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