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『マッドサイエンティストの手帳』373

●マッドサイエンティスト日記(2006年5月後半)


主な事件
 ・播州龍野の日常(16日〜)
 ・穴蔵の日々(22日〜)
 ・『日本沈没』試写会(29日)
 ・播州龍野の日常(30日〜)



5月16日(火) 大阪→播州龍野
 早朝の電車で播州龍野へ移動。
 うへっ、こちらは寒いねえ。小雨が降っているが、まるで氷雨。
 午前9時過ぎ、書斎の室温は17℃で、大阪の穴蔵の真冬温度。
 居間ではむろんまだコタツを使用している。
 タイムマシン・プロジェクトまたも始動。
 5月末から6月にかけての日程を色々調整する。
 ひょっとしたら海外行きの可能性もあり、ややこしくもありがたいことである。
 6月には久しぶりにSF作家クラブの温泉旅行があり、この前後の東京でのライブが楽しみなのだが、山下洋輔さんはパリ行き、森山威男さんも坂田明さんも上山高史さんも1週間ほどのすれ違い、谷口英治さんは1日のずれ……誰も彼もがおれを避けているような気がしてくる。
 あ、おれがSF作家クラブをやめればいいわけか。
 そうもいかんしなあ……。

5月17日(水) 播州龍野の日常
 本日より原則として門は閉ざす生活パターンを開始。
 朝刊を取り込んだあと、また門を閉める。
 来客歓迎せずの意思表示である。
 が、朝8時過ぎ、庭に出た老母が門を開けてしまった。
 趣旨説明するに、「そういう近所づきあいを拒絶する姿勢は困る」という。
 まあ、生まれてから離れたことのない家だからしかたないか。
 「ご近所の干渉」も昔ほどではないという。
 子供が外で遊ばなくなったのと同様、おとなの路上での立ち話(井戸端会議の路上版)もほとんどなくなってきたらしい。
 いわゆる「金棒引き」諸君もストレスがたまっていることであろう。
 だからこそ、たいした用事でもないのにブザー鳴らして入ってくるのである。
 この際、害虫は徹底防止すべきと思うが、ここは老母の意志尊重。
 これからは「開門」は老母にまかせて、おれは見張りだけとする。
 終日小雨が降りつづき、肌寒い一日である。
 こんな日は誰もこない。

5月18日(木) 播州龍野の日常
 小雨が降りつづく。
 寒さは和らいだので、ストーブを片づける。
 コタツは引きつづき使用である。
 半日、タイムマシン関係の仕事もするのであった。
 しかし……またも田舎ストレスがたまってくる気配。
 本日の来訪者、ガスの検針のみ。ほっ。
 夕食にポテトサラダを作り、150gのステーキ(豪州肉)を焼く。これで豪州ワインがぶ飲み。
 さすがにもたれるねえ。
 これから水割りなめつつコルトレーンを聴くことにする。
 少しはストレス解消となるか。

5月19日(金) 播州龍野の日常
 本日も終日雨である。
 パートナーの某くんが出張のため、夕方までタイムマシン格納庫にこもる。
 実家の方、本日も来訪者はゼロであったという。
 雨だと誰も来ないということは、やはり、もともとたいした用件ではないということであろう。
 夜、500円で買ってきたDVDで『毒薬と老嬢』を見る。
 これは1968年にテレビで見て以来。
 前に見た時は爆笑の連続だったはずが、意外に笑えない。
 歳のせいかなとも思うが、最近の事件のせいで、こういう設定がリアルに感じられるのかもしれない。
 訪ねてきた人に「ワイン」をふるまおうかと考えてしまうところが、われながら恐ろしい。

5月20日(土) 播州龍野の日常
 明け方に驟雨。
 昼前から晴れ上がった。
 老母は布団を干している。
 おれは慎重派なので、まだしばらくは冬物継続である。
 書庫の整理。
 1960年代の「シナリオ」「映画評論」「キネマ旬報」……ほとんどは学生時代に古本屋で買ったものだが、もう処分した方がいいようだ……と思いつつ、埃を払って拾い読みしていたら、たちまち半日。困ったものだ。
 寝転がって古い映画雑誌を読んでいたら、ブザーが鳴らされて「ごめん」という声。
 雨がやんだら、たちまちこれである。
 おれは岡本喜八の脚本や長部日出雄の映画評を読むのに忙しいのである。
 起きあがって階下へ行くのも面倒で無視する。老母は仮眠中か。集金ではあるまい。まさか返事がないからといって、室内まであがってくることはあるまい。
 門扉は閉ざしておくべきだなあ。
 夕刻。
 老母があさりの潮汁と焼きナスを作る。
 おれが枝豆を茹で、餃子を焼く。
 妙な取り合わせだが、なかなかいいのではないか。
 そろそろ就眠。

5月21日(日) 播州龍野の日常
 快晴である。
 老母が朝から洗濯したり布団や毛布を干したり、よく動いている。
 いいことではないか。
 おれは炊事以外やらんもんね。
 そういえば……老母の入院中のことを思い出した。
 病院で何かと世話していたおれに、やたらからんでくるばあさん(これも回復期の入院患者)がいた。
 あまり世話しすぎるのはよくない。なるべく自分でやるのが体にはいいとか。
 うるさいババアだなと思ってたが、1週間ほどして本音をもらしはった。
 「うちの子はなかなか来てくれへん……」
 うーん。退院がウチより早かったのかどうか、確認しないままになったが。
 ま、こうして日常に復帰すれば、あの時のアドバイスはありがたいと感じる。
 老母はおれのパンツも洗ってくれるわけで、昔ながらの習慣である。
 女房のでかいパンツを洗う「新車に乗った巨根」の気持ちなんて想像がつかんね。
 と、雑務は老母にまかせて昼寝するが、先日来、運動不足なので、久しぶりに夕刻散歩。
 揖保川沿いに歩く。
 ランドマークの大楠、新緑が鮮やかである。
 白壁の文字は夕日に映える。よっさん。あの頃は良かったなあ。
 
 堤防(畳堤)が改修されて、きれいにはなったが、風情がなくなったなあ。
 こちらに採用されている写真(3年前)と較べていただければわかるはず。
 ということで、夕刻運動したからビールがうまい。
 明日が「出所」なので、冷蔵庫片づけメニュー。
 片づけ終了後、シャワーを浴びて、ジャック・ダニエルの水割り飲みながら、宮沢昭のシンフォニック・ジャズ『ラウンド・ミッドナイト』を聴く。
 酔いがまわるなあ。
 深夜ムードだが、まだ21時。
 明日の出所に備えて早寝である。
 「明日は出所か」……三沢あけみだったか、演歌にこんなのなかったっけ。

5月22日(月) 播州龍野→大阪
 遠方より身内来たりて交替。
 保釈となる。
 昼間、大阪へ移動。
 姫路駅周辺……山陽百貨店の西側にクレーンが設置されていて、何か工事が始まっている。
 モノレール駅のあったあたりの整地か?
 高架の取り壊しではないようだが。
 姫路からは山陽電車特急で移動。
 山電の赤煉瓦造りの旧高架がJR山陽線の高架下ギリギリに残っているのも風情がある。
 
 これもいつまで残っているか……。
 次回の龍野駐在時あたりに見学に来た方がよさそうだ。
 午後帰館。
 穴蔵の室温27℃で、今年初めて靴下を脱いで過ごす。
 朝(一時的にだが)コタツを使用したのが信じらない。
 おれにはいちばん快適な季節である。

5月23日(火) 穴蔵/ウィックマン・ラストレコーディング
 朝から雨である。
 雨にもかかわらず、近所でビルの解体工事が始まっている。
 当分うるさい日々がつづきそうな。
 新大阪方面へ移った看護学院の建物。
 ベランダから見るに、ビル全体を遮蔽して、最上階でパワーショベルが稼働している。
 
 これがどんな「足場」に乗っているのかは見えない。
 見学しいみたいが、断られるだろうな。
 煙突の解体と同じく、自分の足場を上から壊していく方式だと面白いのだが。
 ロボット活躍の格好の場と想像するが。
 アスベストも大量に飛散しているような気がするし……。
 工事終了まで、窓は閉ざして生活する。
 昼前から雨が本格化。
 こんな日は終日穴蔵にこもっていたいが、雑件がたまっており、歩いて梅田へ。
 「ジャズの専門店ミムラ」に寄る。
 ミムラ「ルン吉さん、通りはりませんねえ」
 おれ「見かけなくなって、もう半年になりますねえ」
 ミムラ「どないしはったんでしょうね」
 おれ「寂しいですなあ……」
 ついでに三村さんが「イクザミナ」に連載開始のジャズ・エッセイを読ませてもらう。
 CDコレクターと奥さんの関係をネタに「You'd be so nice……」に関連づけた、うまいもの。楽しみな連載である。
 プッティ・ウィックマンの(たぶん)ラスト・レコーディング『An intimate salute to Frankie』(シナトラ・ナンバーをヤン・ラングレンのピアノとのデュオで吹いている)が入荷していた。
 夜、これを流しながら水割り。
 タイムドメインのミニをつないでいた古いミニコンポが壊れたので、ボンクラ息子その2が使っていたポーダブルCDプレイヤー(電池が塩を吹いていている7、8年前のもの? i-pod時代にこんなの使っているのはもういないだろう)を貰ってつないでみる。
 
 これが意外にいい音。
 拾いものであった。

5月24日(水) 穴蔵/夏モード/ハチ
 晴れ上がった。
 午前8時の穴蔵室温28℃となり、たぶんもう寒くなることはあるまいと、大掃除にかかる。
 午前中、本棚を整理し、レイアウトを夏モードに変更。
 久しぶりに掃除機をかける。
 午後は雑件処理のため、自転車で梅田ウロウロ。
 久しぶりにハチに寄る。
 と、ちょうど恒例「8月8日の山下洋輔ライブ」が決まったところだという。
 8月6日に京都・丸山公園でNYトリオ+オーケストラの野外コンサートがあり、山下さんのみ、そのまま滞在らしい。さっそく予約。
 6月は某作家クラブ関係で小諸行き。
 7月はデキシー・フェス。
 8月は8/8ライブ。
 9月はala(可児市)で森山ジャズナイト。
 最優先予定を月にひとつ決めると、あとは予定を決められない。
 秋口までの遊び予定が決まってしまった。
 10月にはなんとかニューヨークの秋を満喫したいものだ。
 修理依頼していたデジカメ「DiMAGE A200」がやっと戻ってきた。
 システムエラーと思っていたが「異常なし」で、コンパクトフラッシュのトラブルだろうという診断。予備で使っているCFをUSBメモリーを忘れた時に代用として使用したためか?
 よくわからぬままだが、CFをフォーマットし直して使用。
 
 居間から夜景を撮ってみる。特に問題はないようである。
 修理代2万円を覚悟していたのが無料になったから、まあありがたいことである。
 夜はカツオのタタキや豚肉のなんとかなど、和洋折衷メニューで白ワイン。
 最後にポテトのニョキ?とかいう「パスタの一種」なるものが出てきた。
 専属料理人は「うまくできた、おいしい」といっとるが、団子の出来損ないか「すいとん」みたいな歯ごたえで、半分しか食べられない。
 口直しに、水割りをつくって穴蔵に持って行く。
 珍しくもアッカー・ビルクを聴きながら水割り。妙な酔い方をしてしまう。
 就眠前のニュース。
 佐賀で「小学生轢き逃げ放置」して逃げていた「土木作業員」坂口三之治が逮捕されたという。
 おれは、てっきり自分で自分を裁いているものと予想していたが、見事に外れた。ほんまに佐賀もんか?

5月25日(木) 穴蔵
 昨日に引き続き快晴である。
 大掃除……穴蔵の本とCDの整理続行。
 期限は決めてないが、穴蔵に置く本は最低限の資料のみとして、いつでも「夜逃げ」できる程度に軽量化するためである。
 書庫は播州龍野の実家ということになるが、あちらにも古い雑誌や学生時代の参考書まであるからなあ。
 40年以上、本を処分したことがないからこんなことになる。
 終日穴蔵。
 不要品を空いている一室にまとめていくと、だいぶすっきりしてきた。
 夜は専属料理人に「お弁当」を穴蔵に運んでもらって、専属料理人ともどもこちらで晩酌。
 遠足気分……ではない。
 なぜこんなことやるかというと、先日セットしたタイムドメインミニ+携帯CDプレイヤーでジャズを聴きながらビールといきたいためである。
 もずく、じゃがバター、牛肉しぐれ煮、タタミイワシ、ゴーヤチャンプル、甘鮭となかなか豪華。
 おれはオーディオ・マニアではなく、そこそこの音質で聴ければ満足なのだが、録音がいいに越したことはない。
 ベニー・グッドマンのCDよりも花岡詠二のCDを愛聴するのは、やっぱり音質がいいからである。
 ただ、ハイファイ性の高いスピーカーで聴くと、録音状態の優劣が歴然で、愛聴盤は1/10くらいに絞られてしまいそうな。
 書籍同様、CDも整理の時期か……。

5月26日(金) 穴蔵
 終日穴蔵。
 ほとんど仕事はしないのであった。
 夕刻、かんべむさし氏来穴蔵。
 久しぶりに「SF検討会」。
 議題雑多。終わってみると何も覚えてないのは、ボケを議題にした結果か。
 早寝する。

5月27日(土)穴蔵
 終日穴蔵。
 仕事はしないのであった。
 本を2.5冊読む。目が疲れて、断続的に仮眠。
 それぞれ感銘を受けるのだが、感想アップがしんどくなってきた。
 後日に……というのが20冊ほど溜まってきたような。
 穴蔵の室温28℃で、おれには快適。
 ふと思い出して播州龍野の身内ヘメール。
 「門扉横の凌霄花(のうぜんかずら)が咲いてたら、熱い玄米茶から麦茶に切替えでっせ」
 と、返事は、
 「それらしき花の開花なし。まだコタツ使用中」ときた。
 調べてみると去年の開花は6月28日であった。
 ひと月の勘違い。
 室温は10℃違うからなあ……。

5月28日(日)穴蔵/バラ園
 午前3時に目が覚めてしまった。
 暖かくなったので、久しぶりに「早朝グルメ」に出かけようと、午前4時の梅田へ自転車で出てみるが……日曜の未明は最悪の雰囲気である。
 土曜の夜から浮かれていた若者が集団でウロウロしている。
 酔っぱらってふらふらなのや、道ばたに座り込んでいるのが多い。
 サラリーマンらしいのは見当たらない。
 深夜の「消費層」はこういう連中で、いったいどこから金を持ってくるのであろうか。
 なじみの店はすべて休み。
 30分ほど徘徊、そのまま帰館。
 午前5時のNHKニュースは宮田修アナが担当。
 やっぱりこの人、綾小路きみまろに似てきたなあ。
 メガネの印象もだが、特にヘアスタイルが。ということは……などと愚考しつつ、少しは仕事もするのであった。
 昼、専属料理人と徒歩で中之島のバラ園まで歩く。
 運動不足解消と、専属料理人へのデジカメ指導のためである。
 ハイエンド機が戻ってきたので、コンデジは主に専属料理人が使うことになった。
 
 バラは全体に「開きすぎ」で、1週間ほど遅かったらしい。
 おれはバラの見頃というのがよくわからんので、カメラ操作以外のことはあまり「指導」にはならず。
 歩いて梅田に戻り、辛味大根のおろしそばを食べて帰館。
 約6キロほどの歩行か。
 帰路の半分はワイン2本を下げてだから、まあいい運動にはなったであろう。
 ということで、夜はジェリー・マリガン「ナイト・ライツ」聴きつつ白ワイン。
 LPにはないマリガンのクラリネットがCD版にあって、これがたまらない。

5月29日(月)穴蔵/『日本沈没』試写会
 明日からの田舎行きに備えて雑用色々。
 医院へ行ったり梅田界隈ウロウロしたり。
 夕刻、天気がいいので自転車で上町台の頂点近くにあるNHKホールへ。
 『日本沈没』の全国縦断プレミア試写会である。
 左にかんべむさし氏、右になんと小松夫人。「原作者」の親っさんは東京会場(日本武道館)へ朝から出かけはったらしい。
 前後左右、SF関係が十数人。なかなか集まりがいいなあ。
 ……ということで、東京会場の舞台挨拶の中継など約40分あって、上映開始。
 21時20分、終わる。
 感想は……。
 封切りが7月15日ということで、これから観る人の楽しみを奪ってはいけないので、内容には触れないでおこう。
 おれは衝撃のあまり、しばらく席を立てなかった……ということだけは書いておきたい。
 飲みに行きたい気分だが、遅いのと、明日が早いこともあって、まっすぐ帰ることにする。
 
 自転車なので、ライトアップされた「沈没前」の大阪城の横を通って上町台を下る。
 月曜の夜は静かである。

5月30日(火)大阪→播州龍野
 規則正しく午前4時に起床するのであった。
 6時15分、朝ミラ。かんべむさし氏のしゃべりを5分ほど聞いてから出発。
 むさしくんの話、昨夜の「日本沈没」試写会の雰囲気やCGの効果など、うまく無難に紹介している。
 播州龍野へ移動。
 遠方へ帰る身内と交替するのであった。
 こちらにも雑用色々。
 ・税務署関係。
 ・警察関係。(ただし交通課である)
 ・その他関係。
 午前中にこれらを片づけ、午後はタイムマシン格納庫にこもる。
 黙々と組立作業を進める。おれにいちばん似合う作業。気分は小野寺である。
 ということで、18時には老母の夕食につき合って晩酌開始。
 夜が早いなあ。
 ビールのあとシャワー。大阪とは順序が逆だ。
 で、湯上がりで居間に入ると、老母が何か興奮しておる。
 「交流戦」で「ノムラ相手に苦戦の阪神」が「同点に追いついた」のだとか。
 職業野球に興味を失ったおれだが、ま、軽く水割りでも飲みながらつき合うか……と、グラス用意して飲み出したところに金本の勝ち越し3ラン。
 たいしたものだなあ。
 ただ、野球興味は復活せず、母は寝、おれはグラスを持って書斎へ移動。
 野球の結果は知らず。早寝である。

5月31日(水)播州龍野の日常/タイムマシン
 涼しい朝である。
 昨日の岡田真澄につづき、今朝は今村昌平の訃報。
 どちらも♀関係の印象が強い。
 岡田真澄といえば、「平凡パンチの時代」(だったっけ、新書)のエピソード。女たちがいるバーに真澄登場。ひとりがバラ輪を差し出した。真澄はアイスピックを借りて、スーツの襟に突き立て、そこにバラを差し込んだ。あとその女をスポーツカーに乗せて去ろうとしたら、他の女どもがボンネットに飛び乗って阻止しようと、大騒ぎになった……。
 今村昌平で最初に思い浮かぶのは、嵐寛十郎・竹中労の『鞍馬天狗のおじさんは』に出てくる「神々の深き欲望」ロケ時のエピソード。アラカン「監督は主演女優とお○○ばっかりしてまんねん」……。
 どちらも、活字での印象が強烈に残っている。
 ただ、おれはどちらも映像でもファンであった。
 岡田真澄を初めて見たのは、中学時代に見た『浮気の季節』という映画であった。アクション映画の添え物で見たのだと思う。タイトルから想像されるほどいかがわしい映画ではなかった。男兄弟の次男坊役で、ともかくハンサムだった、と記憶している。
 今村昌平は『豚と軍艦』以来、ほとんど見ている。
 本日は、食事の世話以外、終日タイムマシン格納庫で組立作業。
 アンダーシャツ一枚での労働。
 昼前、作業場は34℃となる。
 ロケットサマーならぬタイムマシンサマーか。
 おかげで夜のビールがうまい。
 早寝する。

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