HORI AKIRA JALINET

『マッドサイエンティストの手帳』141

●第51回読売文学賞贈賞式


2000年2月17日、読売文学賞の授賞式と記念パーティが開催された。
 受賞作は次のとおり。
 小説賞
  筒井康隆「わたしのグランパ」(文芸春秋)
  三木 卓「裸足と貝殻」(集英社)
 随筆・紀行賞
  関 容子「芸づくし忠臣蔵」(文芸春秋)
 評論・伝記賞
  鹿島 茂「パリ風俗」(白水社)
 詩歌俳句賞
  荒川洋治「空中の茱萸」(思潮社)

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 受賞者、左から、荒川洋治、鹿島茂、関容子、三木卓、筒井康隆の各氏。

 贈賞式はパレスホテルで午後6時から。
 最初に渡辺恒雄(以下ナベツネと略す)社長の挨拶。読売文学賞の制定50年、過去の受賞作を見ても素晴らしい作品ばかりと、簡潔で極めてまともな挨拶。……どうも日頃の報道、特にスポーツ関係の印象が強いからかなあ。
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 つづいて各氏に賞の贈呈。
 銓衡委員を代表して、菅沼昭正氏の簡単な銓衡経過説明と講評。
 「わたしのグランパ」に関しては、パンフレットに記載の、丸谷才一氏の選評と重なっており、この選評が素晴らしいのでちょっと紹介(一部のみ抜粋)。
 『……娯楽小説の紋切り型を借りると見せかけて、痛快無類の武勇譚を書きながら、近代日本文学の鹿爪らしい誠実主義、不景気な深刻好きをからかひつづける。しかもここでは職人の実直な技術と芸術家のまともな探求とが見事に合致して、話の筋の展開にいささかの乱れも見せない。……』

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 受賞者を代表して筒井康隆氏が挨拶。
 まず、他の4氏に「取材」したということで、その一言ずつを紹介。
 三木卓「ありがとうございます、の一言に尽きます」、関容子「20年忠臣蔵に取り組んできた結果が認められてたいへん嬉しい」、鹿島茂「河盛好蔵が町医者という言葉を好みましたが、わたしも『フランス文学の町医者』と呼ばれたい」、荒川洋治「夢のようです」
 (……ええ、テレコを回していたわけでないので、こまかい言い回しに違いがありましたらご容赦を。)
 つづいて筒井氏は自作に関して、メディアの多様化によって活字離れ、小説の不振がいわれるが、文学の最先端に挑みながら、多くの読者を内包する作品を書いていきたい。読売新聞とは自主規制撤廃の覚書を交わしていないので、受賞しても文章でなにかを発表させていただくかたちにはならないが、にもかかわらず作品をノミネートしてくださった度量の広さに感謝いたします。かくなる上は、ぜひ覚書が取り交わし、そうなりました暁には大長編を連載する用意があることを表明しておきます。
 最後に、選考委員の皆様に。極めて政治的な意図をもってこの作品を無視し……た評論家たちを無視してこの作品に賞を下さった選考委員の方々の勇気に敬意を表します。
(最後の方の絶妙のいいまわしがどこまで伝わりますか、会場で聞いていると、一瞬どきんといたしました。)

 受賞者5氏だが、セレモニー部分は極めて簡潔にもので、じつにスマートな進行だと感心。
 引き続きパーティに移ったが、ハイクラスの人たちが多いのか、寿司の屋台に列ができないパーティというのは久しぶりである。
 受賞者・選考委員以外に見かけた方々は、順不同で、山下洋輔ご夫妻、巽孝之・小谷真理さん、小林恭二、薄井ゆうじ、幸森軍也、平石滋、豊田有恒ご夫妻、ビレッジセンターの中村社長、川上弘美、大上朝美……その他色々の各氏。
 筒井さんにお祝いをいって、ついでに「ナベツネというのは、いしいひさいちの描くマンガのキャラクターによく似た人ですなあ」といったら、「おい、すぐ後ろにいるよ」……手遅れであった。
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 ……ついでに帰る間際の出来事。中村社長、幸森氏としゃべっていたら、近くに「噂の真相」の編集長・岡留安則らしき人物を見かけた。97年7月4日に神戸でニアミスして以来である。「一度蹴りを入れたいと思っている」と思わず本音を漏らしたところ、両氏が面白がって、本人に「この人が蹴りを入れたいといってますよ」……おいおい、なんと過激なことを。直接会ってしまったのでは闘志が鈍るじゃないか。
 で、ついでだから記念撮影。
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 大阪のしがないサラリーマンが「蹴りを入れたい」などといっても、岡留氏には何のことかわからないだろう。
 ぼくが問題にしているのは、「噂の真相」1982年7月号に掲載された、「早川書房の告訴で明るみに出た徳間や角川の強引商法の実態」という記事である。筆者は小林正夫という、「告訴」と「提訴」の区別も知らない無教養ライター。たぶんペンネーム。偶然の一致だろうが、この名前、ぼくが勤務している会社の、当時の社長と同姓同名である。当時の「文庫戦争」に関するルポらしいが、徳間と並んでもう一方の被告であるぼくに何の取材もなかった。まったくなかった。しかも、このカス記事は「論文」と称して早川側が証拠として提出(甲第25号証)して、再三引用した。こんな記事しか資料か利用できなかったというのも情けないが、これは提訴後に書かれた記事で、かつ一方の当事者に取材なしである。法定外に騒ぎを持ち出す、なんというか民コロ的なやり方で、ぼくは今でもこの記事に政治的な意図を感じている。
 まあ、そんな訳でも18年以上、「蹴りを入れたい」気持ちは一日たりとも忘れたことはないのだが、まあ、その怨念は、今岡清や五十嵐敬喜に対するそれに比べれば淡泊なものだ。
 というわけで、岡留氏には「取材だけはしてほしかった」と伝えたが、こんな昔のこと、覚えてもいまい。幸森さん、会う機会があれば上記事情をお伝えください。わしゃあの雑誌とは関わりを持ちたくありません。

 ……と余計な付録までついてしまったが、たいへんいい雰囲気の会でありました。
 またどなたか受賞してくだされ。


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