HORI AKIRA JALINET

『マッドサイエンティストの手帳』154

●平谷美樹『エンデュミオン エンデュミオン』(ハルキノベルス)


球筋抜群の大型新人登場……店頭に並んだその日に作者と奇跡の接近遭遇!

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 作品に触れる前に、この作品と遭遇した顛末を紹介しておこう。
 6月1日の朝、ISTS参加でせっかく盛岡に来たのだからと、ホテルを出てぶらぶらと盛岡城趾公園や大通りなど散策。新緑がきれいである。規模は佐賀市程度であろうか。
 東山堂ブックセンターという本屋に寄ると、新刊を台車から並べているところ。平谷美樹『エンデュミオン エンデュミオン』(角川春樹事務所)という分厚い新書が目にとまる。本日発売。帯に「月面基地エンデュミオンを拠点に開発を進める人類。滅びと再生が奏でる本格SF」とある。新人の「本格SF」らしい。作者紹介をみると、1960年生まれで、現在岩手県内で美術教師とある。盛岡在住なのだろうか。……さっそく買って冒頭を読み始める。むむむ、「嘆きの海2019」という序章など(師と仰いでいるらしい)光瀬作品を思わせる章立てといい、緊密な月面描写といい、これは相当筋のいい新人ではないか。昼飯のソバ屋で50ページほど読む。むむむ。
 夕方、ISTS会場で「SF Writer Special Talk」を控えて「学生時代以来の勉強をした」と英文原稿を手に緊張気味の笹本氏に『エンデュミオン エンデュミオン』を見せる。
 これ、ちょっと凄そうだよ。盛岡付近に在住なら会えるんじゃないですか。迷惑じゃなかろうか。春樹事務所なら知り合いがいるから、住所がどこか聞いてみましょうと笹本氏が携帯電話。電話番号が判明。10分ほど迷ったあげく、やっぱり今日連絡しないで明日帰阪では悔いを残すのではないかと結論を出す。作者に電話してみることにした。
「堀ともうしますが、平谷さんのお宅でしょうか」「はいそうですが」「とつぜんの電話で恐縮ですが、美樹さんは……」「はい私ですが」「あの、大阪の堀晃と申しますが、今日、本屋で『エンデュミオン』を見まして……」「ええっ! あの堀さんですか。あの、私20年ほど前に、大阪で連続講演の時にサインしていただきました!」「あ、そうなんですか。実は宇宙技術のシンポジウムで盛岡に来ているのですが、明朝帰ることになってまして……」「今からなら飛んでいってもお目にかかりたい気分です」「近くなんですか」「盛岡まで50キロほどですけど、クルマで小一時間あれば行けます」「あ、じゃあ、これから笹本さんの講演とパネルですから、終わるまでに着けますね……」
 ということで、平谷さんが来ることになった。
 それにしても奇跡的な話である。
 作家にとってデビュー作が書店に並ぶのは「一生に一度」である。その日、シンポジウムがなければ来る機会がなかった地元の街で、そのデビュー作に遭遇した。その本屋を通りかかるのが10分早ければ気づかなかっただろう。しかも月開発をテーマにしたSF。作者は宇宙開発関係の研究者が集まっている会場に来るという。
 そして午後8時過ぎ、閉会間際の会場に平谷美樹氏が到着、「地元のSFライター」を紹介できるというドラマチックな幕切れになった。到着したとたんに宇宙関係の研究者の前で挨拶だから、平谷さんは驚いたことであろうなあ。
 終了後、みんなで「COTO DA COTO」へ、ここで平谷美樹さんと雅子夫人と話す。
 大阪芸大出身で、ぼくと会ったのは学生時代という。1960年生まれで、庵野秀明さんは2年後輩だったとか。先輩に牧野修さんがいるし、SF作家集中世代にまたひとり大型新人が加わった感がある。
 岩手に戻って就職してから、岩手日報の小説コンテストで入選、この時の選者が光瀬龍氏だった。雅子夫人も入賞者、雅子さんの方が筋がいいと評価されているとか、面白い話を色々聞く。
 平谷さんはこの日、夕方から突発的に起こったことが「なんだか現実とは思えない」というが、まあ確かに、書店に著書がはじめて並んだ日にこれだから、無理もないなあ。しかし、話していると、ぼくには旧知のSFファン同士が会った時の雰囲気と変わらなかった。  『エンデュミオン エンデュミオン』にサインを貰う。奥付は2000年6月8日発行。サインは6月1日。これは「お宝」になりまっせ。
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 さて、肝心の作品について。
 読んでいる途中でその作者に会うという変則的なかたちになったが、作者を知る知らないにかかわらず、これは申し分のない力作であり傑作である。
 月面と地球で同時多発的に奇妙な事件が続発する。
 「エンデュミオン!」と叫びながらの子供殺し。基地の爆破事故。月面基地で起こる奇怪な「幻視」。奇妙な新興宗教……。多くの登場人物とさまざまな事件の糸が、後半から神話的なクライマックスに向けて収束していく。
 凄い筆力である。
 感心したことをまず列記したい。
 数多い登場人物(それも日本人はほとんどいない)が見事に書き分けられていて、その状況描写も鮮やかである。
 生活描写もうまい。特にアメリカ地方都市の描写は現地取材の成果としか思えないほどリアリティがある。
 虚実の設定がうまく(月面に1975年に降り立った老宇宙飛行士とか、アメリカ大統領を操る「黒幕」の存在など、いろいろ)、現代から50年先の近未来まで巧妙につなぐ設定がものすごく面白い。
 極めて映画的な場面設定の技(メイプルヒルズの嵐など)。
 特に……多くの事件の糸が絡み合ってクライマックスにもつれ込むなかで、ぼくには老宇宙飛行士たちが作る「パイレーツクラブ」の活躍が抜群に面白かった。
 「SFというよりファンタジーかもしれない」とは作者の言。ぼくはこれは堂々たるSFと思う。月面で起こる「幻覚」に似た現象を、たとえばハードSF的に処理しようとすれば、「流行」といっていい波動関数の収縮などの手が使えるだろう。作者はおなじ距離感でユングを使っている。あくまでも「架空の設定」として「自覚的」に「作品の核として」使用していて、これは明らかにSFの方法である。それをキング流のデティルの書き込みで一気に読ませてしまう。……ホラーにも神話的SFにも宗教SFにも見える。映画では「未知との遭遇」の雰囲気にも通じている。しかし、この手法は帯にあるとおりの「本格SF」だろう。
 ともかく、この人の筆力は現代エンターテインメントの本流を掴んでいる。語り口は見事なもの。本当に筋のいい人だと思う。
 それにしても、昨年から、藤崎慎吾さん(火星)、三雲岳斗さん(宇宙ステーション)につづいて月SFの大型新人。宇宙SFに大きな潮流が動き出したのではないか。わくわくしてくるなあ。同時にうかうかしてられんなあ。

 お会いした平谷さんの印象は、穏やかで落ち着いたじつに好感の持てる人。そして、やっぱり小説に関する議論はいつまででもやりたいタイプのようだ。地方ではこの辺が寂しくないかなと思ったが、どうやら雅子夫人が、同じSFファン小説ファンでありブレインでありライバルでもあるらしい。
 大阪在住でSFファン意識が先行してしまうワシとちがって、ずっと落ち着いて仕事をしていく人のようにも思った。
 深夜11時過ぎまで、クルマで来た平谷夫妻はウーロン茶であったが、けっこう飲める方らしい。盛岡では無理だが、この調子だとまたどこかで会えるだろう、その時は盛大に飲もうと約束して別れた。
 今後の活躍が楽しみである。

 ちょっと余計なことをひとつ。
 無理かもしれないけど、裏表紙の「あらすじ」は読まない方がいい。ちょっと後ろの方まで書きすぎではないか。


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