HORI AKIRA JALINET

『マッドサイエンティストの手帳』201

●マッドサイエンティスト日記(2001年6月前半)


主な事件
 ・福吉久代さんの個展(1日)
 ・森山威男4 at スタジオF(2日)
 ・入梅/五月晴れ/真夏日

2001年

6月1日(金)
 やや気の重い事情で市内ウロウロ、茶屋町付近を通るついでがあって、茶屋町画廊で開催中の福吉久代さんの個展を見る。
 
off

 福吉さんの個展はだいたい年1回開かれていて、最初に見てからもう8年目ではないかな?
 たとえばこの前の感想し97年5月5日に書いている。カオスのイメージであり、新星の誕生やソラリスの海を連想させる作品が多いのである。
 色々と想像力が刺激されて、つまらん俗事を忘れる。いい絵の効用である。

6月2日(土)
 集合住宅の理事の仕事でややこしいことが多い。……全体に住人が高齢化しているから、まあ介護がらみの問題も出てくるわけで……明日はわが身である。
 気を取り直して、昼前に出発。
 さあ、岐阜での森山威男カルテットのコンサートである。
 深夜、名古屋・栄のホテルに帰館。

6月3日(日)
 1時就眠なのに、習慣とは恐ろしいもので、午前4時に目が覚めてしまう。某文庫解説のために某単行本を再読。べつにすることもないので、7時半にチェックアウト、名古屋駅へ。8時過ぎのこだまがあったので、「名古屋名物・だるま弁当」というのを買って新大阪に向かう。この「だるま弁当」たいしたことないなあ。『首都消失』に出てくるトリ弁当を探すすべきであった……。
 9時半帰宅……家族全員熟睡中である。
 夜、BSで「未知との遭遇・特別篇」断続的に見る。
 最後の部分は初めて見る。やっぱり宗教映画だな。
 昨日の演奏で、森山さんは「ダニー・ボーイ」のオクターブアップの部分で元気が出てきたという。「未知との遭遇」のテーマは見事にオクターブダウンである。森山さんはこの曲では落ち込むのであろうか。

6月4日(月)
 参考までに本日の夕食メニュー。
 冷ヤッコ、茄子炒めに大根おろしちりめん和え、鰺/うに/イカの刺身、ビール、ミニ鰻丼、吸い物……ちょっとわしには過剰である。それに、鰻というのは、ヤキトリや握り寿司、モツ、フグなどとともに家庭に持ち込んでほしくないメニューなのである。
 明日からは粗食を心がけるように専属料理人に申しつける。

6月5日(火)
 10日ほど前に近所の洋食屋が焼き肉屋に改装された。オープン記念でビール中ジョッキが100円、夜遅くまでボンクラ・サラリーマンが並んでいる。
 この店でボンクラ息子その2がアルバイトしている。……ビール100円の期間に一度行きたいと思っていたが「来るな」という。労働現場を親に見られるのが嫌らしい。風俗じゃあるまいに。が、だんだん店に情が移ってきたらしく、冷麺などは結構うまいなどと宣伝しはじめた。
 そこで夕方、ボンクラ息子その1を含む3人で焼き肉屋に出かける。
 中ジョッキ4杯で400円は確かに安いが、カルビ、ロース、タン、てっちゃん等等、冷麺まで、ちょっと食べ過ぎ……たしか昨日「粗食」宣言をしたはずだが……。
 本日梅雨入りである。
 熊谷守一『へたの絵のうち』(平凡社ライブラリー)を読む。
 先日、森山さんが、気を鎮めるために熊谷守一を読むというのを聞いたから、「森山研」としては、読まない訳にはいかない。
 一読……いやあ、驚いたなあ、まさに天狗か仙人である。容貌もそうだが、生活ぶりが凄い。
 『ここに住むようになったのは、昭和七年で私が五十二歳の時です。それから四十五年この家から動きません。この正門から外へは三十年間出たことはないんです。でも八年ぐらい前一度だけ垣根づたいに勝手口まで散歩したんです。あとにも先にもそれ一度なんです』
 森山さんが「引用」したのは……
 『……誰が相手にしてくれなくても、石ころ一つとでも十分暮らせます。石ころをじっとながめているだけで、何日も何月も暮らせます。』
 このような凝視から「宵月」のような名画が生まれるのであろう。
 見習うべきこと多いが、とても真似できないことの方が多い。

6月6日(水)
 梅雨である。
 午前4時、ルン吉、小雨の中にじーーっと立っている。傘はささず、防寒服のままである。蒸れないのかねえ。
 午後、晴れ間が出てたので自転車で市内移動。
 本町界隈で、銀行その他。ついでに某氏が裁判所近くに「あんま屋」を開店するとかいう話を聞くが、熊谷守一を読んだ後では、何を聞いても俗っぽくていけない。……いや、職業に貴賤はない、他人の肩につかまって「何日も何月も暮らせる」ならいいのだが、儲かるからやりまんねんではつまらんぜよ。

6月7日(木)
 6時始発のひかりで姫路に6時半着、姫新線に乗り換えて「別荘」に7時半着。
 タイムマシンの組立。試運転でカラスにぶつかってアンテナが故障したから、カラス避けのビラビラをアンテナに付ける。一足早い七夕気分である。
 快晴であり、梅雨の間の晴れ……これが本来の「五月晴れ」なんだろうな。
 実家泊。

6月8日(金)
 昼、池田の大阪教育大付属池田小学校に刃物を持った男が乱入、小学生20人ほどが刺されたというニュース。この25年間のうち15年以上通勤していた場所である。
 午後帰阪。
 夕刊と夕方のニュースでは生徒8人が死亡している。また例によって朝日は名を伏せ、産経は「宅間守」37歳無職と明記。
 気になるのが、宅間が「精神安定剤10日分を飲んだ」としゃべっている点。薬の効能がどうなのか専門家じゃないからわからんけど、「心神喪失状態です」と自分でいってるようで一種のパラドックスではないか? 逃げ道用意の狡猾さを感じるなあ。
 人権派がししゃり出てこないことを祈るばかり。
 NHKでは19時のニュースで実名、顔写真を出す。……関係ないけど、宅間守は買春判事・村木保裕に顔つきが似ているような気がする。

6月9日(土)
 ニュースは池田小学校ばかり。宅間守「池田のバス停で100人メッタ切りにした」といったとか。わしが毎日並んでいたバス停ではないか。宅間の住居が新町のワンルーム。バスでの通勤経路である。老舗豆腐屋の裏あたりか。土地カンのある場所だけに、生々しく、暗澹たる気分になる。……教育大付属池田は手塚治虫さんの母校であり、「やんちゃな優等生」が多いといわれ、数少ない「理想的な」小学校である。第二の手塚になるはずの「可能性」が失われたかもしれないのである。
 「五月晴れ」というよりもカンカン照りになり、ついに大阪は初の「真夏日」となる。
 ルン吉くん、相変わらず防寒服のまま寝ている。5月31日以来……まあ、凍死する心配はないし、「蒸死」することもないだろうけど……とよく見れば、ズボンの片足は破れて「半ズボン」である。まあ下半身は夏服に衣替えしたわけだ。今から冬の心配をわしがすることないか。
 off
 明日はわが身である。
 午後、谷町4丁目のロボフェスタ事務局へ。近いうちにやる「ロボット塾」で高校生のパネルに加わることいことで事前の顔合わせ。工業高校中心に5人、ロボコンやソーラーカー・レースへの参加者が多く、技術的には(部品の調達など)恵まれた世代だなと実感する。……ロボットに関していえば、ガンダムを小学校初等で体験した世代のようである。

6月10日(日)
 ちょっと早起きで、2時頃に目が覚めてしまった。
 少し空腹を覚えて、3時前から自転車で梅田へ。……が、10年前とちがって、この時間、いい店がなくなってしまったなあ。路上にはゲロが多く、梅田全体に饐えたような臭気が漂っているようで、食欲が失せる。曾根崎署→扇町公園→天五→中崎町と一巡、結局はラーメン屋とタコヤキの屋台が目につくばかり。
 4時前に帰宅、朝刊を読んだあと机に向かう。
 サッカーで喧しい夕刻である。

6月11日(月)
 天五の部品屋へタイムマシンの部品を受け取りに行く。
 早く完成して、時効以前の15年以上さかのぼって、新車に乗った巨根とハゲ頭ま三百代言をぶっ殺しに行きたいのだが、集合住宅の理事という立場上、水槽の工事立ち会いの必要があって動けない。
 宅間守の場合、日常の雑務で殺意に歯止めがかかるということがなかったのだろうな。

6月12日(火)
 早くタイムマシンを完成したいのに、住居の工事業者との打ち合わせで動けないのであった。
 午後、日本橋のナニワネジへ部品を買いに行く。特殊なナットといっしょに、タイムマシン内トイレ用のホースバンドも買う。タイムマシンの場合、垂れ流しにはできないのである。
 ついでに、久しぶりに黒門市場の「あそこ」でカレーうどん。高くなり過ぎである。

6月13日(水)
 午前4時……ルン吉くんが定位置で足をボリボリ掻いている。よく見ると両足ともに「半ズボン」と化している。上半身が真冬用、下半身が夏服になったわけだ。今度の冬はどうなるのだ。
 昼間、市内をウロウロ。
 夜、集合住宅の理事会。……防犯カメラの導入が議題になるが、画像の有効性など技術的によくわからない点が多い。「抑止力」だけで導入するにはちょっと高い、というところ。モニターする側は面白そうだけどね。

6月14日(木)
 早朝から播州龍野の別荘へ移動、タイムマシンの組立続行。
 実家泊。

6月15日(金)
 寒い寒い。明け方、夏布団では寝てられないほどの「冷え込み」である。
 定時に目が覚めてしまったので、早朝からタイムマシンの組立続行。
 ……便器とホース金具のハメアイに誤差があることが判明、ステンレスなのでヤスリで削るのは無理である。もう一点、部品加工のミスも判明、某工作所へ行かねばならぬ。
 なかなかすんなりと「新車に乗った巨根」破壊には行けないものだなあ。
 夕刻、神崎川沿いの道……数軒の庭の枇杷が、小さいが異様にたくさんの実をつけている。
 金具をリーマで修正しながら、そこの大将。「枇杷が大量に生る年は何か異変があるとかいうんですが、何の異変でしたかなあ」「え、そんな俗信があるんですか?」「昔、聞いたことがある」「天変地異でっか?」「ええことやないでしょうなあ」
 大将のいうには、今年はどの枇杷の木も異様に実の多い「大当たりの年」だという。
 枇杷は9年にしてなんとかというが、これはことわざとかではなかったと思う。
 ぼくが聞いたのは「枇杷の木を庭に植えると病人が出る」というもの。……昔、庭に捨てた枇杷の種から木が生えてきたことがある。早めに剪ったはずだが。
 しかし、枇杷の大豊作と異変の関係は聞いたことがない。九州方面にはそのような俗信があるのだろうか。ちと気味が悪いなあ。


※タイトルページの下に表記のとおり、ぼく(堀晃)へのメールは「直通」に変更しました。(2001.6.10)
 JALI-NET開設当時から、(筒井氏の断筆などあり)面倒なメールが作者に大量に届いては混乱するという配慮から、連絡先をWebMasterにしてきました。
 ただ、ぼくはメールアドレスを非公開にしているわけではなく、SOLITONに関する連絡先などは直通にしてきております。
 その後の経過を見ても、小生に関しては、とくに困ったメールを貰うこともなく、むしろ貴重な情報を知らせていただくことが多いので、メールは直通にしました。薄井ゆうじさんもそうしておられることだし。
 


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