『マッドサイエンティストの手帳』621

●マッドサイエンティスト日記(2016年1月前半)


主な事件
 ・新年を迎える
 ・播州龍野いたりきたり
 ・神戸新聞文化センター(9日)
 ・風呂本佳苗リサイタル@芸術文化センター(10日)


1月1日(金) 穴蔵
 午前6時に目覚めた。
 午前8時に朝祝い。
 本年度のオセチは小ぶりで、たぶん多くはデパ地下で買ってきて詰め合わせたもの。黒豆、筑前煮は自家製。
  *
 10年ほど前(老母の介護の時期)から新年の朝酒はやめていたのだが、ここ数年で復活。
 呉春か八重垣か迷ったが、本年は八重垣純米大吟醸とする。
 うまっ。しかし、朝からオセチで冷酒が体にいいはずがない。
 3時間ほど昼寝する。
 昼食は抜き。
 午後はボケーーーーーーッとタドコロ状態で過ごす。
 夕刻シャワーで気分を変える。
 スッキリしたところで、夜はオセチでビール、ローストビーフとイギリスパンでワイン。
 眠くなる。
 ということで、早寝することに。
 こんな生活パターンは絶対に続けてはならない。
 明日から普通の生活に戻ることにする。

1月2日(土) 穴蔵/ウロウロ
 ちょっと寝過ごしたが、午前5時に目覚める。
 午前6時、ひとり朝食。トースト、ハム、サラダ、ティ、みかんという定番メニュー。
 本日は仕事始めである。
 午前中3時間ほど、マジメに机に向かう。少し先の企画書を作成する。
 箱根駅伝を、湘南海岸あたりから「山の神」登場まで、断続的に見る。
 昼は専属料理人に鍋焼きうどんを作ってもらう。
 午後はしばらく資料読み。
 運動不足なので、15時頃から散歩に出る。
 本日は北西方向。
 佐伯祐三の生家を通り、西隣の富島神社に初詣。2日15時となると、しんとしている。
  *
 写真右奥の3階建てが光徳寺の幼稚園で、その前の狭い庭に佐伯祐三の石碑(四角い石柱)がある。
 西へ歩き、許永中の生家あたり(正確な場所は不明)を抜けて淀川堤を戻る。
 わが散歩コースにある「三大生家」は、佐伯祐三、許永中、野々村竜太郎の生家だが、碑があるのは佐伯祐三だけだなあ。
 許永中の場合は、碑ではないけど、中崎町(豪邸と極真会館の跡地横)にヘンな神社?が残っている。
 誰か豊崎西公園に野々村竜太郎の碑を建立しないものか。
 などと愚考しつつ、夜は、オセチの片づけ、湯豆腐などで、ビール、八重垣大吟醸。
 早寝するのである。
 明日から仕事時間を少しずつ延ばしていくことにしよう。

1月3日(日) 穴蔵/ウロウロ
 午前5時に目覚めた。
 どうやらこの時刻が定刻になったような。無理して早起きする必要はないわけだし、これでいいか。
 少しは仕事もするのであった。いと少なしを。
 しばらく箱根駅伝を見るが、復路というのはつまらないなあ。
 前日に山登りというクライマックスを見ているから、筋書き(走路)がまったく盛り上がらんのだな。
 初日を箱根スタートにして、2日目のラストが山登りの方がドラマチックと思うが、今さら変更もできんか。
 見なけりゃいいだけのことだけど。
 暖かいので、午後、散歩に出る。
 本日は南方向。
 阪急東、堂山の風俗地帯を抜けて、お初天神に初詣。
  *
 3日午後2時だが、門の外まで長い行列。たいしたものだ。並んでまで「祈願」することも持ち合わせてないので、脇から表敬訪問程度にとどめる。割り込んで賽銭投げることもなし、御利益は期待してまへんからね。
 御堂筋を渡り、駅前ビル。ここは全館シャッターを下ろしている。
 こんな時にこそ内部に入り込みたいのだが……
 駅前第2ビル南からウメグル(100円)で帰館。

1月4日(月) 穴蔵/ウロウロ
 午前5時に起きて、普通の生活パターンに戻る。世間も正月は終わったのである。
 午前中、効率は悪いが、少しは仕事もするのであった。
 午後、散歩に出る。
 本日は北東方向。
 豊崎神社に初詣。といっても、散歩ついでにちょっと寄るだけ。
  *
 4日午後3時、境内はしんとしている。
 淀川堤を長柄橋まで歩き、天八〜中崎町を抜けて帰館。
 6,367歩となった。
 ということで、夜は専属料理人に並べて貰った翁豆腐、ミニオムレツ、サラダでビール。
 あとトマト系のパスタで、やまざき手配のグランダールを少しばかり。
  *
 やはりオセチより普段のメニューがよろしいなあ。つうか、正月の食生活ほど健康によくないものはない気がしてくる。モチを喉に詰めて死ぬアホもいるしさ。
 ああ旨かった、ナマンダブツ……「地獄八景」には、湯念仏、びっくり念仏、居眠り念仏が出てくるが、おれは「満腹念仏」もあっていいと思うのである。

1月5日(火) 穴蔵/ウロウロ/許の遺産
 自然に目覚めれば午前5時10分。正確であるなあ。
 午前中にダラダラ仕事、午後に散歩のパターンが定着してきた。
 本日は西南コース。
 と、野々村竜太郎の生家から50メートルほどの建物が気になる。
 築30年近い4階建て。ほとんど住んだ気配がない。表札も看板もない。
 四半世紀ほど前に一度だけ、とつぜん「KBS京都」という看板が掲げられたことがある。
  *
 その後も無人ビルに見えたビルに年末から荷物が運び込まれ、高級車が2台駐車している。
 何か始まるのか。10年前に書いたことに関連するのであろうか。
 注目して見守りたい。
 許永中が気になって中崎町2丁目の豪邸跡を見に行く。
 極真会館と豪邸跡は駐車場だったが、ここにはマンション(リビオレゾン梅田カサーレ)が完成間近。
 南側にあった「ひがし茶屋町西向不動尊」(という看板が極真会館にかけてあった)は駐車場になっている。
  *
 謎の神社は解体されたのかと思ったら、道の西側の狭い土地に「本尊」だけが移してある。「西向不動尊」という標記は見あたらない。
 「ヤクザが作った神社」といわれたものだが、正規?の不動尊なのかよくわからんまま。むろん初詣もせず。
 ちなみに、許については『日本の闇を背負い続けた男』がもっとも詳しいが、森功氏は4年前に現場を再確認されている。さすがだ。
 許が愛人にやらせたパチンコ屋(天六〜野田線の中崎町交差点南西)は6、7年前にマンションになってるし、本町のイトマンビルはホテルになったし、ともかく、この「本尊」は許永中の数少ないモニュメントと見ていいだろう。
 うちのネキのビルがどうなのか、しばらく観察を続けるつもり。

1月6日(水) 大阪←→播州龍野
 通勤ラッシュの終わった頃に出て、播州龍野へ移動する。
 実家とタイムマシン格納庫の雑事あれこれ。
 年初に届いているはずの文書がまだであったり。役所関係は始動しとらんのか。
 相棒の事情もあって、来週また来なければならぬような。
 夕刻に近い午後の電車で帰阪。
 専属料理人に色々並べてもらって一献。
 ともかく早寝。
 北朝鮮の水爆? 明日色々チェックすることにする。

1月7日(木) 穴蔵/ウロウロ
 普通の生活パターンに戻る。
 午前中、一応仕事。週末の講義に備えて資料再読、メモ作成。
 昼、専属料理人が作った七草粥を食す。おれはこういう昔ながらの風習は好きではないのだが、あえて拒否することもあるまい。
 午後3時頃、散歩に出る。
 本日は西南方向。これで今年も一応全方向を歩いたことになる。
 阪急中津方面からスカイビル、地下道抜けて大阪駅。
 久しぶりに「風の広場」に上がる。
  *
 しんとしている。曇天で時に晴れ間、小雨が降ったり、天候不安定。
 たそがれに還る。5,034歩になった。
 夜は専属料理人に数皿(イワシのなんとか、新キャベツのかんたら、その他)並べてもらって黒糖焼酎湯割り。
 早寝するのである。

1月8日(金) 異形のタレント/湾岸区近傍
 北の「水爆」実験で大騒ぎというのに、早朝から、ベッキーというタレントの妻ある歌手との不倫騒動が大ニュースとはなんたることだ。
 「ゲスの極み」というから、その通りと思うが、これがバンド名というからややこしい。
 どちらも見たことなかったが、ベッキーという女は「異形」である。その眼球が正視できぬほど恐ろしい。これがなぜ「売れっ子」なのか。こんなのとホテルで一夜を過ごす男の神経も尋常ではない。
 へんな興味で、このニュースは見守りたい。
 調べごとがあって、午前、西長堀の中央図書館へ行く。
 あと、湾岸区(大正)へ行くか迷ったが、木津川上流、中央市場まで歩く。
 中之島の河口端、寒々とした眺めがたまらんなあ。
  *
 中央市場内の奥にある「みよし食堂」で親子丼。
 オモテの寿司屋などの棟とちがって、昔ながらの雰囲気を残す数少ない店である。
 玉川まで歩き、地下鉄で帰館。
 駅売り夕刊の見出し。
 フジ「北クーデター」(小さく「予兆」)、ゲンダイ「金正恩暗殺」(小さく「計画」)。
 予兆も計画もないはずはないだろうけど、びっくり期待するねえ。
 夜は専属料理人に刺身、煮浸し、みりん干し、すぐきなど並べてもらって、正月用に買っていた呉春・特吟を呑む。
  *
 例年、1月は瓶をベランダに出しておけば適温になるのだが、今年はデカンタで冷やす。
 うま〜〜〜っ。やっぱり呉春だなあ。

1月9日(土) 神戸新聞文化センター
 夕刻に近い午後、三ノ宮へ行く。
 久しぶりに神戸新聞文化センターへ。
 高井信さん主宰の小説講座にゲスト講師としてお招きを受けたのである。
 SFの2作品についてレクチャーしつつ色々。
・中堅サラリーマンがとつぜん陥った24時間のタイムループ。自分の生理時間だけは24時間ずつ過ぎてていくが周囲は変わらない。「しゃっくり」の変形で、構成もよく練られている。しかも作者は「しゃっくり」を読んでないという。おれの評価は「半世紀前なら傑作」だが、小説を書き始めたのが数ヶ月前というから驚きである。
・「運命」が固定されている近未来。市民は自分の「運命」を聞く義務を負っている。運命を観測するのは神社みたいな形の量子コンピューター? その「ご託宣」を市民に告げる役職の公務員が語り手だが、彼は「自分の娘の死」を娘に告げなければならなくなる……。超管理社会となった近未来と「猿の手」的恐怖描写が混在する中編。意欲作であるのは間違いないが、裏にある巨大な設定につなげるまでの語り口にブレがある。参考例として映画『運命のボタン』と原作(リチャード・マシスンの短編)を比較して話したが(傑作短編を長編映画にする過程でブレが生じている)、高井信さんもまったく同感ということであった。映画『運命のボタン』に匹敵するという意味では、相当レベルの高い作品ということである。
 あと、近所の居酒屋で一杯。
 30年以上前に会ったことがあるという方(チャチャヤン・メンバー)がいたりで、古いSFと最先端SFの話題が錯綜して、これまた面白い。
 「最終」で名古屋へ帰る信ちゃん、天王寺の橋本喬木さんと新快速で大阪まで。
 22時前の帰館となった。

1月10日(日) 風呂本佳苗リサイタル@芸術文化センター
 きちんと午前5時に起きる。
 きちんと自分で朝食も作る。
 きちんと洗濯……は、まあしばらく溜めといてもよかろう。着替えはする。
 昼に出て、西宮北口へ。
 芸術文化センターの小ホールで、新年恒例風呂本佳苗さんのピアノリサイタル。
 今年の聴き初めである。
 「水は謌う」のテーマで、ドビュッシー「水の反映」、ラヴェル「海原の小舟」、ショパン「舟歌」など10曲。
 実に品よく格調高いのだが、隣のオバハンが困るね。
 ラフマニノフ「音の絵」の演奏前の紹介で風呂本さんが「静かな曲で睡眠にいいかも」といったら、これを真に受けたのか、途中から本当にかなりの音量のイビキが隣から聞こえてきた。おれと間違えられても困るから、眼鏡をいじったり頭を掻いたり、時々体を動かして、起きていることを周囲に示さねばならぬ。
 その後も、曲の合間の数分間にオカキ食べたり、困ったオバンだ。
 終演後、ロビーで芦辺拓さんと挨拶。なぜか毎年来てはるなあ(あ、上記ブログに「夫は……」とあるから、隠すことでもないか)。
 「某クラブがむちゃくちゃでっせ」という面白い話をちょっと聞くが、あまり時間がなく残念である。

1月11日(月) 堀川戎
 午前、雑事を少しばかり。
 昼前に福笹を持って堀川戎までぶらぶら歩く。
 昨年はゼンジー北京師匠の御利益で、タイムマシン業は何の努力もしないのに黒字であった。
 感謝しつつ、福笹を返納する。
 残り福の日だが、混み合っていて、本殿前は長い列。
  *
 ゼンジー北京師匠はいてはらんようだし、米八師匠は亡くなられた(他人に福を授け過ぎか)し、福笹は購入せず、脇の方から気持ちだけ参拝させていただく。
 タイムマシン業は消極的経営に転じ、注文なければそれでよしという方針を決めたのである。
 福笹なしだから、あとはぶらぶら歩き、天神橋筋の方に抜け、商店街を北上。休日で人出多し。
  *
 昼は玉一でこういうものをいただく。
 水分補給も怠りなし。
 天八経由、城北公園通りを歩いて帰館。8,029歩となった。
 そうか、本日は「成人の日」なのであった。
 夕刻のニュース。
 例によって新成人のバカ騒ぎ報道を見るに、暗澹たる気分になる。毎年同じような映像、ということは、毎年ほぼ同数のアホが成人になっとるのだなあ。
 年々歳々アホ相い似たり
 歳々年々アホ同じからず
 嗚呼。

1月12日(火) 穴蔵
 終日穴蔵。
 少しは仕事もする……つもりが、アタマ働かず、コタツで本を読んで過ごす。
 15時頃に散歩に出たが、風が冷たく、梅田貨物線の高架沿いに300メートルほど歩いたところで引き返す。
 いかんなあ。
 明日は寒冷地行きなのだが。

1月13日(水) 大阪←→姫路←→播州龍野
 早朝の電車で播州龍野へ向かう。
 冬至を過ぎて3週間というのに、朝は暗い。明石過ぎたあたりで車窓から景色がうっすらと見えだした。
 午前9時前に実家に到着。
 龍野書斎は6℃。まあ、こんなものであろう。
 書斎には籠もらず、周辺うろうろ、雑事いろいろ。1月は地域のことが多い。
 昼前にだいたい片づく。1件持ち越し。来週に送らざるを得ない。
 長居無用、昼の姫新線で姫路へ移動する。
 「灘菊」直営店で日替定食のつもりでいたら、定休日であった。
 少し北側の居酒屋で刺身定食を食したが、灘菊の比ではない。値段780/600なのに、品数、味すべて半分以下、ボリュームがかろうじて同じというところか。嗚呼。石挽蕎麦にすればよかった。
 晴れたり曇ったり、天気不安定だが、姫路城まで歩く。
  *
 西側のなんとかの櫓が修理中である。
 近くでカメラ構えている人に聞けば、1年くらいかかるのではないかという。必ずどこかは改修工事中なんだとか。
 夕刻に近い時間の新快速で帰阪する。

1月14日(木) 穴蔵
 桂春団治師匠の訃報。米朝師匠死去の報道にも出てこられなかったからなあ。
 これで上方落語も大きく代替わり(松之助師匠がいてはるが、近年見ないし)である。
 服喪ではないが、終日穴蔵。
 DVDをごそごそするが、春団治師匠のは所有してなかった。
 気合い入らず、ボケーーーーーッと過ごす。

1月15日(金) 穴蔵
 午前5時、軽井沢で深夜にスキーバス転落のニュース。暗くてまだ中継はない。
 終日穴蔵。
 出歩く気分にならず、事故の現場中継を断続的に見ながら過ごす。
 生産的なことは何もできず。


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