HORI AKIRAJALINET

『マッドサイエンティストの手帳』307

●マッドサイエンティスト日記(2004年7月後半)


主な事件
 ・播州龍野の日々(前回よりつづく)
 ・穴蔵の日々(27日〜)

2004年

7月16日(金)
 播州龍野の標準的1日(在宅バージョン)である。ただし洗濯と掃除はほとんど手伝う必要がなくなった。
 早朝、龍野市内を自転車で「探検」する。
 「有害鳥獣(鹿)の駆除について」という文書が配布されていて、8月上旬まで「銃器およびワナ」による駆除活動」実施中だから駆除地区には近寄らないようにというお達しである。駆除地区はわかるが、市街地にいちばん近い「鶏籠山」はたしか国有で「鳥獣保護区」である。歩いても5、6分の場所だが、なぜか行ったことがない。
 off
 近くまで行ってみると、これは急峻な崖の印象。ここは保護地区だから流れ弾も飛んでこないだろうけど、少し南へ回れば「銃撃区」だから恐ろしいね。
 アホに誤射されるほど損な死に方はないので、しばらく山に近づかんとこ。

7月17日(土)
 播州龍野の標準的1日である。
 眉村卓さん応援サイトを運営しているクマゴローさんが2年前のインタビュー記事をFAXしてくださった。就職間もない頃の眉村さんについて想像したこの記事について、たぶん当たっているという傍証である。さっそく記事に注記を加える。
 今日も暑い。
 テレビで祇園祭のニュース。
 祇園祭というと鳴海を思い出す。
 山田勝啓『ドンを撃った男 大日本正義団・鳴海清の死線』(洋泉社)を再読する。
 鳴海については飯干晃一さんの長編もあるが、こちらが決定版と思っていた。
 再読してみるとそれほどでもない。「小説」部分が極道ジャーナリズムの文体にスポイルされている印象を受ける。「小説」なら「惨殺」に作者なりの結論を出してほしかった気もする。
 鳴海の田岡一雄銃撃は1978年7月11日。惨殺死体の発見は9月17日。26年前の今日、鳴海は女装して東京、名古屋と逃走、三木市の隠れ家に潜伏していた。
 なぜよく覚えているかというと、鳴海は享年26歳。鳴海の死体発見の翌日生まれたうちのボンクラ息子その1がちょうどその年齢なのである。鳴海にはすでに子供が3人いたからたいしたものだ。
 当時、SFのドンとこの世界のドン候補が箕面で軒を並べていた。
 暑い夏だったなあ。

7月18日(日)
 播州龍野の標準的1日である。
 朝5時過ぎ、「日本の話芸」は林家染丸『淀五郎』である。上方系の場合はだいたい見ることにしている。まあ、待ちかねてというほどじゃないけどね。
 本日も暑い。
 午後にネット接続、昨日がジョン・コルトレーンの命日であったことを思い出す。
 そうか、そのために森山さんが水戸まで行って、音川英二のコルトレーン・トリビュート・ライブが行われていたのであった。
 SFファンがホシヅルの日を忘れるようなものもか。祇園祭で鳴海清を思い出していてはいかんのだなあ、と反省。
 まだ「現地」は17日ではないか調べたが、すでに日付は変わっている。
 夜、申し訳ないので、一日遅れでコルトレーンを聴く。
 といっても、こちら龍野に置いてあるのは3枚組の箱入りセット……これは「至上の愛」がLP片面に入っていたりで、かなりお買い得だったもの。もっとも、わしゃこの時期のでは「トランジション」が一番好きだが、これは入ってない。
 ということで、水割り飲みつつ、アフリカ〜バラード〜ハートマンの順で。

7月19日(月)
 播州龍野の標準的1日である。
 世間は祝祭日らしい。
 こちらにいると曜日の感覚が鈍ってくる。
 昼間の半分はタイムマシン格納庫で過ごす。
 シャワーを浴びてビールを飲もうかという時間になって、老母が「写真を撮ってくれ」という。西空が見事な夕映え、渡り廊下からしばらくいっしょに眺める。
 off
 西の山、猟友会諸君の銃撃による鹿の血で染まったのであろうか……。
 慌ててデジカメを持ってきたが、ほんの2、3分で微妙なグラディエーションは失われている。露出の補正をメニュー画面で行わねばの機種だからしかたなし。決しておれのウデが悪いからではないのである。

7月20日(火)
 播州龍野の標準的1日である。
 猛暑。
 クーラーなしの座敷、風は通るが、午後の室温は34℃になる。
 暑さに弱い老母、さすがにぐったりして「食欲ない」というが、案外健啖である。
 老母の場合、おれのビールに相当するのが西瓜なのであろう。これで水分補給。
 昔は井戸に吊して西瓜を冷やしたとか、古い話を始めるのが老人のクセである。最近は子供の頃の話が多い。
 何のはずみか、子供の時にこの町で起きた事件の話。
 おれも詳しく調べてみようかと思っていたのだが、80年ほど前に起きた大量殺人事件である。もう半ば忘れられているが、ある年代(といっても70歳以上ではないか)の人なら浪花節とか講釈で聞いたことがある有名事件。「龍野」と「五寸釘」で検索すれば出てこないではない。何冊か本も出たはずだが、ぼくが借りて読んだのは自費出版のもので入手は困難。
 もっとも、その十数年後、津山で桁違いの事件が起きたから、こちらの事件はやっと忘れられたのかな。
 母にとっては7歳の事件だから、その怖さは凄まじいものだったはず。
 ともかく「伝聞」による部分が怖いのである。
 (さらに興味深いのは、あやうく「冤罪」になりかけたというか、「誤報」というか、真犯人が明らかになるまでの数日間に広がった風評が後々まで影響している点である。老母の記憶は詳しく、平塚らいてふまでがなんとやらと言いだした)
 と、暑いから怪談になったわけではないが、母の記憶が確かなうちに聞いておかねばならぬことが多い。
 ……もっとも、この事件をおれが書くことはあるまい。「八墓村」は名作だが、津山市民はどう感じているのだろうか。わしゃ、一族の多くがここに住んでいるから、やっぱり無理なのよね。
 隣県のよしみで岩井志麻子が書いてくれないかなあ。

7月21日(水)
 怖い話……というより猟奇的な話をしたせいでもあるまいが、暑くて寝苦しい。
 3時前に目が覚めてしまう。
 薄明のなか、自転車で散歩。昨日の話の「現場」へ行く。……自転車で5分もかからないところである。胎児の声も釘打つ音もせず。
 本日も猛暑。
 が、なんとなく「たたり」が怖くて、殊勝にも墓掃除に行く。
 老母は「早朝か夕方にしなさい」というが、こんな作業は思い立った時にしかやる気にならない。……が、確かに明け方に済ませるべきであった。
 炎天下で1時間ほど除草作業しただけでフラフラ。あやうく熱中症である。
 昼前に帰ってシャワー。
 昼メシは、豚肉を炒め、ソーメンにキムチとトマトをぶち込んだ冷麺風ぶっかけ、これでビール。プファー、たまらんなあ。
 午後は昼寝。
 夕刻のニュースでは全国的に記録的な暑さだったらしい。危なかったなあ。

7月22日(木)
 暑さに加えて昼寝の影響もあり、やっぱり眠れない。
 薄明のなか、また自転車で散歩。
 本日は「当時」走っていた「播電」路線の地勢確認。だいたいはわかるが、必ずしも今の道路とは一致していないようで、古い資料に当たる必要があるなあ。(これは「被害者」のひとりが前日辿った路線なのである)
 図書館と歴史資料館に行こうかと迷うが、本日は「交替」の日である。
 テーマはちょっと持ち越し。
 午後、妹が到着、ヘルパー交替。
 夕刻帰阪。
 ノートパソコンを下げて移動……これは暑い。この炎天下、パソコン背負ってウロウロする田中啓文氏のスタミナはどこから出てくるのか。3キロ荷物が増えただけなのだが汗が噴き出し、フラフラで帰宅。歳だなあ……。
 今夜は桂米輔さんの落語会が太融寺であり、そちらへ顔を出すつもりでいたのだが、体力切れである。

7月23日(金)
 大阪に戻ってきても早朝散歩がクセになってきた。
 夜明け前の淀川堤防を毛馬閘門まで自転車で走る。
 35年前、毛馬に住んでいた頃は夕日をボケーッと見ていることが多く、日の出をここで見るのは初めてであることに気づいた。
 off
 横山やすしがモーターボートでここを通過していた頃が懐かしいなあ。
 大阪での雑用が溜まっていて、昼間は市内を自転車でウロウロ。
 それでも日陰に入ると龍野より涼しい感じがする。

7月24日(土)
 炎天である。
 午後、歩いて中之島の阪大中之島センターへ。
 久しぶりに宇宙作家クラブ・関西例会が開かれるのであった。
 off off
 阪大中之島センターはその昔、医学部があった場所(だと思う)。松下講堂があったところが市立科学館になっている。対岸(北側)の阪大病院跡は整地されて、ここは何になるのやら。……会議室はなかなか豪華である。
 本日のゲスト講師は柴田一成先生。現在の肩書きは京大付属天文台長(花山・飛騨)で、太陽面活動の観測について2001年の先事館シンポジウムでお話を伺って以来である。
 出席者は十数人、ちょっともったいない感じだな。世話人は山田竜也さん。初参加は上田早夕里さん、機本伸司さん、夏緑さん、かな。
 前回の話は太陽面や地球で起きる現象を「磁気リコネクション」で解説されたのだが、今回は時間もたっぷりあって、その拡大版。
 磁気リコネクション説が恒星フレアや原始星フレアにまで適用できることを解説された。これは凄い仮説で、太陽面、恒星系から百億光年規模の現象までを統一するモデルなのである。EM-T図がHR図にかわるスケールとなる。特に宇宙ジェットに磁気リコネクション・モデルの発展型を適用する説は、福江純さんとの間で「論戦中」らしい。(福江さんが体調不良で欠席というのはまことに残念だった) さらにはガンマー線バースト解明の可能性まで!
 このへんの話題になると、さすがに林譲治さんや野尻抱介さんの質問は鋭いなあ。
 ということで、質疑応答含めて、あっという間に3時間経過。
 大部分のメンバーでゾロゾロと桜橋の居酒屋へ移動。
 こちらでは、当然ながら話題はくだけてくる。
 天文学者の某氏がキレやすいのは脳内で磁気リコネクションが生じているのではないか(つまり、磁気リコネクション説はミクロの世界にも適用できるのではないか)とか、宇宙人とのコンタクトを証明する方法とか。
 後者の話題は、柴田先生が教育大時代に出した試験問題がベース。
 フェルミのパラドックスの拡大版みたいな話で、なんだかコンタクティもSFファンもノーベル賞受賞者も厳密に区別するのは難しいような雰囲気になってきた。
 off
 ということで午後8時半頃まで。
 ブルーノートの上のフロアで柴田先生中心に記念撮影。
 この写真だけ少し大きい。わがHP、写真が小さいというご意見があったからだが、ま、写真はあくまでも小さいイラスト代わり、サイズが小さいのは弱者(ダイアルアップ接続者)保護のためである。おれも播州龍野ではダイアルアップだものなあ。
 土曜日で、ブルーノートはいいとして、ファイブでニューオリンズ・ラスカルズが演奏中。ちょっと寄りたくなるが、明日はまた播州龍野に移動せねばならぬ。
 まっすぐ帰宅するのであった。

7月25日(日)
 早朝の電車で播州龍野へ移動するのであった。
 龍野は薄曇り、午後、遠雷は聞こえるものの雨は降らず。
 扇風機のなま暖かい風にあたりつつ、中野晴行『マンガ産業論』(ちくま書房)を読む。

7月26日(月)
 播州龍野の標準的1日……のつもりであったが、夕刻、横浜から兄が来るという連絡。
 で、本当に夕刻到着。8月上旬までこちらに滞在という。
 せっかくなので、夕食はおれが調理。色々並べて、久しぶりにいっしょにビールを飲む。
 日が暮れてから帰阪。電車は空いていて楽である。

7月27日(火)
 穴蔵に籠もる……つもりであったが、ジャズ関係の古い知人が久しぶりに大阪に出てきたというので、午後梅田へ。
 昼飯がわりに軽くビール。
 あと、CDショップを回りたいというので、いっしょにタワーズ〜ディスクピア〜ツタヤ〜堂山町の「ミムラ」(ここは元ワルツ堂の三村氏が開店した店/バナナホールの30メートルほど東にある)を歩く。
 ビール飲んでいるものだから、おれは見学のつもりが半衝動買いでCD5枚。いかんなあ……。
 ということで、夜は、専属料理人の作った枝豆、厚揚げとしらすのなんとか、茄子にミートソースをなんとかしたなんとか、トマトとブロッコリのなんとか風サラダなど並べてビール、ワイン。
 CD、やっぱり当たりはずれが大きいなあ。
 当たりは1400円で買った『THE PERMANENT HASSELGARD』とケン・ペプロフスキーの新譜(といっても録音は92年のコンコード)『The Natural Touch』。
 ヴァーブの『TONY SCOTT』(1967)はオリジナルとスタンダードが混在、妙なオリエンタリズムに染まっている時期ので、いまひとつ。
 コルトレーンの『TRANSITION』は持っていなかったので、ロイ・ヘインズ参加の一曲がボーナスで入っているのを見つけて購入。まあ、これは別格だな。

7月28日(水)
 朝刊に中島らも氏の訃報。
 階段から転落、入院中とは知っていたが、脳挫傷とは……。
 が、特に驚きもなし。酒・クスリ・鬱の三拍子揃っていたから、いつ何が起こっても不思議ではなかった。
 破滅型といわれたが、この人は天性の「作家」であって(芝居と音楽の方はよくわからんから評価のしようがない)、それも極めて「理知的」な作家であったと思う。なんといっても『ガダラの豚』が突出している。
 破滅型といわれる言動、昔の野坂昭如(はまだ生きているよな、確か)に似ていないではないが、野坂のような見え透いた「計算」は感じられず、もっとせっぱ詰まったものがある気配だった。ただ、『ガダラの豚』クラスの作品は量産不可能としても、サブカルのカリスマなんてものにはなってほしくなかったなあ。生涯小説家でいてほしかった。
 雑用あって、本日も炎天下を自転車でウロウロ。
 昼、福島6丁目に「麺友」といううどん屋……店の造りがうまそうに見えたので入ってみたが、失敗であった。周囲に飲食店のない場所というのは、やっぱりだめなんだなあ。
 午後、かんべむさし氏の仕事場に寄って、雑談しばし。
 靱公園のそばにあるパン屋で何種類かのパンを購入、夜はブルスケッタその他でワイン。

7月29日(木)
 早朝に淀川堤を散歩。
 あとは終日穴蔵。
 なんだか気分は鬱である。

7月30日(金)
 早朝に淀川堤を散歩。
 台風10号が珍しくも「東から接近中」ということでか、雲行きが怪しい。
 毛馬堤で朝焼けの写真を撮る。
 off
 小さい画像ではわかりにくいが、右下に堤で犬の散歩をさせている人物がポツンとシルエットで写っている、なかなかの構図なのである。
 200万画素のIXYではこれが限界。雲の表情とか、28ミリで撮りたいとか、もう少し高性能のが欲しくなるなあ。デジタル一眼はでかすぎてダメだけど。
 終日穴蔵……のつもりであったが、炎天下、ハチへ、8月7日「山下洋輔ソロ・ライブ」のチケットを受け取りに行く。この夏唯一の楽しみである。
 台風……時に突風が吹くだけで、雨の気配はなし。

7月31日(土)
 夜中に雨が降ったらしい。
 早朝の散歩は中止。
 雲の移動が激しい一日、終日穴蔵である。


『マッドサイエンティストの手帳』メニューヘ [次回へ] [前回へ]

HomePage