『マッドサイエンティストの手帳』854
●マッドサイエンティスト日記(2025年6月前半)
主な事件
・播州龍野いたりきたり
・川本三郎『荷風の昭和』前篇・後篇(新潮選書)
6月1日(日) 穴蔵
目覚めれば6月であった。梅雨空の予報が薄曇、昼前から晴れてくる。結構な天気ではないか。
ゴミ出しに出たら、狭い花壇に紫陽花が開花していた。
*
やはり6月であった。
終日穴蔵。本を読み、時々テレビを見て過ごす。
・『馬鹿が戦車でやって来る』(1964)。前に(60年前!)に見た時から、戦車の暴れ方がスラップスティクではないなと、笑えなかった記憶だけ残っていたが、今見ると、田舎の風景描写が見事なのに驚く。日本からこんな風景が失われてしまったからか。
・備蓄米のニュースはもういい。
・今日(6月1日)から懲役刑と禁錮刑が「拘禁刑」に一本化されるという。知らなかった。
その昔「懲役30年の禁固刑」というヘンな刑が出てくるSFがあったが、もう心配することないか。
しかし『懲役十八年』とか『懲役三兄弟』なんて映画も作られなくなるのは寂しいな。「おれは拘禁20年だ」と凄んでも迫力ないからなあ。
6月2日(月) 穴蔵/ウロウロ
晴。好天なり。
午前中、居住する集合住宅が水道メーター交換工事で断水のため、外出することにする。
梅田へ。ATMなど回り、大阪駅周辺うろうろ。平日の午前中だから空いている。
デパートの食品売り場にのみ、所々行列あり。まさか備蓄米ではないと思うが。
ついでに散髪もする。2ヶ月ぶりか。発育が遅く絶対量も少ないので、ほとんど変わらない。
ジュンク堂(堂島)に寄ったあと、堂島地蔵堂にお礼参り。
*
以前何かお願いしたような気がするからてある。
国道を東へ。梅新からお初天神を抜け、新御堂を北へ歩いて、昼前に帰館。7500歩ほどになった。
午後は穴蔵にこもる。
6月3日(火) 穴蔵
雨。肌寒い日である。コタツを片づけたのが悔やまれる。
終日穴蔵。
本を読み、時々テレビでニュース。
長島茂雄が死去。3日6時39分、肺炎で。89歳。
ニュースは当然こればっかり。たしかに備蓄米も韓国大統領選も、どうでもええけんね。
先日来「穴蔵で読書」という記述が多いが、「大著」2冊を読んでいるため。
本のことは(当然)読み終えて書くのが原則だが、いつになるやらわからない。
1冊についてはこちらに書いているが、もう1冊(正確には前後篇2冊)について、以下に書いておくことに。ともに少しずつ読むつもりだから、読了まで最低あと数ヶ月かかりそうだから。
川本三郎『荷風の昭和』前篇・後篇(新潮選書)
『荷風と東京』と並ぶ川本三郎氏の代表作。
というよりも、時間的にも空間的にもこちらの方がスケールが大きく、荷風の評伝としても研究書としても、今後、日本の代表的な著作となるだろう。
*
わが自論だが、日記文学は著者と同年の時に読むのがいちばん面白い。このことは【断腸亭の呪縛】で書いている。
高齢者が同年で読める日記は限られていて、長期にわたって読める日記は「断腸亭日乗」だけである。
私は還暦以降、摘録を手元に置いて、折に触れて読んできた。
川本氏の「波」連載開始は2018年で73歳の時、しかも東京在住で、『いまも、君を想う』にあるように、2008年から独居生活。荷風の晩年(79歳)に重なるところが多いのである(そのことは後記でも触れある)。それだけに、研究者の誰よりも荷風の生活感にも迫っている。
じつはこの連載、後半を読んだだけで、全体像は今回の出版を待っていたわけだが、到底一気読みできるものではない。
荷風の足跡(東京のみならず疎開先まで)も、著作と影響した他の作家の作品や映画・舞台なども、その時期の事件や政治状況についても、徹底的に調査されていて、その記述の密度が恐ろしく高いのである。
例えば……
・晩年の「毎日のように浅草へ通う」経路。これは興味あるところだった。
半藤一利氏は「家を出て、京成電車で押上へ。そこからバスか都電で浅草へ赴き、逆のコースで帰宅」と書く(『永井荷風の戦後』)。
川本氏は「京成八幡から京成関谷で降り、向かいの東武牛田駅で東武電車に乗り換えて浅草へ」のコースを加えている。
八幡から銀座へ出る時は省線だし、浅草からの帰路もタクシーを利用したり、複数あったようだが、脚の弱った晩年は関谷・牛田経由が正解だろう。
・「日乗」の日付けの上に頻出する「・印」について。
川本氏の私見は、「一般にいわれていること」ではなく「別解釈」である。その根拠として、森鴎外、三島由紀夫、筒井康隆の作品を挙げて論じている。これまた説得力のある新解釈である。
上記のふたつ、ともに半頁ほどの記述に過ぎない。前後2冊で1000頁以上、全編がこんな密度で書かれている。一気読みできない事情がおわかりいただけると思う。
「日乗」は大正6年から書かれ始めている。川本氏は、「荷風の昭和」の起点を関東大震災(大正12年)としている。ただし「日乗」に付された「自伝」に倣って「作家になるまで」の章がはじめの方に記されていて、評伝としての構成もきちんとしている。
まだ前篇の数章。全体の感想は当分先になるが、ともかくこれから楽しみながら丹念に読み進めることにする。
6月4日(水) 大阪←→播州龍野
早朝の電車で播州龍野へ移動する。
タイムマシン格納庫に寄ってから実家へ。
幸いドロ的の被害はなし。
市内3箇所をウロウロ。隣保長さんに自治会費の支払い。面倒なことである。
午後は屋内を少し整理するつもりが、面倒になる。
次回の雑草処理の時でいいか。庭木はチェックだけ。
梅は今年も壊滅? 実はゼロ。去年も全国的に不作だったようだが、原因は何だったのか。カメムシだったか。
塀の外のビワはいっぱい実をつけている。
*
こちらで母の世話をしていた15年前に、藤田雅矢さんの『捨てるな、うまいタネ』を読んで、畑地にタネを埋めてみたのが、見事に成長している。
銀座の有名果物店のビワだから、たぶん旨いはずだが……食べられる実にするためには、選別して、紙袋を被せたり、面倒な作業が必要らしい。そんなことやってられるか。
夕刻の電車で帰阪。
実家関係は1週間ほど泊まり込みでなければ片づきそうにない。
6月5日(木) 穴蔵
快晴。いい日だ。
終日穴蔵。張り切って部屋の模様替え。カーペットやマット、椅子のカバーなどの撤去・交換・洗濯し、最終的な夏モードにする。
4ヶ月ほどこの仕様だが、慣れたころには冬が近いのかと思うと気が重くなる。
最後の夏になるかもしれんなあ。
6月6日(金) 穴蔵/ウロウロ
晴。天気予報では熱中症に注意とかいっとるが、昼の気温(ベランダ)は28℃で快適。
昼間、散歩に出る。
ジュンク堂に寄ったら「大阪幻想2025」展が開催中であった(4階イベントコーナー/6月22日まで)。
副題が「かつて大阪と呼ばれた場所へ」……大阪の廃墟画である。
作品数点と水彩画(販売中)10数点で展示されている。
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画集「大阪幻想」も販売中で、これは以前に見たことがある。ややことしことに作者名が「東京幻想」という、廃墟画の鬼才である。
大阪のあちこち(大阪駅、御堂筋、新世界、大阪ドームなど)が廃墟になった景観は面白い。
ただ……『日本アパッチ族』から60年以上、大阪廃墟を夢見つづけてきた立場としては、どこか物足りなを覚える。
・人も動物もまったく描かれていないが、何によって大阪が滅亡したのか。
・完成間もない建築と50年前経つ老朽建物が混在しているはずが、均一に廃墟化している。
・建物が似たような緑の樹木で覆われたパターンが多いが、大阪なら、安藤建築特有の蔦がはびこってもいいのではないか……などなど。
要するに歴史(時間)と大阪らしさが感じられない。
逆にそのあたりに「文章」が生き残る道もあるわけだが。
わたくしも試みてみた。
うめきたで昨秋撮った写真を生成AIで廃墟化を試してみる。
*
3分ほどで出来たのがこれ。もう少し注文をつければ、もっとよくなりそうな気がする。
ただ、やはり背後に時間を感じさせない。
私が今も鮮明に思い出すのは、この同じ場所にあった大阪貨物駅の巨大カマボコ廃墟である。
10年ほど前まで、このカマボコ屋根は残っていた。
ここへ「チッキ」の荷物を取りに来たのが60年前で、カマボコ屋根も貨物線もむろん「現役」であった。
廃墟には幾つもの風景が重なり合って見えるのである。
6月7日(土) 穴蔵
薄曇。室温は終日27〜28℃で変わらず。快適。
終日穴蔵で読書。
たちまち夕刻。
本日は手羽焼きなどで軽く一杯。
おや、デザートにJAZZが出てきた。
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ニュージーランド産のリンゴ。2年ぶりである。1個100円ではないらしい。
久しぶりにトミフラ師匠を聴く。
6月8日(日) 穴蔵
曇天。室温はほぼ28℃、湿度54%で快適なり。
終日穴蔵。意外に雑用は多し。
・ニュース。面白いのは「トランプとマスクの決裂」、これは楽しみな。
マスクが新党旗揚げ?! X Partyが出来るのか?! こちらが生きているうちに、波乱万丈のドラマを展開してくれよ!
軽く飲んで早寝。
6月9日(月) 穴蔵/入梅
曇のち雨。近畿、梅雨入り(したと見られると気象庁が発表)。
終日穴蔵。読書午睡空しく一日を送る。
眼下廃墟、樹木の中でトラが眠っている。
*
雨が降り出し、どこかに姿を消した。
これからしばらく昼寝の場所に困る日々がつづく。無事エサにありつけることを祈る。
6月10日(火) 穴蔵
終日雨。室温27℃、湿度は朝50%が夕刻70%。ベランダは22〜24℃。
梅雨である。少し肌寒い。
穴蔵にて読書、午睡、空しく一日を送る。
・先日来のPCトラブル、やっと連絡があって、最後の1件が片づいた。これでやっと正常化。
・フレデリック・フォーサイスの訃報。86歳。
なんといっても最初の3作が凄すぎて、あと何作か読んだはずだが記憶に残ってない。
『オデッサ・ファイル』のタイトルはそのままだろうな。『オデーサ・ファイル』なんて変えられたら迫力なしだからな。
・「大著」を読み進めているところに文庫をいただいた。これが何とも「絶好の副読本」! (2、3日後に書くことに)
今日はいい日だ。
(つづく)
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