HORI AKIRA JALINET

『マッドサイエンティストの手帳』200

●森山威男カルテット at スタジオF

2001年6月2日(土) 森山威男グループのコンサートで、久しぶりに岐阜のスタジオFへ行く。7年ぶりである。

 岐阜(といっても笠原町で中央線多治見に近い方向)のスタジオFでの森山威男カルテットのコンサートへ行く。前に行ったのが1994年4月23日(土)だったから、なんと7年ぶりである。……この7年の間にマル・ウェルドロンとのデュオとか「take 0」の録音とか、記念的ライブが色々開催されているのだが、なにしろ交通が不便、クルマでないと行けない場所なので断念することが多かったのである。(多治見のコンサートは行ってますがね)
 今回は名古屋から岡田友美さんのクルマに便乗させてもらうことになった。助かるなあ。
 午後2時、名古屋・栄で、同じく大阪から来た大ちゃんとともに岡田ワゴンにピックアップしてもらう。
 さっそくビール。先は長いのである。近くのインド料理店「印度屋」へ。……なんという店名だ。イタリア料理店が「イタリ屋」と名乗るセンス。チキンミックスとカレーでビール。運転手付きの場合、便利である。
 多治見方面、笠原町まで約1時間半。
 藤井医院到着17時20分頃、早くも20人ほどの列が出来ている。先頭はやっぱり塩之谷香さんである。
 藤井医院の花壇には花が咲き乱れていた。花鳥風月とんと興味のないわしには、花の名はわからん。コスモスではないと思う。
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 望月英明夫人Norikoさんとは初対面。ちゃんと列に並ばれている。「夫の追っかけ」というのは希有な例ではなかろうか。……SFで夫人が亭主の愛読者というのは聞いたことがない。あ、神林長平がそうか。ウチなんぞは、とうちゃん何か難しいことやってはる、しっかり稼いでや、だものなあ。
 などとぼやいている間に、18時開場、18:30いよいよ開演である。
 「写真撮影禁止」のアナウンスがあったので、演奏中は音なしデジカメも遠慮、幾つかストロボが光っていたようだけど。
 会場の左壁に大きな陶板画。NHKで放映された、陶芸家の安藤光一さんと森山さんのコラボレーションによる作品である。森山さんのドラムのイメージが表現されているのが面白い。
 会場には伊達元大使という偉い方も見えていて、「評判の悪い省でございますが、私はちゃんと自分の年金で参りましたので……」と、軽井沢から中央線経由で来られたという。
 off off
 第1ステージは「信正見参」中心で、
・Marching Seventh
・Sun, be Motionless
・Danny Boy
・Free People……だったと思う。
 森山さん、「やる気が先行しすぎて、スティックを折ったり飛ばしたり……気を鎮めないといけないと、こういう場合は画家の熊谷守一の本を読みます。『石がひとつあれば一日楽しめるではないか』とか、色々ありがたい言葉の多い人で、バカはバカなりに、ヘタはヘタなりにやればよい。そういうつもりで来たのに、ドラムの前に座るとどうしようもない……」
 うろ覚えなので、あまり正確な記録ではありません。熊谷守一は確か岐阜出身の洋画家だが、そんな著作があるとは知らなかった。探してみようっと。
 ただ、2曲目の森山さんは凄かった。手から飛んだスティックが回転しながら緩やかな放物線を描いて森山さんの前にしばらく浮かんでいて……「2001年宇宙の旅」の骨が飛ぶ場面のイメージね……それが落ちる前に、すでに右手には次のスティックが握られ叩かれていた。
 この場面は、後で藤井先生と話題になった。西部劇の早撃ちとの比較で、森山さんとアラン・ラッドとどちらが早いか。宍戸錠クラスではないか……
 インターミッション。1階で冷酒「三千盛」をいただく。うまいなあ。
 2ステージ目はおなじみのナンバー。
・Sound River
・Gratitude
・Hush-a-bye
・Good bye
 1ステージの賑やかな面白さに比べて2ステージはもう完璧なセッション。
 望月さんのソロの後、伊達元大使が望月夫人に小声で「いいじゃないですか」……紳士なのである。
 Good bye の後、拍手鳴りやまず、アンコール曲。
 「take 0 の時に、急にやろうと決まって当日FAXで届いたのがこの曲です。先日亡くなられたコルゲンさん、鈴木宏昌さんが作曲してくれた曲で、たぶんこの曲を演奏するのはこれが最後になると思います……」
 「take 0」は何度も聴いているのに、作曲者についてはまるで気づかなかった。鈴木宏昌さんはスタジオFでのライブもあるし、意外なつながりがあったのだなあ。……ぼくは鈴木宏昌さんを聴いたのは1970年に一度だけ。名古屋でのSJ主催のコンサートだったと思う。あのときはエレクトリック・ピアノだった。
 ということで、最後に
・Departure from the mysterious flash
 終演は21時過ぎであった。
 詳細は塩之谷香さんの熱血レポートにご期待下さい。わしゃ酔っぱらいのウロ覚えで、じつにええかげんである。
 夏の陽気であったのが、この時間になると外は少し肌寒い。
 ウチアゲに誘っていただいたので、新参者だからコソコソと……のはずが、森山さん藤井先生望月さんが並ぶ正面の席……おそれ多くも、と緊張3分、ビール飲んだらたちまち図々しくなって、あとはまあ、例によってグズラさんのダジャレ大会に参加である。
 森山「音川はニューヨークではオックンと呼ばれております」
 望月「ぼくはモックンと呼ばれてます」
 参加者20数名で、森山掲示板でおなじみのメンバーが多い。
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 田中信正さんが、どういうわけか本日はステージからずっと帽子のままである。ヘアスタイルが変わったのか、ウチアゲの席でも帽子のまま。田中信正日記でも5月30日に「髪を切った」ことがわかるだけで、帽子事情は判然としない。謎を残したまま0時近くに解散。
 岡田ワゴンで深夜の19号線……帰路は名古屋までほとんどノンストップ。午前1時前に帰館……しかし、日頃の生活では熟睡時間である。


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