『マッドサイエンティストの手帳』716

●マッドサイエンティスト日記(2019年11月前半)


主な事件
 ・眉村卓氏葬儀@天空館(9日)
 ・播州龍野いたりきたり
 ・神戸新聞文化センター(15日)


11月1日(金) 穴蔵
 目覚めれば11月であった。
 出歩くこともなく、穴蔵にて机に向かう。
 8枚ほど書けたから、立派なものではないか。
 晩酌時にテレビでニュースを見る。
・オリンピック。
 マラソンと競歩を札幌でとIOCが命じた。何度もいうが、今からでも遅くない、五輪返上すべきであろう。何百億使ったのかしらんが、おれは日本で静かに暮らしたい。
・英語の民間検定試験の延期。
 そもそも高校の英語教師に教える能力があるのか? センセがこれから4年かけて勉強しても、高校3年の英語力を抜けるとは思えんぜ。わが人生で英語力は高3がピークだったと思う。それでもなんとか海外での仕事をこなしてきた。なんとかなるものである。
 それにしても、萩生田は「名失言」というべきであろう。「身の丈」発言がなければどうなっていたか。「神輿は軽くてパーがいい」ではなく「軽くて発言がおぼつかない」のが、官僚の作った政策のチェック機能を果たすのである。

11月2日(土) 穴蔵
 秋晴れ。お出かけ日和だそうである。
 3連休の初日なので外出は見合わせ、マジメに机に向かう。
 8枚ほど書けたから、立派なものではないか。
 こんな日があと2日続くのであろう。

11月3日(日) 眉村卓氏の訃報
 文化の日というよりも、3連休の中日である。
 人出が多いだろうから、出歩くことのなく、穴蔵にて過ごす。
 夕刻、16時半頃に知人からメール。産経WEBに眉村卓さんの訃報ありと知らされる。
 今日、早朝に亡くなられた……
 先月も産経のエッセイ月間賞選考に登場されていたし、新聞にエッセイも連載されていたのに。
 17歳の時に会ってから57年……思い出すことが多すぎて、気持ちの整理がつかない。

11月4日(月) 服喪
 眉村さんの絶筆は神戸新聞掲載のエッセイだったようである。友人が送ってくれた。
 また、病床で最後まで(最後は口述で)原稿を書かれ、長篇が300枚まで進んでいたという……
 見習わねばと思う。
 本日は服喪。
 終日穴蔵にて机に向かう。それしかないではないか。
 外は風が冷たくなり、木枯らし1号らしい。

11月5日(火) 穴蔵/ウロウロ
 秋晴れである。早朝から机に向かう。
 昼前に梅田方面に散髪に行く。頭髪が少ないからすぐ終わる。
 帰路、かっぱ横丁の佐勘で稲庭うどんを食して帰館。
 午後も穴蔵にて机に向かう。
 生産性は別として、おれは変わったのである。

11月6日(水) 仕事にならん
 秋晴れである。早朝から机に向かう。
 が、ややこしい電話が数回。その度に仕事中断。イライラが残ってしばらく……場合によっては1時間以上、仕事に復帰できない。
 いずれも集合住宅の理事長をやってるからで、致し方なしか。きちんとした理事はメールなのだが。
 午後は特にひどい。
 委細は書かないが、「現場」を見ない奴が勝手な判断して、住人が怒り出して、それらが全部こちらに回ってくるからたまらない。おれが「現場」を見て「住人」とも話し、一応決着しているのによ。
 最後は「理事長責任でやるから、電話はこれで終わりにしてくれ」と怒鳴りつけた。
 夕刻、自転車で本庄のコーナンPROへ行って600円ほどの資材を買ってくる。
 電話とイライラで1日の仕事が犠牲になるより遙かに安い。600円だぜ。
 ったく仕事にならん……啓文はんの笑酔亭梅寿シリーズみたいだな。
 来春まで、こんなことがつづくのか。嗚呼。

11月7日(木) 半分、仕事にならん
 悪夢にうなされて4時に目覚める。2時間ほど仕事らしきことをしたが……
 天気晴朗なれどもめ事多し。昨日の続きで、鬱陶しい連絡が飛び交う。
 午後、ええかげんにさらせといいたくなったところに、某さん(坊さんでもある)から電話。
 故郷特産のスダチを届けてくださる。
 小一時間雑談。面白い話が多くて元気が出てきた。
 と、これを転機に状況一転、某公社から電話がかかってきて「話し合いをしたい」といってきた。
 だいぶいい方向に進みそうである。
 夜、晩酌時にスダチどっさり持っていったら、専属料理人「今年は台風の影響で高いから、買うのをためらっていたところ」と大喜び。
 メニューにアスパラ巻きがあったので、さっそく使用。うまっ。
  *
 まずビール。あと湯割りに切り替え、スダチを絞りこむ。うまっ。
 本日、後半は久しぶりに、いい日になった。
 ウジよりスダチか。ちょっとちがうか。
 ともかく徳島県に栄光あれ。

11月8日(金) 穴蔵/ウロウロ
 本日も秋晴れ。
 朝、ラッシュの終わった頃に、西長堀の中央図書館へ資料の返却に行く。
 ついでに2時間ほど、雑多な調査、メモ取り。「ポメラ」が欲しくなるなあ。ま、あと数年のことだから、手書きのメモでいいか。
 大正まで歩き、「いちゃりば」で沖縄そばを食して帰館。
 午後は穴蔵にこもる。
 夜は集合住宅の会議。鬱陶しくなる。あと半年の辛抱か。
 ちょっと遅い晩酌。おでんで湯割り(スダチ入り)を飲んでいたら、少し気分回復。
 早寝する……つもり。あ、22時近い。定刻に就眠である。

11月9日(土) 眉村卓氏葬儀@天空館/葬送@ニューサン
 本日も秋晴れ。
 昼、地下鉄で阿倍野のやすらぎ天空館へ。
 眉村卓さんの葬儀である。
 仏式で粛々と執り行われた。
  *
 最後に村上知子さんが挨拶され、病院での最後の日々を語られた。
 入院中にも傍らの小さいテーブルで原稿を書き、長篇が「あと5頁くらい」になり、しかしシャープペンが持てなくなり、少し口述で進めたが、最後はやはりペンを持ち、原稿用紙の升目を無視して書き続け、「これでいい」と筆を置かれたという。
 最後の長篇は完成したとみていいようだ。
 参列者多し。SFの知り合いも多く、時々(といっても数年ぶりか)顔を合わせている人もいるが、一瞬誰かわからない。
 改まった黒服だと(SF系定番のむさくるしい格好ではないので)印象がまるで違う。向こうも同様らしく、いちいち名前を確認して挨拶する。M27だけは別格だな。
 出棺をお見送りして、まっすぐ帰館。
 夜また這い出て、久しぶりにニューサントリー5へ。
 ニューオリンズ・ラスカルズの出演日。
 森マスターがわが席の前に↓下のボトル(空のオールド)を出してくれた。
  *
 ここのボトルキープ「番号1」は眉村さんなのである。絵も眉村さん。60年代後半のグラサン(グランドサントリー)時代から馴染みであり、このボトルは店のお宝なのである。
 今夜は「ニューオリンズの葬送」に倣って派手に行こうとニューサンに来たのだが、河合良一さんが、皆までいわずとも、全部かなえてくださった。
 河合良一さんは住吉高校で眉村さんの後輩にあたる。しかも、娘さんが知子さんと住高で同級なのである。
  *
 最終ステージで眉村さんを偲んで賛美歌「In The Garden」、引き続き賑やかな演奏で終わった。これぞニューオリンズの葬送。
 客の多くも眉村さんを知っていて、盛大な拍手、いい夜になった。
 おれひとり勝手な二次会となったが、罰は当たるまい。

11月10日(日) 穴蔵
 本日も秋晴れ。
 穴蔵にてボケーーーーッと過ごす。
 二日酔いではないが、アタマの働きがいまひとつ。ずっとそうではないか。その通りです。
 終日寝そべっているつもりだったが、日曜にもかかわらず、連絡メール色々。
 明日から動かねばならぬようである。
 体の動くうちが花か。

11月11日(月) 桜橋
 朝、グラフロの西を抜けて桜橋渡辺病院へ(もう病院名を伏せることもあるまい)。
 あの時から6年、術後まったく異状はなく、この4年は年に1度の検査である。
 今年から、ホルター検査がエコー検査に変わった。
 異状はなく、また1年先の予約となる。
 検査結果と矛盾するようだが、おれはできれば心臓系で逝きたいと思っている。
 痴呆や寝たきりにならず、さっさと行けるのがいい。
 そのために不摂生することはないけどね。
 壁抜け猫と久しぶりに対面。
  *
 この猫とも年に一度か。
 まっすぐ帰館、午後は穴蔵にこもる。

11月12日(火) 大阪←→播州龍野
 早朝の電車で播州龍野へ移動する。
 姫路から8時過ぎの姫新線で本竜野へ移動するが、だんだん乗客が増えてきた気がする。
 10人ほどは知り合いの会社(ITと産業機械)の社員である。5年前は2、3人だったからなあ。
 わがタイムマシン業は衰退して、通勤客はおれ1人である。通勤ともいえんか。
 播州龍野の産業、振興してほしいもの。
 雑事色々。昼過ぎにだいたい片づける。
 午後、姫路へ。
 眉村さんを偲んで「えきそば」を食す(眉村さんと駅そばの関係についてはこちらに書いている)。
 ついでに姫路ぶらぶら。
 最近は姫路城などより、山電姫路駅の西側……昔のいかがわしい場所……の方が面白い。
  *
 モノレール軌道の残骸。大将軍駅が解体されたのは寂しい。
 このあたりを北野さん八杉さんとうろついてから、もう13年前になるのか。
 歳をとるはずだ。

11月13日(水) 穴蔵/Wヤング
 秋晴れである。
 外は気持ちよさそうだが、出歩くことなく、終日穴蔵にて過ごす。
 Wヤング・平川幸男師匠の訃報。78歳。おれの兄貴みたいな年齢ではないか。
 第2期のWヤングは時々テレビで見たが……なんといっても、中田治雄(軍治兄さんと呼ばれていたはず)とのコンビ時代、70年代後半が凄まじかった。どう名づけていいのか、特に特定ジャンルにしぼってダジャレの限りを尽くすパターンのネタが凄かった。40歳前後の頃か。「やすきよ」どころではない。おれは、いとこいさんの次に好きだったなあ。
 後年、おれは、相方が亡くなって困っている漫才師を主人公にした短篇SFを書いたが(相方をロボットで復活させる)、このモデルは軍治兄さんである(死んだ方が平川幸男……そのままではなく、デフォルメしたけど)。
 あ、なんだか軍治兄さんの方をほめてるようだけど、平川幸男は抜群にうまかった。ただ、中田治雄を失ったのは致命的だったと思う。今のなんとかいう若手相手でも、まあまあ面白かったけど、平川幸男の才能を輝かせたのは軍治兄さんだったのだろう。
 博打はやったらあきまへんで。

11月14日(木) 穴蔵
 曇天、午後は晴れ間が広がるが、風が急に冷たく、出歩く気にならず。
 終日穴蔵にて、資料を読みメモをとって過ごす。
 腹が減ったらオマンマ食べて。
 命は……あと数年は持つか……尽きればあの世行きか。
 ありがたや、ありがたや。

11月15日(金) 神戸新聞文化センター
 秋晴れである。昼前に出て阪急で三宮へ。
 神戸新聞文化センターの講座の日である。
 眉村さんから引き継いだ講座であり、受講の諸氏にも色々と思い出は多いようである。
 訃報から葬儀後までの報道記事をまとめて冊子を作った人も。早業であるなあ。
 エッセイ、短篇、それぞれ面白く、特に短篇2編はともにSFで、それも試行錯誤ぶりが対称的で、たいへん面白い議論になった……と思う(詳しく書きたいところだが、これはともに後日改稿版を期待したい)。
 その他、脱線気味の話が多い。刺青がらみで、岩下志麻の代表作は「極道の妻」とは意外であった。
 まっすぐ帰館。
 久しぶりに(コンビニメニュー並べて)独酌。それなりにうまい。


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