HORI AKIRA JALINET

『マッドサイエンティストの手帳』29

●マッドサイエンティスト日記(1997年7月前半)

主な事件
 ・男子中学生A
 ・火星からの画像
 ・連載開始! 「太陽風交点」事件始末
 ・コーシンの酩酊について

1997年

7月1日(火)  いつもより早く3時前に目覚める。自転車で梅田を散策。平日でも最近は路上にたむろしている得体の知れない青少年多し。神戸の事件が気になって、コンビニで朝刊数紙を買ってきて読み較べる。
 NHKを含めて「ホラービデオの影響」を報じる中で、朝日の論調だけが早くも「教師の暴力に対する復讐一色」である。見出しは「理由なく体罰を受けた」「黙り込む学校」「弁護士の要請却下」で、ホラービデオの文字はなし。「人権派」の弁護士がししゃり出てくるのかな。ぼく自身、刑事事件にからんだことはないが、「人権派」というやつには嫌なめにあわされたことがあって、まず警戒心が先に立つ。

7月2日(水)  5時のNHKニュースで「フォーカス」が生首中学生の写真を掲載、JR東日本や大手コンビニが販売中止決定という。15後に一冊入手。この辺のフットワークが吾輩の取り柄である。

7月3日(木)
 「週刊新潮」も販売拒否のもよう。本日は入手失敗……しかし、連載記事はどう扱われるのだろう。

7月4日(金)
 中国へ出張する上司のために、日本橋へ電子手帳を買いに行く。中国側からのリクエストである。ひらかな入力機種が使えるわけがない。手書き入力の機種だと漢字の入力ができるので、人気があるのだという。実用にはならないと思うがなあ。……近日発売のWindows CE を載せた携帯端末もへんなものだ。なぜ電子手帳まがいのちゃちなキーボードなのだろう。携帯端末は「書斎派(キーボード派)」と「電話派(ペンタッチ……よりも、しゃべり重視派)」に分かれると予想している。中途半端なキーボード機は売れないぞ。
 夕方、神戸へ。オリエンタルホテル。「筒井康隆氏 執筆再開・シュバリエ章受賞 を祝う会」へ。

7月5日(土)
 さすがに早朝には目が覚めず、明け方のマースパスファインダーの火星着地の中継は見逃す。7時のニュースでは無事火星に着地したらしい。
 昼前、火星のカラー画像が流れる。探査車がクッション材が邪魔で動けないようである。
 午後、昨夜の神戸宿泊組があいついで阪急梅田に到着。
 MINさんら関東の221組6名は青空書房へ。アトソンのたまさん、来宅。不調のパソコンをチェックしてもらう。結局、ハードディスクの物理的トラブルと判明。……MS−DOS時代に懲りているので、文書、データは原則としてフロッピーに保管しているから、被害はないが、修理にはしばらく時間がかかるなあ。
 たまさんは中津から新大阪へ。221組の顔は昨夜2時までいっしょで「もう見飽きた」……もつともである。
 自転車でインタープレイ8(ハチ)へ。東京221組6人と合流。山下洋輔「追っかけページ」のMINさんをハチママと対面させるのが主目的であったが、ハチママ所用で帰ったあと。ちょっと残念である。二代目マスター・明利くんが、気をきかせて、一昨年の8月8日ライブのテープをかけてくれる。8月8日8時8分8秒に乾杯するのが恒例行事(笑犬楼様も2,3回ある)で、このテープは山下洋輔さんがカウントアップして、この店に捧げた曲「ハチ」の演奏に入る趣向。ドラム・堀越彰、ソプラノサックス・菊池成孔。新感覚の「ハチ」で、これは確かに「秘蔵品」ですね。
 おなじみの焼鳥屋「てころ」へ移動、軽くビール。よからぬ陰謀について盛り上がったところで解散。

7月6日(日)
 猛暑。雲ひとつないカンカン照りの下、おなじみ堺沖人工島の工場で多能工となる。休日の仕事は楽しい。サウナより遥かに健康的である。この二日間のアルコールがきれいに一掃されて、夕方帰宅、シャワー、またもビールが呆れるほど入る。

7月7日(月)
 会社に午前中、某紙から電話。「火星に洪水の跡」が発見されたという。コメント依頼あり、色々しゃべりたいことはあるが、会社ではあまり大声ではやれない。「火星の砂」「グレッグ・ベア」など色々小声で。
 ぼくは日野啓三先生のコメントが聞きたい。

7月9日(水)
 夜、「宇宙法廷ノート」のまえがきを書く。
 ホームページへの連載開始である。
 パソコンが故障しているため、この日にアップできないのが残念である。

7月10日(木)
 週刊文春の小林信彦「横山やすし天才伝説」に、コーシン(高新太郎)の酩酊状態が活写されている。
 コーシンが銀座日航ホテルのやすしの部屋で酔っぱらっていたのは、記述によ れば1983年3月3日。この日、ぼくは夕方上京して、当時の徳間書店地下にあった 「樽小屋」でビールを飲んでいる。目と鼻の先の出来事で、まさにニアミス。
 さらに、小林氏が、コーシンを一度見たのは、「新宿の小さなバーで、酔って アントニオ猪木の真似をしていた。」とある。これは1977年9月某日のことだ……詳しい日付は調べ直さないと確定できないが、場所はコマ劇裏の「ジャックの豆の木」。この夜、上京していて、山田正紀氏とこの店で飲んでいたのである。奥の席で赤塚不二夫氏と小林信彦氏というたいへんな方が飲んでおられた。と、コーシンがやってきた。文春漫画賞の銓衡の日とかで、岩本義則の落選がけしからんと息巻いていた。(←自分が落選したのではない。義憤である。)アントニオ猪木の真似はこの流れで出た。ついでに松橋登も演ってくれた。コーシンは、なんのはずみか、ぼくの隣にきて、名前を聞くや、超光速のパラドックスを使ったギャグの話を始め(ぼくが「奇想天外」に書いた漫文を読んでいてくれたのである)、山田正紀といっしょに、おい、飲みに行こうということになった。ぼくも山田正紀もともに初対面である。これから午前4時までの出来事を書くと100枚くらいを要する。山田正紀がマイクを押しつけられて、「歌なんてしらないよ」「君が代くらい知ってるだろう」で君が代を歌わされたのも、この夜の出来事である。最後がゴールデン街のダーマエであった。
 コーシン、やすしとぼくは同年である。コーシンの当時の酔っぱらい方は凄かったが、お笑いに対する嗅覚は本物と思う。後日のことだが、泥酔状態で、大阪某スナックでギターを持ったアンちゃんを見て、お、シャボン玉寄席の○月に出ていた人だと指摘したのを覚えている。(歌手(?)の「ミスター・ウルフ」。カシアス・クレイと並んで写真を撮ったというエピソードがおかしかった。ボディガードに対して徹底的にゴマをするのだそうである。)ぼくもつまらんことはよ覚えている方だけど、コーシンはたいしたものです。
 コーシンの「ビートたけしの賞味期限」という本は、あっという間に消えてしまったという。ぼくは1冊持っているぞ。
 こんな細かいことを思い出すのは、81〜86年頃の記録を部屋一杯に拡げて整理中であるため。拡げている資料は「太陽風交点」事件に関するものである。

7月11日(金)
 夕方、大阪、シンフォニーホールへ。「トリオ1997」コンサート。
 トリオとは、山下洋輔(ピアノ)、渡辺香津美(ギター)、宮本文昭(オーボエ)(順不同)。
 ハチママと某社重役若村氏と並んで聴く。会場を見回すと、知った顔がちらほら。「邪眼鳥」からイメージされた「J.G.Bird」関西初演ということで筒井康隆ご夫妻の姿も見える。
 「J.G.Bird」はJGだからバラード風かと思っていたら、まるで音の迷宮に誘い込まれるような曲であった。
 終演後、プラザホテル1階のレストランでビールを飲んでいたら、外の道から窓を叩く人がいる。なんと電波天文学の巨人・森本雅樹センセイである。イオの社長・乙部さんといっしょ。5分前まで小松さんがいたという。
 たいへんな人たちがプラザに集結していた日である。

7月13日(日)
 前日から播州龍野の実家。例によって書庫で20年ほど前の本を再読。
 昨夜からの大雨が午後急にあがり、真夏のような日が射す。
 茶縞のトラ猫が来る。よく見れば、昨年秋に取り逃がしたノラ猫ではないか。一回り大きくなっている。猫騒動に懲りてどこかへ行ったのだと思っていたら、ひと冬をどこかで過ごしていたのだろう。生きているのだなあ。庭らかしきり老母に食べ物をねだっている。


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