HORI AKIRA JALINET

『マッドサイエンティストの手帳』215

●渋谷毅&森山威男『しーそー』

 森山さんの新CD『SEE-SAW』についての感想その他

 ここに書くのは以下の3項です。
1.「しーそー」について、ファンとしての素朴な感想。
2.スイング・ジャーナル10月号のCD評への疑問。
3.この文章を書くことになった経過説明。
※マークは途中で思いついた断章です。

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  徳間ジャパン TKCB-72228
(パーソネル)渋谷毅(p) 森山威男(ds)
(曲目)   ダニー・ボーイ
       見上げてごらん夜の星を
       アイ・ラブ・パリ
       浜辺の歌
       サマータイム
       オータム・ノクターン
       遠くへ行きたい
       ハッシャ・バイ
       金髪のジェニー
       行かないで
       メモリーズ・オブ・ユー

1.「しーそー」を聴いて

 「懐かしいけど刺激的。二人の巨匠が、ギッコンバッタンと仕上げた凄いアルバム」がCDのうたい文句。ピアノとのデュオは、公式的にはマル・ウォルドロンとの「DUAL」「bit」につづく3枚目。演奏では、それ以前に、山下洋輔氏とのパリでのライブがあったと思う。ほとんど初めての顔合わせだが、確かに「懐かしい」感じがする。「刺激的」ということでは、山下→マル→渋谷の順。緊張感ということではマル→渋谷→山下の順になるかな。
 ほとんどがインプロヴィゼーションの「DUAL」「bit」では恐ろしく緊張感が高かったが、同じブラシワークでも、「しーそー」では聴く方の「精神的負担」が軽く、心が安らぐ雰囲気。ヒーリングとか癒し系なんて今風のいい方をすると軽くなるから、ハートウォーミングというのがいいか。時々取り出して聴く愛聴盤になりそうである。
 山下さんとのデュオは、お互いに手癖を知っているから、安心して「刺激」を享受できた。興奮度は随一だった。
 渋谷毅については、あまり熱心な聴き手ではないのだが、ここでは抑制の利いたタッチでメロディラインを押さえていく方の顔(別の顔というのは渋谷毅オーケストラでのフリーで激しい方)である。
 相手変わればドラムもここまで変わる。森山さんの多彩なドラミングにまた新しい一面が加わった印象。
 特に「見上げてごらん夜の星を」が素晴らしく、それに「金髪のジェニー」がピアノとのからみ方が面白く、これには懐かしさよりも新鮮な印象を受けた。
 最後が「メモリーズ・オブ・ユー」というのはちょっと意外。ファンのわがままをいえば、ここはぜひとも「グッドバイ」(グッドマンではなく板橋文夫の方ね)を聴きたかった。

【森山研】は全部聴くの調子で行けば、ぼくの素朴な感想はこんなところである。
※「精神的負担」というのは、たまたま読んでいたJohn W.Kuehnによるバディ・デフランコの評伝から借りた表現。知人が翻訳中でその草稿を読ませてもらっていたところだった。ロング・インタビューがもの凄く面白く、翻訳が完成したら(刊行予定はない)何かのかたちでご紹介したい。聴き手の緊張感というニュアンスかな。(演奏者が緊張していないという意味ではさらさらありません)
※森山さんの過去の音源はディスコグラフィのアルバム全部を聴いている。演奏は30年前から、放送もだいたい聴いているから、まあ熱心なファンである。
 渋谷毅はほとんど聴いていない。アルバムでは渋谷毅オーケストラ「LIVE1989」と立花泰彦の「立花氏の立ち話セッション 神無月」くらい。ライブを聴いたのは、西宮の酒屋スペースで震災前に聴いた立花グループのライブと名古屋でのラヴリー30周年コンサートの2度だけである。そのほとんどが「フリー」なスタイルだっただけに、西宮のライブで数曲ソロを聴いた印象が新鮮だった。ぼくはこちらの「顔」が好きで、したがって「しーそー」の奏法は期待どおり「懐かしく」もあったわけである。
※「グッドバイ」が聴きたいといったのは、過去に浅川マキの「DARKNESS I」に森山・渋谷の「共演」があり、この「グッドバイ」冒頭のピアノは素晴らしい。この印象が強かったので、ピアノとドラムのデュオだとどうなるのかと想像していたのである。

2.スイング・ジャーナル10月号のCD評について
 「しーそー」の発売は2001年9月27日であった。が、9月20日発売のSJ誌にCD評が掲載されている。本屋でパラッと見て、運悪く目にしてしまった。本もCDも批評は先に読みたくはないのである。あわてて閉じたがちょっと「予断」が残ってしまった。
 で、CDを聴いてから、改めて読んだ。
 「しーそー」については村井康司氏と三澤隆宏氏が書いている。村井氏の評は「懐かしさ」をキーワードにしていて、まあぼくの感想に近い(なんていうと失礼だな、当然村井氏の考察はもっと深く、「懐かしさ」の構造まで分析されている)。
 つぎに三澤氏の評を読んで、ぼくの感想とあまりに違うのでびっくり。要するにふたりの曲に対する「攻め方」に接点がないため「シーソー・ゲーム」が成立しない「ミス・マッチ」という、まあネガティブな評価である。
 むろん、すべてのCDが傑作であるはずもなく、また聴き手によって評価がわかれることも当然ある。
 だが、何度か読み返したが、評価のちがいの本質的なところがどうにもわからない。
 問題は、ミス・マッチという評価が昔の「猪木VSアリ戦」のアナロジーで論じられている点だ。
 話がちょっとずれるが、SFをプロレスのアナロジーで論じるというおかしな「流行」があった。作家をレスラーにたとえるとか、文体の微妙な違いをプロレスの技で説明するとか。まあファンの雑談としては面白いのだとは思う。が、あくまでもレトリックであって、決して本質に迫るものではない。
 ぼくはSF同人誌「SOLITON」をやってきた時も、合評ではプロレス・アナロジーは禁じた。SFはSFの論理で論じるべきで、プロレスで個別の作品の評価できないと信じているからである。
 これが許されるのはプロレスの専門家だけ、百歩譲っても、SFよりプロレスに詳しい人間だけのはずである。
 なぜなら、プロレスというのは、いわば「装飾だらけ」のジャンルであって、どこに本質があるのかわからない。レトリックとしては、便利な部分だけを引っ張ってくればいいわけだが、プロレスはいわばグニャグニャの多面体で、色々な目盛りが混在している。決して他のジャンルの作品をはかる「物差し」にはなり得ないのである。
 ジャズもSFも表現形式としては自由なジャンルだから同様ではないか。
 ここでは森山=アリ、渋谷=猪木にたとえられているのだが、「猪木VSアリ戦」というのは異種格闘技でさらにややこしい。あの「試合の本質」がどこにあったのか、未だに謎だらけ。猪木の興行的成功が本質という説もあれば、制約にがんじがらめにされた中で猪木は健闘したという意見もある。猪木が脚で攻めまくってアリが逃げ回っていたという見方もある。いや「ルール」さえ明かされていない。観る者によってどのようにも解釈できる。まさに「物差し」(客観的な評価基準)にはなりえないのである。
 これでは、渋谷毅がずっと寝転がったまま、森山さんがあらぬ叫び声をあげて周りを飛び回って、散漫に時間だけが経過していくというおかしなイメージが聴く前に読者に植え付けられてしまうのではないか。
 けなすにしてもこりゃ「反則技」じゃなかろうか。疑問が残るなあ。

※プロレス・アナロジーの発明者は高千穂遙氏である。いや、名古屋で30年以上前から、竹川公訓の本名で「SF&プロレス」というファンジンを出していたから筋金入りである。むろん村松氏の『私、プロレスの味方です』よりもずっと前からである。
 高千穂氏はその後SFと並行して格闘技小説も書き出すから、プロレス・アナロジーが許される数少ないひとりである。
※プロレス・アナロジーが流行ったのは『私、プロレスの味方です』以降と思う。ぼくもこれは面白く読んだ。プロレスが物差しにならないという確信を深めたのもこの作品によってである。……『私、プロレスの味方です』の骨格は、行動科学、とくにコンラート・ローレンツ『攻撃』をプロレスに敷衍したところにあると考えている。
※村松氏がプロレス・アナロジーでシャズを論じたことはあるか。たぶんないと思う。野暮だからなあ。
※作家やジャズメンがプロレスの影響を受けることはあり得るだろう。ひょっとしたレスラーの技を念頭に演奏するとか。が、むろんその演奏がプロレスの尺度で評価されるわけではない。
※そういえば新潮社から『真相はこうだ……』みたいなタイトルの本が出たばかりで、猪木・アリ戦についても書かれている。書店で見かけたが、もう今さら興味はない。

3.この文章を書くことになった経過説明。
 気が重いが書いておく。
 あるジャズ関係の掲示板に、上記CD評を読んで、けしからんのではないかと感想を書いた。感想以前の「野次」みたいなことで、せいぜい数行。
 いや、似たようなことを9月29日の日記にも書いている。まあ品性には欠けるが、1ジャズファンの放言である。むろん文責は筆者にある。
 ところが、掲示板を管理している方からメールが来た。
 詳細は書かないが、小生の発言を読んだ人物が「誹謗・中傷にあたり」「暴力的な表現がある」と三澤隆宏氏本人に連絡し、インターネット接続していない三澤氏から、どういうことなのかと掲示板管理人に直接電話があったというのである。
 ごく気楽な掲示板であり、よその庭の雰囲気を険悪にする気は毛頭ないので、小生の発言の削除をお願いした。が、三澤氏本人から電話とは、よほど大事件と伝わったのであろう。それに、どのような「通告」を受けられたのかは知らないが、削除したのだから、三澤氏にとって事情はよくわからぬままであろう。
 ぼくは、あくまでも商業誌に掲載された批評文を問題にしたのであって、見知らぬ方の人格攻撃をしたわけではない。
 同じ掲示板でこんな議論をするのは本意ではないので、ぼくの意見をここに書いておくことにしたわけである。
 しかしなあ。あーあーあー、嫌だ嫌だ嫌だ。
 何が嫌かというと、「ご注進」に及んだ人物である。
 いるんだよなあ、陰湿な日本のムラ社会には。
 子どもの頃からぼくがいちばん嫌悪してきたタイプだ。金棒引きというか告げ口屋というか。何かあれば、先生にいいつける、親に告げ口する。30年間の会社生活でもいたよなあ。直接いえば済むことを「職制を通して」上司にいってくる。
 こんなのから縁が切れたと思っていたらネットでもかよ。
 意見があるなら直接いってくれよ。そのためにどんなメッセージでもアドレスがわかるようにしているんだから。それをネット接続できない人にご注進とはねえ。
 だいたいが広大なネットの片隅にちょこっと書いた1ファンの軽口である。プロの批評家から見れば、目にしても苦笑して黙殺する程度のものでしょうが。
 明らかに伝え方が悪い。電話代など含めて三澤氏と管理人氏にはご迷惑がかかったようで、その点は心苦しく思っている。
 ああしんど。……SJ誌の精読、CDの再聴など含めて、ほとんど1日がかりの作業なにってしまった。失業中の身分とはいえ、別にヒマを持て余しているわけではないんだぜ、告げ口さんよ。
 もしここを読むことがあったら、ぼくにメールはもういいから、このページのハードコピーを三澤氏に渡すくらいの正確な伝え方をしてくれよな。

※わが発言が「暴力的な表現」と伝わったとしたら本意ではない。が、冗談ですよと言い訳してもしかたあるまい。文章が下手ということだ。……ひとつ想像できる理由としては、ぼくが顔マークを使わないからかもしれない。「けしからんですなあ(笑)」くらいに書けばよかったのかな。ぼくは作品で疑問符や感嘆符を使わない。これに似たクセである。掲示板を読んでいる人なら、ぼくが別に論争好きでも怒りっぽい人間でもないことは理解してくれていると思う。告げ口くんは覗き見しただけのことかな。まあ正確なニュアンスが伝わらないのはお前の文章が下手だからじゃといわれればそれまでだけど。
※ふだんはSJ誌は立ち読み程度だが、11月号発売が近いので慌てて10月号を買ってきた。
 せっかくだから、CD評も含めて精読した。……CD評はそれなりに難しいものだと思う。名前や用語にカタカナ表記が多く字数を食うが、限られたスペースにまとめなければならない。切り詰めた文章が要求される。似たような論調だと退屈だからアイデアも必要。やっぱりプロの仕事だと思う。岩波洋三みたいに「蓄積」で気楽に書いている退屈なのもあれば、名前をあげて悪いが佐藤栄輔という人の文章はどうも論旨が読めない。村井康司氏の文章は端正。ぼくには藤本史昭という人の皮肉が効いたところが面白いと思う。三澤氏の文章も、しーそー→シーソーゲームという展開の工夫など、上位ランク、やっぱりプロの仕事だと思う。
※プロとアマ(ファン)の区別は厳然とある。ぼくが「1ファンの放言」と書いているのは、卑下でも逆韜晦でもない。姿勢の違いである。ぼくは好きな作品、気に入った作品についてしか書かない。HP上の書評しかり、気に入らない作品は読まずに放り投げるからである。さすがに読まずに聴かずに感想を書く度胸はない。
 プロはネガティブな評価を下さねばならぬ場合があり、この場合、誉めるよりも説得力のある論旨が要求される。しんどい仕事でもある。
※1ファンジンでの放言がプロダムを大騒ぎさせるという現象は、昔のSF界にないではなかった。わしゃどちらの立場にいたかというと、両方にまたがっていたかな。野次馬の立場がいちばん面白い。まあ、自作についての酷評を目にすることはあったけど、そして誤読もあったけど、反論などしたことはない。本を買ってくれたファンに野次を飛ばす権利はある。自作に対しての悪口でも案外面白い場合があるしねえ。
 ジャンルが成熟してくるとこんな騒ぎがなくてちょっと寂しい。
※わが非を認めて謝ること訂正することについては、ぼくは人後に落ちない。昔出した『マッド・サイエンス入門』について、「あんなに言い訳の多い本も珍しい」といわれたほどだ。何かというと、連載中に間違いを指摘された点について、間違いはそのまま残して、指摘された事項を書いた上で、訂正文を追加したからである。過去のミスを訂正して知らぬ顔をするのが恥ずかしいからで、恥は恥として残しておくことにしている。おかしな彌縫策を弄したととられたくないのである。本HPにおいてもしかり。非があれば直ちに謝る。……それだけに陰湿な告げ口屋にはやっぱり腹が立つなあ。
※まだ色々な雑感があるが、さすがに疲れたのでこのへんで。


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