HORI AKIRA JALINET

『マッドサイエンティストの手帳』194

●雑読・雑感

最近読んだ本のことなどをまとめて
 花粉の季節、ともかく出歩くのがつらい。密閉した部屋で雑読生活がいちばん楽なようである。

谷甲州&水樹和佳子『果てなき蒼氓』(早川書房)

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 たぶん谷甲州氏の代表作のひとつになるであろう。
 これは「降着円盤文明」の世界創世神話ともいえる宇宙SFである。
 基本的な設定は、福江純博士が提唱した、降着円盤から吹き出す宇宙ジェットに支えられた平面世界。これは宇宙作家クラブの例会でも話題になったが(宇宙作家クラブには大喜戸という降着円盤切断専門家までいるが、これは別題)、連載時期から考えると、谷氏はずいぶん早くから構想を練っていたわけで、恐ろしく先駆的な作品である。
 じつはコミック分野には疎くて、水樹和佳子の作品には初めて接した。
 正直いって絵はよくわからない。評価の物差しを持ってないのである。
 しかし、たぶんいい絵なのだろう。
 この絵はひとつの「解釈」で、登場する生命体が人間の姿をしているとは書いてない。「少女」とか「幼い」とか「寂しげ」といった形容句は出てくるが、具体的な容姿は記述されていない。……谷甲州氏の方法は、本当に昔だけど、斉藤哲夫氏がとった宇宙(未来)生命体の描写方法に近いやり方を採用している。絵はこれを美少年美少女で映画化したという解釈でいいのかな。マジック・リアリズムなどと言い出すとややこしくなる。
 理屈はともかく、極めて詩的で華麗なハードSFの誕生である。


宍戸錠『シシド 小説・日活撮影所』(新潮社)

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 正真正銘、宍戸錠が執筆した自伝的「小説」である。面白いのなんの、エースのジョー誕生までのエピソード満載。ニューフェースの試験、森繁の凄さ、小林旭のタンカなど、列記すればきりがない。
 宍戸錠の明晰さは昔のヒチコック・マガジンにおける小林信彦氏のインタビューでわかってはいたが、こんなに文章がうまいとは想像もしていなかった。
 むろんいちばん凄みのあるのは豊頬手術のくだり。
 ぼくが書いておきたいのは『街が眠る時』についてである。
 殺し屋役としての存在感を作っていく過程で、「『街が眠る時』(大藪春彦原作)でミッキー・スピレーンのハードボイルドのような殺し屋を創りかけた。」(261ページ)の一行。
 ぼくが宍戸錠に注目したのはまさにこの一編だった。……この作品はモノクロの「添え物」扱いであまり話題にならなかったが、大藪春彦作品の映画化1号で、東宝の『野獣死すべし』より少し早いはず。しかも本格的なノワールで、極めて出来のいい作品。中学時代、3本立ての映画館で3回観た。主演は長門裕之だが、確か赤木圭一郎のデビュー作で、冒頭、赤木演じる新聞記者が殺し屋に射殺され、崖から海に蹴落とされる。この殺し屋が宍戸錠で、顔がテラテラと光り、拳銃で頬を撫でながらニヤニヤ笑っているのが不気味だった。(後の笑いをとる演技ではない)……これは本物の殺し屋ではないかと思わせる存在感があって、こんな雰囲気を漂わせているのは、他に東宝の天本英世しかいなかった。
 ちなみに音楽が山本直純で、「現金に手を出すな」に似たビブラホン使用の主題曲がなかなかよかった。
 ビデオを探しているが、これが機会でビデオ化されないものだろうか。
 ……最後の一行は「(つづく)」。最高傑作と思う『拳銃は俺のパスポート』まで、まだまだ楽しみは残されている。


秋山完『天象儀の星』(ソノラマ文庫)

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 秋山完氏の作品はソノラマ文庫から「ペリペティア」など長篇数冊が出ている。
 『天象儀の星』は初の短編集だが、作者の資質がいちばんよく出た作品集と思う。
 プラネタリウムを「天象儀」と書く感覚のとおり、レトロな雰囲気の未来を描くファンタジーで、こういう作風は、菅浩江さんくらいしかいなかったような気がする。
 全体は作者特有の未来史に沿って書かれているが、表題作にやはり最良の資質が現れている。
 初めて知ったのだが、作者は森下一仁氏の「創作ジム」出身であったのか。
 SF大会のディーラーズルームで並んでいることが多くて、かえってこんな事情を知らなかった。
 森下さんの眼は確かなんだなあ……と改めて感心する。


いしかわじゅん『鉄槌!』(角川書店)

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 今頃呼んだ民事裁判記録。
 事件は、スキーバスに置き去りにされて吹雪のなかで危険にさらされた。それを実名(社名)入りでマンガにしたら、旅行会社から損害賠償の訴訟を起こされた、というもの。このスキーバス事件から和解にいたるまでの顛末である。
 面白いことは面白い。が、呼んでいていらいらする部分もある。
 面白いのは、相談にいった弁護士が「悪徳」だったことである。これはそう経験できないことであろう。……怒りはふつうこちらに向かうはずだが、作者は「勉強代」として、やっぱり怒りは原告に向ける。この心理はよくわかるし、このやや分裂気味のところが面白い。
 いらいらするのは、多忙ということも重なって、作者が現場へ行かないこと、訴訟手続きを自分で調べないことである。したがって、前半、明らかに手続きがおかしいのがわかるが、その疑問に答えられないところがむずがゆいのである。
 最終的に和解に終わるところもちょっとむなしい。
 と、以上、すべて自分が経験した裁判の比べての論評である。
 ということは、わが訴訟がいかに凄かったかが実感できる。
 担当してくれた弁護士が恐ろしく優秀であったこと。相手側のが恐ろしく悪賢いやつ(ただし3名中2名は無能)であったこと。双方、絶対に手抜きせずに論陣を張ったこと。したがってその緊張感は緩むことがなかった。
 証人尋問のおもしろさも「鉄槌!」の比ではない。
 最終的に、判事を怒鳴りつけても「和解」をこちら側が拒否して判決まで持ち込んだ。その分、ドラマとしても完結感もある。
 うらやましいと思うのは、いしかわ氏の場合、こうした手記が出版されることである。
 わしの場合は、業界の問題だから、やっぱり難しいところがあるなあ。
 ……それはそうと、裁判を傍聴に行った「SF作家K」2名というのは誰なんだ?
 ひとりは明らかに川又千秋。あとひとりは? 高斎氏、かんべ氏、神林氏、カジシンではあるまい。まさか小松のおやっさん? 久美沙織さんか?


田中啓文『禍記(マガツフミ)』(徳間書店)

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 相変わらず「絶好調」タナヒロのホラー作品集。
 帯には「伝奇ホラー」、巻末に「伝奇原理主義」(むろん半分はパロディ…だが、なかなか鋭い指摘がある)。「異形家」のグロパワー、「銀河帝国弘法」のダジャレパワーは影を潜めて(といってもむろんあちこちに見え隠れするが)、ミズチ系列の正統的物語路線であろうか。ずいぶん領域が広いなあと感心する。巻頭の「ローズマリーの赤ちゃん」的ネオゴチックの雰囲気から、「キャッチワールド」的SFの「黄泉津鳥舟」(このワープ描写は凄い)まで、エンターテインメント作家としての技量を開示してみせた感がある。
 全体を「禍記」でサンドイッチにして「神代文書」まで付けるメタフィクション的趣向、最後の一行に「得意技」を使うなど、サービス精神に満ちている。
 うーん、今回、ジャズにたとえると……やっぱり適当な比喩が出てこない。正統派の音色とアバンギャルドの技量も披露できるとなると、誰かいたっけ。梅津和時か?


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