『マッドサイエンティストの手帳』601

●マッドサイエンティスト日記(2015年3月後半)


主な事件
 ・谷口英治@ロイヤルホース(18日)
 ・桂米朝師匠死去(19日)
 ・播州龍野いたりきたり
 ・米朝師匠通夜式(24日)
 ・米朝師匠告別式(25日)
 ・石花楽会(28日)
 ・創サポ講義(28日)


3月16日(月) 穴蔵
 あまり眠れず。本は読めたからいいか。
 朝食抜き。午前9時、近所の某医院で年に1度の健康診断。
 本日判明の項目に関しては異常なし。血液検査の結果もだいたい想像がつくが、とりあえず、ほっ。たぶんあと1年は無事に過ごせるであろう。(3年前の検査でややこしいことが判明したのだから、おろそかにはできないのである。)
 ということで、10時過ぎにブランチ。ビール1缶。
 たちまち眠くなり、昼寝。
 午後、某試写会に行く予定だったが、後日にもあるので、予定変更。
 穴蔵にて雑事。
 明日の理事会までに整理しておかねばならぬ事項多し。

3月17日(火) 穴蔵/理事会
 終日穴蔵。
 晴れ、4月下旬並の暖かさというが、出歩くことなく、集合住宅関係の雑事の継続。
 引継ぎ資料はほぼ完了。
 夜は理事会。
 ややこしい議論もなく、自己愛性**障害者の乱入もなく、1時間以内で終わる。
 来月に最終の理事会、5月に総会があって、やっと役目御免である。
 ともかく、あと2月。出所待ちの気分、待ち遠しいことなり。
 ということで遅めの晩酌。
  *
 エビとホタテのグラタンとかじゃがいもの煮ころがしとか、いまひとつ好みでない粗食にて安ワインを少しばかり。
 明日は少しは楽しいこともあるだろう。
 本日は0歩。

3月18日(水) 谷口英治@ロイヤルホース
 終日穴蔵にて雑事。
 夕刻に近い午後には雨になった。
 夕刻、専属料理人と梅田、ロイヤルホースへ。
 谷口英治 New Quartetのライブ。
 新譜『Seems Like Old Times』発売記念ツアーである。
  *
 谷口英治(cl) 田窪寛之(p) 楠井五月(b) 岡田朋之(ds)
 最前列右端……つまり「最右翼」席で聴く。
 意外なことに自分のグループでの出演は初めてだとか。
 しかも『Seems Like Old Times』は9枚目のリーダーアルバムだが、この編成(ピアノトリオをバックにワンホーン)は1996のデビュー作『Special Delivery Swing』以来ではないか。
 2ステージ、ワンホーンで吹きまくるという、おれのいちばん好きなスタイルで、快演という他ない。
 ピアノは端正、ベースはフレーズが豊か、ドラムは切れがよく、なんといってもダンディである。
 これからが楽しみなカルテットである。

3月19日(木) 穴蔵/気重
 終日穴蔵。
 なんだか気の重い日である。
 朝から集合住宅関係のつまらん連絡。午後にも1件。苦情受付係じゃないんだから、前例にならってしかるべき業者に連絡してくれよといいたくなる。
 その他にも……読むのも面白くないだらろうから、愚痴めいたことは書かんとこ。
 以前なら出歩けば(ややこしい電話はないから)いいのだが、携帯の時代はそうもいかず。
 動かないから、あまり食欲もなし。夕食(揚げ物のせいもあるが)はあまり食べられず。湯割り少々。
 早寝するつもりで早々と布団に入って本を読む。
 眠くはなるが眠れず。
 深夜近く、スマホでニュースを見て、気分の重い理由がわかった。
 いつかは来る日であったのだが……

3月20日(金) 米朝師匠追悼
 昨夜、深夜に桂米朝師匠の訃報(3月19日19時41分、肺炎のため死去)。
 昨年から「飲まない食わない吸わない」状態と仄聞していたから、いつ「この日」があっても不思議ではなかったのだが……
 服喪というわけでもないが、色々と思い出すこと多く、穴蔵にて過ごす。
 思い出すことを書き出したらきりがない。今後、時々思い出すまま書くことにしよう。
 初めて米朝師匠を「目撃」したのは、1965年春…ちょうど半世紀前!…だった。
 小松さんに会う必要があって、桜橋のラジオ大阪へ行き、生放送『題名のない番組』を廊下から見ていたのである。
 (小松さんをつかまえるには、ここがいちばん確実だった)
 米朝師匠はジャンパーを羽織った目立たない格好で、わが側を通り抜け、廊下をささっと去りはった。
 なぜか感動したなあ。
 最後にお目にかかれたのが3年前のブリーゼの楽屋。
 1時間ほど同じ空気を呼吸できた。少しお話しもできた。写真もいっしょに撮れた。
 この時、もう思い残すことはないと感じたものだった。
 おれは自分の人生で(SF関係以外では)米朝師匠と同じ時代を生きられたことがいちばんの幸せと思っている。
 それを例証しはじめると、次々とエピソードが出てきて収拾がつかなくなる。また後日に。
 本日の朝刊。
 日経とデイリー(!)を除く各紙、一面トップは「桂米朝師匠死去」である。
 (日経とデイリーは「専門紙」だから、これもひとつの見識)
 全紙をチェックしたわけではないが、さすがに産経の記事は詳しい。
 梅原猛氏のコメント「関西文化の奥深いところを担っていた」……これがいちばん的確と思う。
 たとえば(故人のみ並べるが)司馬遼太郎、朝比奈隆、梅棹忠夫、小松左京……これら「巨人」をくくる共通項は米朝師匠しかいないではないか。
 「関西の知」の中軸が失われたのである。そう考えないことには、この喪失感の大きさが理解できない。
 しかし、まあ、わが書架には『特撰!! 米朝落語全集』30巻がある。
  *
 CD,DVDが数十枚ある。書籍では創元社の『米朝全集』ちくまの『米朝クレクション』さらに名著『落語と私』その他色々がある。
 余生、まだまだ楽しめるのである。
 そのうち冥土筋に出演してはるのを聴けるわけだし……

3月21日(土) 穴蔵/某経営会議
 穴蔵にてダラダラと雑事。
 昼前に出て、阪急石橋へ。
 駅前の喫茶店でタイムマシン業の経営会議兼臨時株主総会を行う。
 本来なら夕方から海鮮居酒屋で開催すべきところだが、各位(3人だけど)の体調もあり、ノンアル会議とする。
 1993年末にアホ経営者に命じられて池田にあった事業所を閉鎖した。
 それから「水面下」で(つまり「外注先」として某社の名を借り土日に限って秘密のガレージで)製造を続け、2001年に退職して3人で会社を設立した。
 ともかく20年以上続けてきたのである。
 株主兼経営者兼労働者の事業スタイルをどうするか考えねばならぬ時期になった。
 みんな歳だからなあ。
 米朝師匠が70歳の時はどうだったか。「人間国宝」になられた頃で、やっぱり凄かったなあ。
 落語とタイムマシンは違うし、こちらは「後継者」がいないから、幾つかの方式を検討していこうということになる。
 いずれにしてもあと×年。
 帰路、阪急石橋の梅田行きホーム、宝塚寄りの端に「撮り鉄」らしいのが3人。
  *
 撮影ポイントらしい。石橋には半世紀前に下宿してたが、ホームの端ので行ったことなし。
 調べてみると、カーブがよく、こんな風に撮れるらしい。
 またの機会に、だな。

3月22日(日) 穴蔵/米朝特番の日
 日曜で春の陽気。
 終日穴蔵。(テレビは早朝と夕刻のニュースくらいで、ほとんど見ないのだが)本日は米朝師匠の特番を見ることにする。
 昨日の
・米朝特番 関西テレビ 10:50〜11:45 『抜け雀』『蔵丁稚』
 は見られなかったが、信頼できる友人が録画してくれているはず。
 こんな時、レコーダーを持ってないと不自由だな。ま、必要性を感じるのは「今回」が最後だろう。
・米朝特番 NHK 7:45〜8:25 上方落語の会「桂米朝さんをしのんで」小佐田・米團治 『本能寺』(1996.3.22「日本の話芸」から)
 人間国宝になられた時である。よろしいなあ。「地獄八景」を封じる前で、勢いもある。
 昼、専属料理人に「お弁当」を穴蔵に持ってきてもらう。
 玉子焼き、野菜煮物、きんぴらなどに五目ごはんのおにぎりなど入ったの。
 これでビール飲みつつ……
・米朝特番 読売 12:35〜13:30 「追悼米朝さん『至極の話芸、各界惜別の声』」
 ざこば師匠、米團治師匠、吉弥師匠、小佐田はんらのトーク番組。
 面白いけど、辛坊治郎という司会者は落語が全然わかってない。司会に徹すればいいのに、どんな話題にでもペラペラ口を出す人間は信用できない。
 あとは昼寝。
 夜は春メニュー。
  *
 ホタルイカ、ヒラメのなんとか、サラダなどでスペインの安ワインを少しばかり。
 深夜、日付が変わってから
・米朝特番 NBS 1:00〜2:16 『地獄八景亡者戯』(1990)
 があるが、これは「特撰!! 米朝落語全集」に収録されている1990年京都でのらしいから、早寝することにする。

3月23日(月) 大阪←→播州龍野
 早朝の電車で播州龍野へ移動する。
 春分を過ぎて、早朝の移動(大阪駅6時)も、明るく、気分的に楽になる。
 午前8時過ぎに本竜野着。
 雑事あれやこれや。
 桜の開花はまだだが、白木蓮が開花している。隣に木瓜の花も。
  *
 11年前に老母が大腿骨骨折で入院、世話のために播州龍野での生活が半分くらいになったが、以来、毎年ながめているなあ。
 これから、桜、紫木蓮、霧島、紫陽花、凌霄花と変わっていく。もうすぐ夏である。
 センチメンタルになるぜ。
 市役所、タイムマシン格納庫などウロウロの後、夕刻に近い午後の電車で帰阪する。

3月24日(火) 米朝師匠「通夜祭」
 終日穴蔵にて粛々と雑事。
 夕刻這い出て、地下鉄で桃山台へ。
 千里会館にて米朝師匠の「通夜祭」。
  *
 葬儀委員長・田中秀武会長「地獄八景で長年『近日来演』の看板を掲げてきましたが『本日来演』に掛け替えられていることでしょう。枝雀、吉朝はじめ、弟子もたくさんいますから、一門会が開けます……」
 玉串奉納に長い列。
 20時30分頃に帰館。
 ビール飲みながら関西のニュースを見たら、早くも通夜祭のニュースが流れている。
 1,200人だったのか……

3月25日(水) 米朝師匠「告別式」
 米朝師匠の告別式。
 本日は地下鉄のホームでかんべむさし氏と待ち合わせて千里会館に向かう。
 やはり落語関係はむさし氏といっしょでないと落ち着かない。
 地下鉄御堂筋線の中にそれらしき人たち多く、桃山台のホームのアナウンスも本日は特別である。
 一門会で顔見知りの方々の多くを見かけるが、むしろ来てない方の体調が心配になる。
 みんな高齢化しているのである。
 テレビ等で報じられたあれやこれや。
 出棺までいて、お見送りする。
 出囃子に合わせてクルマが走り出すのが洒落ているなあ。
 まっすぐ帰館。(かんべさんは40年前からそうだが/おれはこの2年ほど)ネクタイしていると窮屈で、ちょっと一杯の気分にならないのである。
 近日花見ということで別れる。
 ということで、夜は米朝師匠の遺影にワインをお供えして、お下がりをいただく。
  *
 この遺影、1,500人くらいの方はおわかりになるであろう。皆さんと同じです。
 今後、本棚の上に飾り、見守っていただくことにする。

3月26日(木) 穴蔵
 快晴……米朝師匠の葬儀が終わった日から春になった。
 あ、この書き方は問題ありだな。
 昨日は青空で、しかし、告別式の間、千里付近は曇って、少し雪が舞った。そして出棺の時間になると、急速に青空になったのである。
 最初の一行は、グレアム・グリーン『第三の男』最終章の書き出し「ライムが死んだ日から雪解けがはじまった」にならったもの。
 本日、大阪も開花宣言。
 もう一度でいいから、米朝師匠と花見がしたかった……万博公園での石毛花見会に米朝師匠が大きな泡盛の瓶(かめ)を抱えた弟子(米裕さんだったかな)を連れて来られたことがある。30人ほどが拍手で迎えたのであった。
 終日穴蔵。
 粛々と雑事を進める。
 開戦前夜というか。
 明日は、職業野球の開幕、姫路城の再オープン、JR福知山線脱線の判決など色々あるようだが、どうでもよろしい。
 なんといっても大塚家具が楽しみだな。
 早寝……と思ったら、なんと井上叔彦さんの訃報。
 昨日、食道ガンで亡くなられたらしい。うーん。
 『Live At Lovely』を聴くことにする。

3月27日(金) 穴蔵/ウロウロ
 本日も快晴。
 穴蔵にて雑事。
 昼前に所用あって桜橋口の中央郵便局まで往復。
 かっぱ横丁の藤沢書店に米朝師匠関係の本などが展示されている。
  *
 全部持っているから、見るだけ。おれが死んだら、落語関係の蔵書はここへ持ち込めとメモを残しておこう。
 うちと同じ遺影(売り物にあらず)が飾ってある。店主の人柄がわかるではないか。
 午後も穴蔵にこもる。
 テレビのニュースでは、大塚家具は長女が61%の支持で勝利。
 しかし、これは同族経営の「終わりのはじまり」だろうな。
 ウチは大塚で買ったことはないし、残りの人生で、家具は捨てることはあっても買うことはないから、大塚家具とはなんの関係もない。
 野次馬として面白く観戦させてもらったが、世間一般、ほとんどがそうではないかい。

3月28日(土) 石花楽会/創サポ講義
 定刻午前4時に目覚める。
 4:30〜
・米朝特番 NHK「日本の話芸」 『どうらんの幸助』(1992「日本の話芸」の再放送)を見る。
 午前中は穴蔵にて雑事。
 11時過ぎ、冷えたシャブリを下げて、地下鉄で本町、御霊神社へ。
 春の恒例行事<石花楽会>……つまり「石毛直道先生を囲んで花見を楽しむ会」である。
 料理か酒の持ち寄り花見会。
 例年より1週間早いが、快晴で暖かく、桜も開花していて、絶好の花見日和となった。
  *
 今年は米團治師匠が落語会の前に来臨、米朝師匠を偲んでの「献杯」ではじまった。
 (当然ながら、参加者は皆さん米朝ファンである)
  *  *
 あとは境内にて和やかに花見会。
 ただし、おれは、夕方から講義があるので、あまり飲めず。
 この花見会でしか食べられない「三輪そうめん山本の麺と美々卯の出汁」という特製コラボ麺をいただき、呉春大吟醸を少しばかり。
 今年はプロ・バーテンダーが作る「竹鶴のハイボール」もあったのだが、これは酔っぱらいそうなのでがまんする。
 ちょっと早めに帰館。
 夕刻、地下鉄で天満橋、エルおおさかにて創作サポートセンターの講義。
 本日は青木治道さんと「課題作品」についてコメント。
 今後、別のかたちで発表される可能性もあるので、ネタバレは避けるが……
・深夜のコンビニで出会った子供の怪異譚。
・調子のいい二股男が陥るちょっとした恐怖。
・自殺願望者を引き寄せる不思議な性癖の持ち主。
・紛争地を取材して「同じパターンの作品ばかり書く」作家が巻き込まれる不思議な体験(この設定はきわめて面白い)。
・大学を舞台にありそうでなさそうな部活を描く青春小説。
・同志でありライバルでもある「特攻機」が繰り広げる戦闘……類似アイデアがないではないが、描写力では先行作品(よほどのSFファンでないと知らないと思う/むろん作者も読んでない)を遙かに上回っている。
・特異な状況で身動きとれなくなった男の悪戦苦闘。これはおれの好きな設定で、あの手この手を相当に絞り出している。
・生死の分かれ目にいる友人から受ける奇妙な依頼。
・ミステリーに見せてハート・ウォーミングな結末に導くロボットSF。石黒浩教授の研究がベースになっていて、うまい。
 いずれもレベル高く、設定や着想が面白くて、30分の超過となった。

3月29日(日) 穴蔵
 朝から小雨が降る。
 終日穴蔵。少しは仕事もするのであった。
 午後は雨がやんだが、出歩く気分にもならず。
 14時〜
・米朝特番 テレビ大阪「追悼 米朝さんを偲んで 〜至芸 たちぎれ線香〜」を見る。
 (2001年12月29日の再放送 日経ホール収録 立川談志との対談が少しあるが聞き取りにくい)
 たちまち夕刻。
 ヤッコ、しらすおろしなど、米朝師匠が好まれそうな和風メニューにて晩酌。
  *
 若竹煮で龍力の熱燗がよろしいなあ。
 早寝するのである。

3月30日(月) 穴蔵/ウロウロ
 午前、所用あって梅田うろうろ。
 昼前に某デンタルクリニックへ行って某処置を行う。
 昼飯は抜き。
 まっすぐ帰館、午後は穴蔵でじっとしていることにする。
 夜、アルコールは抜き。粗食……というか、やわらかい食事。
 眠くなるまで本を読むことにする。

3月31日(火) 花見
 晴れて暖。
 昼前に専属料理人と花見に行くことにする。
 天気予報によれば、明日から1週間ほどは雨か曇天で、今日が唯一の花見日和という。
 桜の下で飲み食いはしないので、弁当などつくらず、ぶらぶら歩くだけ。
 豊崎東公園〜本庄公園〜淀川堤〜毛馬閘門。
  *
 同じコースを去年は4月1日に歩いている。
 今年は満開にはいたらず。ちょっと手前。
  *
 毛馬閘門を渡り、都島区の蕪村の碑まで。毛馬橋を渡って戻る。
 リバーボートが方向転換中であった。
 長柄八幡に寄り、あと天六へ。
 「玉一」にて野菜どっさりの焼肉ランチを食す。
  *
 水分補給も怠りなし。昨日がノンアルだったから、うまいなあ。
 花見は終わった。
 明日から新年度、心を入れかえて仕事に精励することにしよう。


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