『マッドサイエンティストの手帳』475

●マッドサイエンティスト日記(2010年3月後半)


主な事件
 ・播州龍野の日々(15日−)
 ・創サポ講義(20日)
 ・滝川・鈴木2clライブ(29日)
 ・阿倍野〜飛田〜天王寺公園(31日)


3月16日(火) 播州龍野の日常/里山
 春である。
 午前6時の室温は17℃。
 下男仕事の合間に、庭や塀の外などを観察するに、2週間で色々と開花してている。
 白木蓮(1週間ほど早い)、釣鐘草、仏の座、水仙、その他名前のわからぬのが3つ。
 わがアタマ同様の「ボケ」も開花寸前である。
 今回の冬もなんとか抜けられたようである。
 午後、車検の合間だが、定期点検でまるさん自動車へクルマで行く。
 龍野市東端……欅坂隧道の少し手前である。
 点検の合間、1時間ほど近くを散歩する。
 竹林が広がっていて、写真を撮ってたら、軽トラのおじさんが来る。
 「何してはりますねん?」……タケノコ泥棒と間違えられたのかも。
 クルマ点検やと説明したらわかってくれたらしく、タケノコ(来週あたりから本格的に掘るらしい)栽培について色々と説明してくれた。
 このあたりは「太市(おおいち)」(播州ではタケノコの有名ブランド)の山つづきで、品質はいいが、流通での搾取がひどくて、専業ではとてもやっていけないらしい。
  *  *
 ちょっと上に歩くと大きな池がある。
 周囲は里山の雰囲気で、「山笑う」季節を実感するなあ。
 堤にはオオイヌノフグリがびっしりと咲いている。
 「湖畔の宿」の雰囲気であるなあ。

  水にたそがれ迫る頃 岸の竹林コソコソ行けば
  タケノコ泥に間違われ イヌノフグリにほろほろと
  いつか涙の陽が落ちる

 掘りたてのタケノコの刺身で「龍力」を一杯やりたい気分だが、太市タケノコは解禁寸前。
 夜はキムチ鍋で「神の河」湯割りである。

3月17日(水) 播州龍野の日常
 急激に寒くなった。午前5時の室温は10℃である。
 しかし、これは放射冷却らしい。
 2桁室温は幸せだと思わねば。ともかく、今冬も「エベレストを征した下着」の出番はないまま過ごせそうである。
 下男仕事で1日が過ぎる。
 自動車保険の手続きで、本日もまるさん自動車へ。
 タケノコのおじさんがいたら2、3本直販してもらおうかなと思ったが、本日は人影なし。
  *
 ただ竹林が風にかすかに揺れているだけである。
 センチメンタルになるぜ。

3月18日(木) 播州龍野の日常
 相も変わらず下男仕事。
 合間にボケーーーーーーッと書斎の窓から外を眺めて過ごす。
 庭に野良が来た。いや、野良にしては栄養状態はよさそうな。
 
 「黒」と「白と黒のまだら」は時々来るが、この「トラ」は初めての来訪である。
 また時々寄ってくれたまえ。
 ということで1日が過ぎる。
 夜は、老母の夕食につきあって、野菜の煮物とみりん干しで軽くビール。
 老母は20時前に就眠。ほっ。
 おれも久しぶりに「入浴」して体を温め、あと、代用冷麺を作る。
 即ち、素麺を茹で、トマト、カイワレ、ハム、キムチをドバドバと載せ、ヒガシマルの「ぶっかけ素麺つゆ」をぶっかけた逸品である。
 
 氷のブロックを数個入れるあたりが粋だよなあ。
 これで「神の河」ロック。たまらんなあ。
 そろそろ早寝。

 本日のニュース雑感。
・昨夜、圓丈と鳳楽の「圓生名跡争奪落語会」があった。(NHK7時のニュース)
 鳳楽はシャレと思っているらしいとか。
 圓丈は本気で圓生襲名とは思ってないだろう。狙いは「襲名中止」か。
 おれは関西の人間で「鳳楽」なんて聴いたことがない。できれば棚上げにしてほしいなあ。
・勝呂忠氏の訃報。早川清くんも遠くなりにけり、か。勝呂さんの原画の帰属はどうなっているのか。早川が約束を守ったのなら、今はどこかの某美術館に寄贈されているはずだが。できることなら、おれは自由に勝呂氏の原画を見たい。
 浩くん、罪滅ぼしに尽力してくれんかねえ。
・あちこちで議論されている「非実在青少年」問題。
 都議会では「先送り」なったようだけど、おれは、むろんこんな法案には断固反対する。
 永井豪さんの意見表明には全面的に賛意を表する。
 ともかく「読者」「ファン」の立場で断固支援する。
 おれ自身の見解を述べるべきだが(おれモロに抵触するようなのを書くことはないと思うが、たとえば異星人の生態を「翻訳」するかたちで書いたら「都」から難癖つけられる可能性なきにしもあらず)、まだまとまらない。
 細かい論評は後日にするとして、こちらには声援を送ることにする。

3月19日(金) 播州龍野→大阪
 慌ただしくも下男仕事を片づけ、昼前の電車で帰阪する。
 身内とたぶん加古川あたりで交替である。
 午後に穴蔵に帰館。
 雑事山積。
 あれこれ片づけていたら、播州龍野から電話あり、訃報である。
 まあ、前からややこしい状態と聞いていたし、90歳を超えているしで、驚きもせず。
 葬儀に合わせて龍野行きとする。
 慌ただしいことなり。

3月20日(土) 穴蔵/天王寺/創サポ
 穴蔵にて午前7時に目覚めた。
 よく寝たものである。
 午前中、仕事の資料を再読……と、妙な矛盾に気づいた。
 間違って送られてきたものらしい。
 ややこしい事情は書かないけど、明らかに先方のミス。
 あわただしくも、あちこち連絡。ああ、ややこしい。
 おれは電話嫌いである。
 携帯電話は持っているが、これは播州龍野のタイムマシン格納庫に固定電話を引いてない時に、万一のことがあれば困るからと専属料理人に命じられて所持したもの。
 したがって、携帯の利用は、家族と兄妹間のメール連絡がほとんどである。
 が、本日は別。連絡のつきそうな数氏に携帯で電話しまくって、10分ほどで資料の持ち主にたどりついた。
 たかが電話、されど電話であるなあ。
 ちょっと反省して、携帯連絡も毛嫌いしないことにする。
 しかし、よほどのことでない限り、電話はごかんべんを。
 昼過ぎに地下鉄で天王寺まで資料を借りに行く。
 地下街をあがって市立大医学部のあたり、初めて来るが、近代的な雰囲気なり。
 この辺から「釜ヶ崎」あたり、ぶらぶらしてみたいが、後日とする。
 まっすぐ帰館して、資料を読む。
 夕刻、穴蔵を這い出て、地下鉄で天満へ。
 八軒家浜、植樹された桜が開花している。
 
 安藤忠雄さん(元気でやってくださいよ)提唱の中之島「桜」計画、まだ木は小さいが、これからである。
 18時からエルおおさかで創作サポートセンターの講義。
 本日は、提出作品20篇の論評を青木治道さんと行う。
 ここ数年、青木さんとやってる。青木さんのコメントは、ともかく青心社を40年近くやってきただけあって、作者の資質と商業ベースを配慮した「厳しくも暖かい」もので、こちらにも参考になることが多い。
 おれのベスト5。
・女子高生の親友ふたりの奇妙な関係を描いた「優しいディック」(←おれの命名)作品。
・泥棒一家に生まれた少年の(児童向)成長小説。
・歪な美意識にとわられた歯科医の不気味なモノローグ。
・アイドル女高生から「指名」された男子高校生のドタバタ。
・変な金魚を飼う隣人を描く「奇妙な味」の短編。
 他にも、アイデアをパクりたくなるようなのが数編あって、なかなか刺激的であった。
 大幅に時間超過して2時間40分かかってしまった。
 まっすぐ帰館。
 本日は暖かく……というか、汗ばむような陽気で、「とようけ」の冷や奴、サンマなどで遅めの晩酌。
 明日からまた播州龍野行きである。

3月21日(日) 大阪→播州龍野
 午前5時に起きて播州龍野向かう。
 5時30分頃の梅田コンコース、朝まで飲んでたらしい若者であふれている。イカレたのやら、まともなサラリーマン風、それに結婚披露宴の帰りみたいなグループも目立つ。
 6時始発の特急は満席。尼崎でも乗ってくる酔客がいて、西宮まではラッシュ時の雰囲気になる。
 不況どこ吹く風であるなあ。
 播州龍野に9時前に到着。
 下男モードに入る。
 午後に某葬儀に一家を代表して参列。
 老母とほぼ同年の方で、ご近所でもあり、昨年まで時々来られて老母としゃべってはった。
 老母も特に落ち込んだ様子もなし。
 そういうものである。
 塀の外では、白木蓮が強風で散り始め、ボケの花が咲いた。
  *  *
 今や親子揃ってこの花状態。
 大阪の「咲くやこの花賞」に対抗して、兵庫県も「あほかこの花賞」を創設してくれないものか。
 井戸くん、どうよ。
 第1回の受賞者となって親孝行したいものである。

3月22日(月) 播州龍野の日常
 相も変わらず下男仕事。
 合間に本を読んで過ごす。
 夕刻に近い午後、自転車で買い物に出かける。
 クルマの走らない道を移動する。幹線水路沿いに南へ走る。
 本竜野駅から西へ300ーメートルのところ。
 ソーラーパネルが設置してあり、その北側30メートルのところに水車小屋の模型みたいなのがある。
  
 5年ほど前に作られたのかな。
 ソーラーで発電して水車を回す趣向らしいが、おれは、これが動いているのを見たことがない。
 そもそも発想が真逆である。水流で水車を回して発電、それで街灯をともすか何か表示するのが、エコ的にも本来の姿だろう。
 発想がまちがってる上に、出来た時からまったく機能していない。
 作ったのは「たつの市」か? 改名以前の「龍野市」か? 国交省か? ヒガシマルではあるまい。
 早いとこ撤去した方がよろしいで。
 田舎町行政の恥さらし。
 たつの市に観光に来る皆さん、新装なったJR本竜野駅から正面の通りを300メートル、右手に見えるソーラーパネルと水車小屋模型を大いに笑ってやってください。
 エコとアホを勘違いしとるのであります。

3月23日(火) 播州龍野の日常
 終日雨が降り続く。
 肌寒い日である。
 洗濯物は屋内の渡り廊下に干さねばならぬし、下男にとっては憂鬱な日である。
・ニュース雑感。
 綾戸智恵が入院!?
 母親の介護に「疲れてしまって精神安定剤を多めに飲んでしまった」とか。
 介護用品のCMはを何度か見たが、あれは私生活であったのか。
 CMだから「演出」は当然だろうが、おれはいい印象を受けなかった。
 ただ、CMのイメージに私生活が縛られたのではないか……つまり、CMと実生活がちがうやんけという非難を警戒して(あるいはスポンサーからの要請があって)律儀に介護生活を続けたのではないかと心配になる。
 実生活は、CMみたいなきれい事ではないはず。自分の仕事や人生を犠牲にするのだもの。
 ファンとしては、CM料でご母堂をしかるべき状態にして、歌ってほしい。
 個人的には同情を禁じ得ないが、実生活をCMにしたことは自業自得でもあるなあ。
 これ以上はコメントしにくい。
 明日は我が身……いや、うちもそれどこじゃないもんね。

3月24日(水) 播州龍野→大阪
 雨が降り続く。
 ちょっと気分転換しなければならぬ。
 昼前、帰阪することに。
 本竜野駅、古い跨線橋の取り壊し工事が始まったようである。
 
 作られたのは半世紀ほど前のはず。中学2、3年の頃だったと思う。
 部分的にレールを使った構造で、なかなか風情があるがなあ。
 午後、穴蔵に戻る。
 夜、専属料理人に色々(空豆・ミニステーキ・季節のサラダ・浅漬け・その他)並べてもらって晩酌(ビール・安ワイン)。
 21時頃に早寝するのである。
 綾戸智恵にならないためにも、ストレス解消しなければ。
 明日は悪所通いにチャレンジだ。

3月25日(木) 穴蔵/雨の日本橋
 定刻午前4時に起床、5時に近所のコンビニで週刊新潮を買ってくる。
 「赤報隊」虚報でミソをつけた週刊新潮、久々のスクープである。
 国家公安委員長の中井ハマグリ(←通称。洽…ひろしと読むらしいが、蛤に似ているのでこう呼ばれているらしい)が30歳年下の銀座ホステスを議員宿舎にたびたび連れ込んでいて、路チュー写真までバッチリ撮ってある。
 ハマグリの顔の凄さとホステスのスタイルのよさのアンバランスが、これまたたまらんなあ。
 やるなあ、週刊新潮! また時々購読するからね。
 ハマグリの更迭は必至であろう。
 と、午前9時から、コンコン・ドンドンと金槌を使うような音が響いてくる。
 エントランスへ行って掲示を見ると、2階下・斜めの部屋がまたもリフォーム工事である。
 キッチン、浴槽、トイレ、給湯器、全部交換の本格的工事で4月10日までかかるらしい。
 隣室ほどではないが、落ち着かず。ま、しようがないか。
 午後、タイムマシンの部品を探しに日本橋へ行く。
 恵美須町のシリコンハウス……やっぱり交換部品はなし。
 近年、プラグとかコネクターなど、ありふれた部品の製造中止が多くて困る。
 タイムマシンなら過去へ調達に行けばいいではないかといわれると困る。わが社のタイムマシンは「時速1時間・未来行き専用機」だから、部品は在庫がなければ現地調達する他ないのである。
 日本橋もパーツ屋が減った。ニノミヤも閉店だし。電気部品はシリコンハウス、機械部品はナニワネジだけといっていい。
 困ったものだ。
 本日は、日本橋のあと、新世界を抜けて、某「悪所」へ行くつもりだったが、小雨が断続的に降り、寒いので気分が萎えてしまった。
 北へ方向転換する。
 
 建て替えや外装工事中の建物が多く、グルービーな外壁もあるぜ。
 久しぶりにミュージクラフトに寄ってビール1杯。
 管球のサウンドを30分ほど。
 夜は、寒いので、専属料理人が鶏つみれ鍋を作る。湯割りをだらだらと呑む。
 下男の休日は終わった。
 明日からまた田舎行きである。

3月26日(金) 大阪→播州龍野
 早朝の電車で播州龍野へ移動する。
 下男モード入り。
 寒いのであった。
 9時の書斎室温は9℃で、1月に較べればましだが、キンタマは収縮するなあ。
 晴れ時々曇……わ、霰が降ったきた。
 『ザ・ラスト・ウェーブ』の冒頭シーンみたいだ。
 そういえば先日パースで大粒の雹が降ったようだけど。イーガンくん、たぶん無事であろう。
 龍野もパースも同じ雰囲気と思うと、少しは仕事をしなければという気分になるなあ。
 が、雑事以外、コタツで本を読んで過ごす。
 早寝するのである。

3月27日(土) 播州龍野の日常
 粛々と下男仕事に励むのであった。
 天気予報では朝は「氷点下」になるかもとかいってたが、6時の室温は8℃、窓外は3℃で、ひところの寒さではない。
 庭と周辺の花を観察するに、3月になってからウチの敷地内で8種類の花(名前不明の野草から木瓜まで)が開花している。
 やはり、ほとんど春なのであろう。
 夜、老母が寝てから、「神の河」湯割り飲みつつ、亀田興毅とポンサクレックの「フライ級王座統一戦」を見る。
 カメ、判定負け。KO負けを期待してた立場としては物足りないし、カメの態度も無様ではなし、まあ楽しませてもらった。

3月28日(日) 播州龍野の日常
 本日も粛々と下男仕事を遂行する。
 昨夜の「フライ級王座統一戦」の判定について、またもカメの親父・亀田史郎が騒いでいるらしい。
 この親父が息子たちをスポイルしていることは、もとバンタム級の大ちゃんがずっと前から指摘しているが、相変わらずなんだなあ。
 午後、運動不足なので、久しぶりに川沿いの散歩コースを1時間ほど歩く。
 ニセアカシアが芽吹いている。
 川面で水鳥がしきりに潜っては魚を狙っている様子。
  * 
 もう春であるなあ。
 なんとかこの冬も生きて越せたようである。

3月29日(月) 播州龍野→大阪/滝川・鈴木2clライブ
 早朝から張り切って下男仕事。
 昼間の電車で大阪へ移動する。
 下郎の春である。ちょっと寒いけど。
 穴蔵に戻り、雑事の処理。
 専属料理人は実家に帰っていて不在である。西も東も色々たいへんである。
 夕刻、出かけることにする。
 豊崎西公園……桜は五分咲き程度で寒風が吹く中、花見の準備をしている連中がいる。
 たいしたものである。
 地下鉄でナンバへ。
 串カツ屋でビールを引っかけたあと、「845」へ。
 2clライブである。
 
 滝川雅弘(cl) 鈴木孝紀(cl) 大野綾子(p) 宮上啓仁(bs) 高阪照雄(ds)
 滝川・鈴木の2clは(2clセッションというのがあまりないこともあって)日本最強だろう。
 本日も、チャーリー・パーカーやコルトレーンの初めて聴く曲がメインで、2clアレンジのレパートリーが増えているのは嬉しい限りだ。
 ただ……やっぱり一言いっとこ。
 部下か子分3人連れて前のテーブルに陣取った「大西」というおっさん、やたら叫び声や私語がひどくて、迷惑きわまりない。ワンマン経営者に多いタイプだ。
 大西に告ぐ。
 王侯貴族が貸し切りで楽しむのならそれでいいが、そうでないなら大声の野次は謹んでくれたまえ。
 本日のライブはカンパ制だから、10万円くらいはカンパしたのだろうな。独占状態だったのだから。
 もしそうでなかったら、今度見かけたらぶん殴ってやるからな。
 おれは、あんたの白いワイシャツの背中を睨みつけながら、50センチの距離に座っていた男である。
 覚悟しとけ、ドアホ。

3月30日(火) 穴蔵/ウロウロ
 わ、午前8時に目が覚めた。
 ちと二日酔い気味である。
 穴蔵にて粛々と雑事の処理。
 金融機関関係の処理もあって、昼、自転車で天六の銀行へ。
 ついでに(このところ野菜不足なので)玉一で焼肉定食。ともかく、ここは野菜が多いのである。
 野菜不足と思ったら、お好み焼きか菊華の皿うどんか玉一に限る。
 快晴で暖かくなり、冬の「玉一」状態がほぐれて「玉二」になるのを実感する。
 あと、都島橋から毛馬閘門へ走る。
 大川沿いの桜はまだ3分咲き程度である。
 毛馬橋の下をくぐったら、毛馬閘門のいちばん大きいゲートが開いて、船が下流に出てくるところだった。
   *
 時々通る場所だが、初めて見る光景である。
 土砂運搬船が7隻、ゲートから続々と出撃する。
 ああ堂々の輸送船……
 淀川堤を走って帰館。
 本日も専属料理人は不在。
 晩飯をどうしようか迷っていたら、20時過ぎに、ボンクラ息子その2が「ほうれん草のおしたし、豚肉・白菜煮、ホタルイカ酢みそ、一口カツ・キャベツ」を作った(カツは出来あいの)。
 なかなかのバランス。明らかに専属料理人の血筋である。
 これでビール、湯割り。
 おとなしく寝るのである。

3月31日(水) 穴蔵/阿倍野〜飛田〜天王寺公園
 穴蔵にて粛々と雑事の処理。
 天気がいいので、昼前から出かけることにする。
 地下鉄で天王寺へ。
 先日、久しぶりに天王寺へ来たが、時間がなくて行けなかった「マントヒヒ」の跡地を見るのが主目的である。
 つまりモラスキーさんが「ジャズ喫茶論」で論じた「売春地帯とジャズ喫茶」を確認してみたくなったのである。
 ジャズはニューオリンズの娼館から生まれたのだからなあ。
 阿倍野銀座を抜けて斜めに坂道を下るつもりでいたら、なんと阿倍野銀座が消滅している!
 
 近鉄百貨店の建て替えに連動してか、向かい側一帯の中座していた再開発計画がまた動き出したらしい。
 相当大きな商業施設になるらしく、阿倍野銀座は完全消滅である。
 廃墟になりかけていたこの一帯を歩いたのは、もう7年ほど前になるのだなあ。
 阿倍野ルシアスを回って市大医学部の南側へ行くが、山王町へ下る道は広く、集合住宅が建ち並んでいる。
 
 「マントヒヒ」はこのあたりにあった。当時の雰囲気はまったく残っていない。
 坂を下ると新開筋商店街で、ここは昔のまま。ただしシャッター下ろした店が多い。
 で、商店街からちょっと南に入ると、飛田新地、さすがにおれもここでカメラ構える度胸はない。
 外れの道を「百番」の前まで歩くが、真っ昼間から営業している店もあって、通りの向こうから「おとうちゃん、こっち側へきいな!」の声。嗚呼。
 おれはブラブラするのが好きなので「実践」は興味も体力もないよ。
 
 この「百番」で米朝一門若手連中と歯科医ハラダはんの送別会をやったのは20年ほど前だが……この店で刺身なんて食べる気にならなかった。
 ジャズ喫茶は滅びて遊郭は残った。
 市営南霊園の前に出て、阿倍野筋へ。
 「明治屋」はどうやらこのままのかたちで残るらしい。
 天王寺公園に入る。
 免許証を提示すれば無料で入れることに気づいたからである。なんと四半世紀ぶりである。
 150円取られるようになってから入ったことはない。
 と、通天閣を正面に見ながら坂を下っていく道が閉鎖されている。
 
 おれが好きな大阪の風景のひとつが失われているのである。
 いったん公園を出て、動物園に回ってみる。
 動物園も無料で入れることがわかった。
 で、下から坂道へ行ってみる。
 下からの道も途中、柵で断ち切られている。
 柵の位置から振り返ると、かろうじて坂道から見る通天閣がよみがえる。
  *
 だが、最高のビューポイントはあと30メートルほど上なのである。
 何よりも坂道を下っていく雰囲気が素晴らしかったのである。
 坂道は50メートルほどが立ち入れない区域で断ち切られている。酷いことをするぜ、大阪市は。
 ジャンジャン横丁へ出て、遅めのランチ。やまと屋2号店でサービスランチと生中。
 動物園前から地下鉄で帰る。
 よく歩いた気がするが、歩数計を忘れたので計測できず。たぶん8000歩くらいであろう。
 明日からしばらく田舎暮らしとなる。

[最新記事] [次回へ] [前回へ] [目次]

SF HomePage