『マッドサイエンティストの手帳』740

●マッドサイエンティスト日記(2020年10月後半)


主な事件
 ・退院(17日)
 ・ハチママ通夜・告別式(19-20日)
 ・眉村卓『その果てを知らず』


10月17日(土) 生還と訃報
 ほとんど眠れぬまま病室にて朝を迎える。
 昨夕「出所」できたはずが、なぜかひと晩足止めとなり、午前10時前やっと「計算書」が届いた。
 1階に降りると専属料理人が待機していた。
 支払いを済ませ、表に出る。
 17日ぶり、10月になってはじめてシャバの空気を吸う。
 雨で肌寒い。11月下旬の気温といってたが、確かに「入所」時の服装では寒い。
 知らぬ間に秋は過ぎていたのである。
 タクシー拾って10分で帰館。
 穴蔵に戻る。
 荷物を整理してたところに電話あり。
 ハチのAマスターからである。
 なんとハチママの訃報
 以前から老人施設に移ったのは知っていたが、転倒して大腿骨骨折、入院中に肺炎併発して、昨夜8時頃に亡くなったという。
 入院先は?と聞いて愕然。
 おれが2週間いたのと同じ病院ではないか。ずっと同じ建物で生活していたのか。
 昨夕退院できるはずが、なぜかひと晩延びてしまった。
 ひょっとしてハチママが引き留めていたのか……
 複雑な気分である。
 夜、専属料理人が準備してたので、祝杯を献杯に変更する。
  *
 紫頭巾、翁豆腐の湯豆腐、刺身、天ぷら、サラダなどでビール、ワインを少しばかり。
 ともかく今夜は眠ることにする。

10月18日(日) 穴蔵
 早寝して6時間熟睡できた。久しぶりである。
 10月の生活パターンを取り戻して、終日穴蔵にて過ごす。
 ただし、長時間同じ姿勢で座っていると片脚の血の巡りが悪くなりそうで、時々立ち上がってストレッチしたり近所の公園を散歩したり。
 主な作業は入院中のメモのデジタル化である。
 半朦朧状態で書いた「尿管接続時の尿意を解消する方法(特許検討)」というのがあった。
 尿管使用中に尿意がつづくのは、チューブが「先」から太腿を越えて「収納袋」につながっているから、太腿部分までの尿がサイフォンの原理で作用して膀胱に逆方向から圧力をかけるため。これを解消するために……という意味のメモがある。
 これは看護師に「落差で落ちてますから」と否定された。ただ、体を動かせないから、現物を確認していない。尿管を引き抜いたあと、尿意がなくなったのも事実である。
 もう少し調べてみるか。朦朧状態だったから、案外いいアイデアかも。
 たちまち夕刻。
 本日も色々並べてもらってちょいと一杯。
 昆布キムチなど入れたネバネバ小鉢が出てくる。
  *
 病院食では絶対に出てこないメニューだな。

10月19日(月) ハチママ通夜
 午前7時にとつぜんボンクラ息子その1が帰ってきた。
 親父骨折と聞いて夜中にクルマで走ってきたという。
 おれを見て「なんや、普通に歩いてるやないか」。
 連絡が悪いのではないか(誰とはいわんが)。
 PC広げて断続的にオンライン会議を始めた。
 変則的休日ということらしいが、よくわからんなあ。
 しかし、便利でもある。夕刻、長柄の北斎場までクルマで送り迎えしてくれた。
 ハチママの通夜である。
 大ちゃんはじめ、ハチの古株数氏と挨拶。山下洋輔さんも来られていた。
 新コロナ下、故人を偲んで一杯というわけにもいかず、おとなしく迎えのクルマで帰宅する。

10月20日(火) ハチママ告別式
 秋晴れである。
 昼前、長柄の北斎場へ。
 ハチママの告別式である。
 会場には(音をしぼって)山下洋輔トリオが流れている。
  *
 半世紀前からのハチ常連があちこちに。マスクしている上、露出部分(頭髪ね)が変わり果てているから、お互い名前を確認しないとわからない。
 多くは70年、大阪万博の年にはじまった山下洋輔トリオ・マンスリー・コンサート以来のファンである。さらに前の店(ワールドとなり)時代からの強者もいて、もうすぐアチラで大騒ぎできるなと思える顔触れである。
 あ、遠方から山下洋輔さんも。
 読経。焼香。
 明利マスターの挨拶の大意。
「これでハチママのコンサートは終わります。『リンゴ追分』がまだですが、これは来年やります。頑張ってハチはつづけます。来年の8月8日は88歳の誕生日ですから必ず帰ってきます……」
 皆で棺に花を入れ、喪主の希望により、全員拍手で出棺を見送った。
 本日もクルマでおとなしく帰館。
 夜はニューオリンズ・スタイルで派手にやろうかと思っていたら、18時頃に早めのおとなしい夕食(病院とほぼ同じ時間)。
 ボンクラ息子その1がクルマが横浜へ帰るためである。
 19時過ぎに見送り。
 普通の夜が戻る。

10月21日(水) 穴蔵
 午前4時に起床。体は一応普通の生活に戻ってきた。
 アタマの方はいまひとつ。
 終日穴蔵。
 知的労働は無理なので、アタマ使わぬ雑事の処理で一日が終わる。
 テレビ見てたら、道頓堀「かに道楽」の看板カニの脚2本が修理中である。
 この店の店長の名が小林泰三という。へえ。

10月22日(木) 穴蔵
 終日穴蔵。
 リハビリかねて、少し歩く方がいいのだが、面倒になる。
 午後、BSで『大殺陣』を見る。工藤栄一・池上金男のコンビで『十三人の刺客』の翌年に作られた集団チャンバラ。
 55年ぶりかな。前に見たときは、話の流れがよくわからず、チャンバラも大人数で刀を振り回すだけの印象だったが、やはり今回も退屈であった。
 山鹿素行が暗殺団を組織して大老の陰謀を潰そうとする設定は面白いのだが、人物が込み入りすぎている。特に暗殺団が一枚岩でないところが失敗だな(裏切者がひとり混じるのは定番だが、それでもない)。役者も(素行が安部徹というのは面白いが)全体に弱い。際立って腕の立つのがいないのも、敵側に切れ者がいないのもいかん。
 やはり『十三人の刺客』が突出した名作だったんだなあ。

10月23日(金) 穴蔵/ウロウロ
 未明だ。雨が降っている。ミメダ飴というのはないか。
 穴蔵にて雑事の処理。
 午後、雨がやんだので、ちょっと歩くことにする。
 普通に歩いてジュンクドー往復。
 『その果てを知らず』が出ていた。
 さっそく求めて帰館。読み始める。
 これは一気読みする本ではないな。
 たちまち夕刻。
 紫頭巾とか小鉢でビール。
  *
 あと、ビーフシチュー、ブルディガラのクレセント・パンなどで中本酒店推奨馬鹿旨格安ワインを少しばかりグビグビ。
 久しぶりの酒宴である。
 さあ寝転がって『その果てを知らず』のつづき。
 至福の夜である。

10月24日(土) 穴蔵/ウロウロ
 秋晴れである。
 午前、先週まで入院していた病院まで歩いていく。
 診察ではなく、依頼していた書類の受け取り。
 ついでに周辺の見学。
  *
 天六へはよく来るが、都島通はめったに通らない。
 周囲を知らないまま搬送されて、内側から景色を眺めいてたので、一度歩いてみたかったのである。
 スターシップの内部で育った住人が初めて船外に出る気分である。
 歩いてみると、ラーメン屋が目立つくらいで、特別面白い場所でもなかった。
 天八まで歩き、バスで帰館。
 6,000歩ほど歩いたが、まだ本調子とはいかぬような。

眉村卓『その果てを知らず』(講談社)
 眉村卓さんの最後の長編。
 病室で最後の数日までシャープペンシルを握って完成させた、正真正銘の遺作である。
 作品としては、私ファンタジーと、ここ数年書かれてきた奇妙な短編(『終幕のゆくえ』など)が融合した傑作だが、こんな表現では収まらない……
  *
 語り手はおなじみ浦上映生(エイやん)、私ファンタジーに登場する作者の分身である。
 浦上は食道癌で手術を受けた後、数年後に転移が発見され再手術、さらに2年後に入院、もう年齢から手術に耐えられないと、抗癌剤と放射線治療を受けている。今度入院となれば「年貢の納め時」と観念している。
 物語は、そんな浦上が、体調のいい日、久しぶりに新幹線で上京し、パーティに出席、その夜、山の上ホテルに泊まり、翌日ひとり娘と会って食事してから帰阪、その後またしばらく大阪での一人暮らしがつづく……時間進行はそれだけである。
 その間に、SFを書き始めた頃の回想(会社勤めとの両立や夜行で上京して宇宙塵の例会に出席したことなど)や、奇妙な幻覚?(病院で暴漢との乱闘騒ぎ)や、奇妙なショートショートが挟まれて……特に上京してから異変の頻度が増していく。
 このあたりの構成は絶妙で、上京の新幹線内では、昔の夜行での上京が詳しく語られ、東京についてからは少しずつ雰囲気が変わり(早川書房が火災を起こした過去があったり)、パーテイ出席あたりから、身近に異変が起こり始める。
 回想の中には色々な人物が登場して、そのモデルもほとんどが誰かわかる。そのあたりも面白いのだが、重要人物はふたり。林良宏と松原権兵衛である。ふたりは別々に周辺に起こる超常現象についての解釈を教えるが、浦上にとってはともに決定的なものではない。
 林良宏には明確なモデルがある。南山宏氏であり、実際、本の帯に文章を寄せられている。松原権兵衛は、これは(唯一の)架空の人物で、作者のもうひとつの分身と思う。強いていうなら、イメージは大伴昌司を借りているのかも。
 いや、こうしたモデル探しは本質的なものではない。
 瞬間移動(テイニー)が目の前で起こったり(テレポートといわずジョウントが例にあげられるのがうれしい)、階段の昇降がつらくなり、自分の体が体力の低下にともなって縮小している(マシスンの「縮みゆく人間」が引き合いに出される)など、周辺の異変はエスカレートしていくが、浦上はそれでも半信半疑である。
 このあたりの(特に後半の)展開が異様な迫力を帯びてくる。
 これは、作者が病床で書き続けたという事実を知っているからでもあろうが、個人的には、2週間の入院生活の後だけに、身につまされるというか、浦上が最後に見る「その果て」が実感できるのである。
 改めて表紙絵を見て驚いた。元永定正作品であった。眉村さんがよくカットに描かれるキャラクターをイメージしたものと思っていたのである。

10月25日(日) 穴蔵/ウロウロ
 秋晴れである。
 穴蔵にて雑事。生産的なことは何もできず。
 今月いっぱいは、もともと入院覚悟だったのだから、ボケーーーッと過ごしても罰はあたるまい。
 午後散歩。貨物線の北側へ。
 半月見ないうちに、公園がえぐられて、道路が迂回、貨物線北側に「歩行者ボックス工事」のスペースができている。
  *
 こんな場所(新御堂下の豊崎第4架道橋の30メートルほど西)に高架をくぐる歩行者用トンネルを作るのだろうか。
 (地元住民でないとわかりにくいだろうが)このあたりは、在来の高架から地下に潜り込むまでの区間で、U字擁壁が作られる計画である。
 豊崎第4架道橋は車道歩道一体の狭い通路だから、この位置に歩道はありそうなことだ。
 工事期間は1年半ほど。どうなるのやら、注目することにしよう。

10月26日(月) 穴蔵
 秋晴れである。
 終日穴蔵。
 5年間使ってきた7千円のWindows7機の動作がいよいよおかしくなってきた。
 時々フリーズするが、今回はとつぜん電源が落ちて再起動……
 Windows10機に全面的に切り替えなければならぬ。
 この3ヶ月ほど併用してきたが、やっぱり10は使いづらい。
 最大の難関がATOKで、これは最新バージョンを買わねばならぬかと思っていたが、IMEが「ATOK仕様」に設定できると判明して、ほっ。ほとんど同じキー操作で入力できる。
 いちばん使い慣れたエディター(WZ-Editor Ver.3)が使えず、機能的にはSAKURAがいちばん近いような。
 OpenOfficeは使える。
 The CARD3もインストールできた。これは驚きである。
 PhotoShopがインストールできない。使いやすいフリーソフトはまだ見つからず。
 レーザープリンターのドライバーのダウンロードが面倒な。そのうちに、だな。
 さすがSSD、起動の速さだけは感心する。
 まあ、そのうち慣れてくるだろう。
 ……と、ここまで10機に切り替えて書いたのだが、さきほどのニュースでは、午後8時頃に電源が落ちたのは、大阪市内の停電だったらしい。
 照明は消えず、PCだけが一瞬落ちて再起動したのである。ややこしい停電だな。
 ということは、Windows7機はまだ当分使えるということか。

10月27日(火) 穴蔵
 秋晴れである。
 終日穴蔵。こればっかり。
 本日はJAZZの日とする。
 某氏が送って下さったCDが数枚あり(エディ・ダニエルズの稀覯盤とか白石幸司の新譜とか)、半日、これを聴いて過ごす。
 入院中にこれをやりたかったなあ。
 次の入院に備えてUSBを準備することはないけど。
 あとの半日は穴蔵の冬支度。
 肌寒くなってきた。
 冬はコタツに潜り込んで本を読んでいればいいのだが、わが手術痕を気にして、専属料理人がコタツに反対する。
 おれは半世紀以上、冬は「頭寒足温」で過ごしてきた。
 今さらなあ……
 結論は出ぬまま。

10月28日(水) 穴蔵
 秋晴れである。午後は薄い雲もあり。
 終日穴蔵。こればっかり。
 散歩に出たいと思うが、ちと不安もあり。
 昼はBSで『カサブランカ』をやってるが、もう見る気力がわかず。
 今月いっぱいは入院とみなして、ボケーーーッと過ごしてもいいであろう。

10月29日(木) 穴蔵
 秋晴れである。
 終日穴蔵……ではいかんので、少し歩くことにする。
 が、ジュンクドー往復だけで疲れてしまう。
 歩くのが楽しくない、というより、正直いって苦痛である。困ったことよ。
 午後はBSで『十三人の刺客』……DVD持っているのに、やっぱり見てしまう。傑作である。
 たちまち夕刻。本日は休肝日。晩飯、あまりうまくない、というより、正直いって苦痛である。困ったことよ。
 月に火星が大接近。
  *
 火星も肉眼で見えるが、少し雲が出てきた。
 気分も曇天。米朝師匠のDVDを見て、早寝することにする。

10月30日(金) 穴蔵/ウロウロ
 秋晴れである。
 ちょっと慌ただしい日になった。週末の予定が急変したこともあり。
 朝(久しぶりに)自転車で天五の区役所まで行く。某書類申請。
 ついでに日曜(11/1)の予定が変わったので、住民投票(大阪都構想)も本日済ませる(投票しなくても結果は歴然なのだが)。
 せっかくなので扇町公園で休憩。
  *
 公園には誰もいない。
 北上して天六。
 金融機関に寄り月末の処理。
 天八まで北上し、某スーパーで雑貨品を買って帰館。淀川堤を走れないのが残念である。
 自転車を漕ぐ分には脚に違和感はなし。
 さりとて自転車に頼るのがいいのかどうか判断はつかず。
 ま、時々乗る程度にしよう。
 午後は穴蔵にて事務処理色々。
 慌ただしいのはいいことである。

 10月31日(土) 穴蔵/ウロウロ
 秋晴れである。
 日が昇ってしばらくした頃にボンクラ息子その1が帰ってきた。
 夜中2時頃に横浜を出て、未明の名神を走ってきたという。
 わが家のもろもろの世話のため。
 ありがたいことである。ボンクラなどと呼んではいかんな。ま、謙譲語だから。
 本日は主に専属料理人関係の世話だが、こちらにも関係してくる。
 一族の通信環境を効率化してコストダウンを図ろうというプロジェクトである。
 最終的には、固定電話の回線を1本減らし、プロバイダーも1社に絞り、WiFiで携帯料金を下げて、月間○万下げられるか……という計画。
 菅がさらに下げてくれるかもしれないが、これは期待薄。
 本日はまだ数パーセントである。
 たちまち夕刻。
 夜は鴨鍋で一杯。うまっ。
 明日も動くので、早寝するのである。


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