HORI AKIRA JALINET

『マッドサイエンティストの手帳』32

●マッドサイエンティスト日記(1997年8月前半)

主な事件
 ・「私家版SF年代記」をリニューアル
 ・「そして、風が走り抜けていった」は本年度ノンフィクションのベストワンである。

1997年

8月1日(金)
 永山則夫の死刑執行。連続射殺魔逮捕は1969年4月、今の会社に入社した直後である。合宿研修が終わり、実習のために工場に向かう途中、タクシーの中でニュースを聞いたのを覚えている。
 つまり、永山の獄中生活とぼくの会社生活はきれいに重なっている。
 小説を書いている期間もほぼ重なるわけだが、妙なことに、なんの感慨もわかない。
 「サハラの水」を書いた正田昭氏の死刑執行の時のショックの方が遙かに大きかった。
 若かったのと、間接的にであれ、事情を知っていたからだろう。

8月5日(火)
 上京。途中、集中豪雨で新幹線立ち往生。
 夕方、アトソンに寄る。パソコンまだ不調につき、てほさんの助けを借りて、ホームページを一部更新。
 島戸社長、梅村氏、岩崎氏、手嶋氏とビール。あと、新橋近くのJUNEへ。「Body&Soul」で山下NYトリオがあるのは「追っかけカレンダー」でわかっていたのだが、22時ちょっと過ぎてしまい、疲労蓄積状態が解消されぬまま、翌日スケジュール優先でそのままダウン。残念である。

8月6日(水)
 朝から、都内ウロウロ、昼前、新横浜コソコソ、午後、静岡経由清水市でウダウダ、夕方、清水市の「日の出寿司」でジャカスカ、駅前スナックでガヤガヤ、深夜、静岡の家内の実家へヨタヨタ。

8月7日(木)
 やっとパソコン復調。

8月8日(金)
 午後8時、インタープレイ8にギリギリセーフ。ハチママ、ええっと64歳の誕生日ですね。
 今年はNYトリオのツアー中のため、恒例の「8時8分8秒」カンウトアップ乾杯は居合わせた全員の唱和で行う。
 某メーカー重役・若村氏、ちょっと遅れて合流。
 若手バンドが音を出し始め、店内、立食パーティギュー詰め状態になってきたところで早めの退散。
 この調子だと、ハチママの88歳の誕生日まで続きそうである。

8月10日(日)
 ホームページの「私家版SF年代記」をリニューアルする。
 森下一仁氏のホームページにある「私家版SF辞典」にならって、ランダムに記載していける形式に変更したもの。……「宇宙法廷ノート」のために70年代後半〜80年代前半について調べ返していると、新発見が多い。あほらしいことばかりだけど。

8月11日(月)
 「謎の美少女」千加ちゃんが、9月に結婚、長野へ行くというので、昔から千加ちゃんと知り合いだった、ぼくの会社にいる女性SFファン(こちらもすでに人妻である)と3人で送別会。席上、ショーメーショの証人欄へのサインを頼まれる。岡本吉民・幸子夫妻のアイデアから始まったのだが、すっかり定着しているなあ。
 1999年のSF大会は長野開催の可能性大という。とうぜん7月開催。うーん、どうなることやら。

8月14日(木)  世間はほとんど休み、工場関係も大部分が休みというのに、弊社はまだ出勤である。

8月15日(月)
 朝の新快速で龍野市の実家へ行く。
 意外に涼しく、まとまった時間がないので読めなかった植田沙加栄「そして、風が走り抜けていった」(講談社)を一挙に読了。感動した。ぼくがジャズを聞き始めたのは中学2年生の頃……昭和33年……であって、守安祥太郎のピアノを同時代で聴けるチャンスはなかったのだが、数年後に秋吉敏子の「長い黄色い道」をソノシートで聴いているから、ほんのわずかの差で聴けなかったという気がしたならない。
 ノンフィクションでは本年度ベストワン間違いない。



『マッドサイエンティストの手帳』メニューヘ [次回へ] [前回へ]

HomePage