『マッドサイエンティストの手帳』427

●マッドサイエンティスト日記(2008年5月前半)


主な事件
 ・大和庵(1日)
 ・フリン伝習録(3日)
 ・マホガニーホール(4日)
 ・谷口英治・滝川雅弘2clセッション(5日)


5月1日(木) 播州龍野→大阪/九条「大和庵」
 助っ人来たりて、昼前に役務交替、大阪へ向かう。
 穴蔵に戻ると、大規模修繕工事たけなわで、玄関扉の塗装中。溶剤の香りが立ちこめてたまらん気分だ。
 ラリラリ状態で、某社某氏の取材を受ける。
 SF関係ではなく、なんと「立ち食いうどん」関係。
 
ランキングなんてことをやっているから、こんな話がくる。
 まだ行ったことないが気になる店はあるかということになり、以前見知らぬ方からメールで教えていただいた、地下鉄中央線「九条」の南側にあるという「大和庵」へ出かけることになる。
 九条は不思議なことに今まで下車する機会がなかった駅である。
 大和庵は商店街入り口にあって、すぐわかる。
 ここでキツネを一杯。
 絶品である。
 
 店主の岡本さんがおられてしばし雑談。おれより2歳年上、つまり山下洋輔さんと同年、いかにも達人の雰囲気である。20代から始めて、40年間、味は変えていないという。
 こんな店がまだあったのだ。
 立ち食い道の奥は深いぞ。
 ……本日の「取材」内容がどこでどう発表されるかはマル秘である。

5月2日(金) 穴蔵/ウロウロ/色々
 播州龍野から帰館したら、雑事堆積。さらに明日から世間は連休だから、本日中に片づけねばならぬこと色々。
 以下に列挙。
●午前6時にボンクラ息子その1にモーニングコール。がんばっておるのだ。
●「自宅」へ行って朝刊を読み、減塩朝食。
●2時間ほど、少しは仕事もするのであった。短いのをメール送稿。
●9時過ぎに近所の医院へ行って定期検診。実質クスリを貰うだけのことだが。混んでおるなあ。血圧は正常。
●月次の諸々の処理事項あり、自転車で銀行・郵便局などを回る。混んでおるなあ。3日間ATM休止の銀行多し。
●帰館したら、青空書房の坂本さんから電話。色々な用事あり自転車で往復。30分ほど雑談。
●午後はタイムマシン関係の月次決算業務。
●ヤマト運輸の営業所へ行く。発送2件。
●専属料理人が急に通夜に行くというので、夕食が早くなった。
●ビール飲みながら毎日放送の報道番組を見ていたら、「渋滞」がテーマで、
菊池誠教授が登場、相変わらずダンディであるなあ。
●引き続き「船場吉兆」が客の食べ残しを使い回ししていたというニュース。わははははは。他人の唾液が盛大にトッピングされた刺身を食べた富裕層諸君、ざまみろだな。船場吉兆は閉店間違いなしだろう。
●料亭(に限らず高級店)の食べ残しがどうなるのかには30年前から興味があった。関心を持ったのは70年代末の北京であった。詳述はしないけど、(当時)中国ではそれなりのシステムが出来ていると聞いた。船場吉兆のやり方は(当時の)中国どころではない。下位の店に回せばよかった(いいことないか)のに、次の客に回したのだから、こりゃ贔屓の客も怒るわ。まあ、外食ってのはある程度の覚悟がいるわなあ。
 ……ということで、まとまった仕事の出来ない日であった。
 焦るなあ、明日も『フリン伝習録』とか色々あるし。

5月3日(土) 「フリン伝習録」
 穴蔵にて少しは仕事……のつもりが、アタマまるで働かず。
 午後、専属料理人と出かける。
 阪急・西宮北口、兵庫県立芸術文化センター大劇場で「フリン伝習録」公演である。
 入り口付近の花に「筒井康隆症候群有志一同」とある。
 
 筒井康隆・原作脚本朗読で山下洋輔・音楽ピアノとくれば面白くないはずがない、のだが……
 どうも先日来、コンサートではおかしな客と近くになってしまう。
 本日は左隣の兄ちゃん(おれはR4であった)、拍手でおっそろしく大きな音を出す。
 しかも、オペレッタだから、場面ごとに拍手の必要はなかろうに。
 左耳がおかしくなってくる。
 専属料理人はおれの右席だが、さらにその右にいるおっちゃん、図体が大きい上に落ち着きなく、しかも両腕をやたら広げる癖があって、専属料理人は右脇腹を絶えず肘でつつかれるという。
 たまらず、3幕目から、少し離れた空席に移動した。
 いや、内容はいいんですよ。
 ただ、落ち着いて鑑賞した気分にはなれなかった。
 「ヴィリアの歌」がコルトレーンでお馴染みのメロディで、あ、「VILIA」の原曲はメリー・ウィドウだったのかと初めて知った。
 終演後、ロビーでハチママ、その他、「筒井康隆症候群」に感染しているとしか思えない、お馴染みの数氏と挨拶。
 次の用事があるのでそそくさと失礼する。
 夕刻、阪急石橋へ。
 連休で地方から帰ってきた某メンバーと秘密会議。
 アホな話を色々。

5月4日(日) マホガニーホール
 穴蔵にて少しは仕事……のつもりが、アタマまるで働かず。
 昼過ぎに梅田へ。
 阪神デパート8階「中古&廃盤 CD・レコードセール」を覗くが収穫ゼロ。
 この程度の規模だとミムラなどを定期訪問している方がマシである。
 14時前に心斎橋のマホガニーホールへ。
 明日のビッグリバー・ジャズフェスのために、昨日から「早稲田大・ニューオリンズ・ジャズ・クラブ」のメンバー12人が来阪していて、かれらをゲストにしてのコンサート。
 早稲田ニューオリンズは今年で50周年で、初代の河合良一さん、後輩の面倒見がじつにいいのである。
 その早稲田NOJクラブ、メンバーの半分以上が女性である。
 ↓下の写真、フロントのcl,tp,tbそれにb,bjも女性で、7人中5人が女性。えらい時代になったものだ。
  
 ジェフ・ブルさんも来ていて、スキンヘッドに、
去年の白髪と較べて愕然。
 30年前から……だったとか。
 いかなる心境の変化なるや。
 色々なセッションもあり、トロンボーン5本で「タイガーラグ」!
 「あかん、これやったら阪神が負けまっせ」と、おれが(オランダのブレダ・ジャズフェスへ行ってるために不在のSさんの代わりに)一応抗議したのだが、おかまいなしに演奏。これが、福田さんはじめ、ともかく素晴らしい名演であった。
 ということで、終演後、まっすぐ帰館。
 案の定、阪神はサヨナラ負けを喫している。ははははは。
 おれは阪神ファンではなく、アンチ・ナベツネなので、関係ないのだけどね。

5月5日(月) 穴蔵/谷口・滝川2clセッション
 終日穴蔵。
 本日は
ビッグリバー・ジャズフェスの日だが、部屋に籠もる。曇天で予報では昼前から雨……ということではなく、諸々の仕事がまるで進まず、遊びに出かける気分にならない。
 が、仕事が進んだかどうかはまた別の話。ボケが進行しているからどうにもならない。
 雨は降らなかったようで、ビッグリバー関係はなによりであった。
 夕刻、専属料理人と歩いて梅田・ロイヤルホースへ。
 これだけは、ま、年に1度の楽しみであるから……。
 谷口英治をゲストに滝川雅弘カルテットとの2clセッション。
 大野綾子(p)中村尚美(b)高阪照雄(ds)
 今年は高槻ジャズストリートに行けなかったので、こちらで聴けるのはありがたい。
 
 モダンスイングのトップ奏者・谷口英治とバッパーとしては屈指の滝川雅弘は、2clでは最高の混み合わせだろう。
 滝川さんの2clアレンジもずいぶんレパートリィが増えてきた。
 2ステージ、休憩はさんで3時間ほど。最後に「anthropology」とはこれまた凄まじい。
 帰り際に、K支配人から「堀様でございますか? お楽しみいただけましたでしょうか」と丁重なるご挨拶。「HPも拝見しております。ひとつお手柔らかに」
 ……そういえば10年前に客の扱いについてちと批判的なことを書いたことあり、おれとしては根に持っているわけではなく、北村さんや滝川さんなどの出演する時には何度も来ている。ただ古い記事でも、検索機能が上がっている昨今、ご迷惑になってもいけないので削除しておくことにした。
 5月の楽しみはすべて終了。
 これからは「穴蔵」と「田舎」の日々がつづく。

5月6日(火) 穴蔵
 終日穴蔵。
 朝10時頃にとつぜんボンクラ息子その1が帰ってきて、最新の新幹線の時刻表ないかと訊いきた。
 新大阪始発の自由席で帰京するという。
 どうやら、しばらく前(数日前?)から帰阪していて、友だちと遊んでいたらしい。
 2時間ほどいて、シャワー浴び、昼前に出ていった。夕刻には仕事があるとか。
 専属料理人は不満らしいが、まあ、こんなものではないか。
 おれが同年齢の時は、3年ほど帰省しなかったもの。盆や正月に連休があれば、食料品を買い込んで、部屋に籠もったまま原稿書いてたものなあ。
 ということで、おれも見習って終日穴蔵。
 仕事が進んだかどうかは別の話である。

5月7日(水) 穴蔵
 世間の連休は終わった。
 終日穴蔵……のつもりだったのが、ミナミは道具屋筋の某文字厨器から電話。先日買ったタイムマシン用部品の刃物はステンレス製で、鋼製と交換した方がいいという。価格3倍。ここは「匠の技」を尊重するしかあるまい。
 昼、日本橋往復。
 ついでに電器街ウロウロしたくなるが、まっすぐ穴蔵に戻る。
 仕事が進んだかどうかは別の話である。

5月8日(木) 穴蔵
 本日も快晴なり。
 終日穴蔵。
 少しは仕事も……進んだかどうかは別の話である。
 しかし、文筆家の端くれなら、毎日がこの程度の簡素な記述でありたいものだ。
 夜は久しぶりに中華メニューでビール。
 餃子(専属料理人の手作り)は久しぶりで、調べてみたら昨年9月6日以来であった。
 毒入り餃子事件は1月末だから、中国関係なしに4ヶ月ほどは口にしておらず、じつに8ヶ月ぶり。
 ビールを飲みすぎてしまった。
 夕刊に米朝師匠が転倒・骨折・入院の記事。
 この前より長くなりそうな。金本への危険球よりも遙かに心配なニュースだ。

5月9日(金) 穴蔵
 終日穴蔵。
 少しは仕事もするのであった。
 さすがに運動不足。午後、自転車でハチへ行ってヒーコ飲む。
 外出はこれだけ。ともかく終日机に向かっていたことだけは事実。
 世間では人殺しとか事件多発のようだけど、ほとんど興味がない状態になった。
 たぶんいいことなのであろう。

5月10日(土) 穴蔵
 小雨が降り続くのであった。五月雨というよりは秋霖の雰囲気。肌寒く、キンタマ収縮はないものの、じっと机に向かっていたらつま先から膝あたりまでが冷えてしまう。
 ということで、寒さに弱いおれは、まるで仕事が進まないのであった。
 しかし、ともかく、終日穴蔵。終日机に向かっていたのである。
 夕刻から、近所の某会館にて、居住する集合住宅の定期総会。
 修繕工事と重なっているから議事以外に「雑談」(←要するにオバハン諸氏の、議事から離れた不平不満論述大会)が延々とつづいて21時まで。
 体が冷え切ってしまった。
 帰館後、軽くビールの後、カツオ・タタキその他で熱燗、わ、22時過ぎまで。
 おれとしては、えらい夜更かししてしまった。
 明日は早朝からど田舎へ移動して「下男」モード入りである。
 がんばって仕事もするつもり……だが、どうなることやら。

5月11日(日) 大阪→播州龍野
 早朝の電車で播州龍野へ移動。
 「下男モード」入りである。
 大阪は肌寒かったのが、播州龍野は本格的に寒い。
 書斎の室温16℃(10:00AM)で、大阪の穴蔵だと真冬の室温だ。幸いキンタマ用ハロゲンヒーターを机下においたままだったので、しばらく放射させる。ほっ。フワフワ。
 午後は晴れてきて、やっと暖かくなる。
 ということで、雑事の合間に書斎の窓からボケーーーーーッと外を眺めて過ごす。
 
 庭の新緑が目にしみる。
 この恵まれた雰囲気は文豪並みで、ゆっくりと原稿を書ければいいはずなんだれどなあ……あかんなあ。
 数日分の新聞をチェックしていて、
悪役ランプさんの「漫画家協会賞・特別賞」受賞を知る。
 受賞作は「謎のマンガ家・酒井七馬伝」である。
 おれの評価……昨年最大の収穫は、SFで最相葉月『星新一 1001話を作ったひと』、マンガで『謎のマンガ家・酒井七馬伝』だったから、それぞれの分野でともに評価されたわけで、わがことのように嬉しい。
 ランプさん、おめでとうございます。

5月12日(月) 播州龍野の日常
 朝も早よから下男仕事また楽しからずや。
 それ以外の時間は書斎にてボケーーーーッと過ごす。
 午前中の室温は17℃で、フリースはおり、机下のハロゲンヒーターを断続的につける。
 ああ春は遠い。
 たちまち夕刻。
 夕食時、何を思ったか、とつぜん老母が、 「願はくは花のしたにて春死なん、の下の句はなんだったかいな?」という。
「グズラはんに訊いたらええがな」といったが、ジャズファンではない老母にわかるはずもなし。
 いかなる心境にやあらむ。
「もう桜の季節は過ぎたから、来年でええやないか」……と、こんな冗談を平気でいうのは、老母が自分の葬式の写真その他を日頃からやたら確認するクセがあるからである。
 夕食終わってもまだ外は薄暮である。
 短歌ついでに、この時刻、

 夕暮れに小鳥さえずる声聞けば
 我れ帰りたや母待つ家に

 これは昔、金嬉老が寸又峡に立て籠もった時、発作的にふすまに殴り書きした短歌である。
 この時の母の感想。
 「小鳥がさえずる」は朝で、夕暮れというのは感覚的に理解できない、「カラスと勘違いしたんやろか」と批判的であった。
「あの人、まだ生きとんかいな」
「生きてはりまっせ」
 40年前のことだが、昔の事はよく覚えていて、今でも夕暮れには話題になる。
 ということは、案外「名作」なのかも。
 田舎の夜は早い。
 シャワー後「神の河」飲んで早寝……のつもり。

5月13日(火) 播州龍野の日常
 朝も早よから下男仕事ホイホイっと。
 今日も寒く、ハロゲンヒーターで断続的にキンタマ照射。
 午後は雨になった。
 ボケーーーーッとしているうちに夕刻となる。
 老母の専属料理人となって色々炊事している時間にややこしい電話。
 非公開にしているのだが、何かの名簿……というよりも、所有のリストによるセールス電話である。
 おれが手が離せないから、老母が電話に出て、当然耳が遠くて聞こえないから、おれに回ってくる。
「ご主人様ですか」
「ちがいますが、何ですか?」
「大東建託のなんとか……」
「ドアホ! 二度とかけてくるな!」と怒鳴りつけて電話を切る。
 この会社、あまりに訪問がひどいので
2月18日に「お断り」のプレートを門扉に貼ったのだが、今度は電話できたか。
 これ以上の迷惑回避にはどうしたらいいのか。
 「大東建託」宛にいっさいの関わりを拒否する内容証明を送った上で、その後の被害状況を克明に記録していくしかないか。
 ともかく、はっきり書いておこう。

 大東建託は悪徳会社である。


5月14日(水) 播州龍野の日常
 朝も早よから下男仕事スイスイっと。
 諸々の雑事を片づけ、老母の定期検診の日であるので、I医院に診察券を出して、予定時刻を見て老母を連れて行く。混んでいるけど、待ち時間10分で診察受けて帰館。まあ正常である。
 10時半に帰館。まあ「効率的」に動けた方であろう。
 こんな生活が3年以上になる。
 おれもバカではないから、色々なノウハウが蓄積できてきた。
 「炊事」「洗濯」「掃除」「買い物」「ゴミの処理」「野良猫対策」「S字型動物対策」「暖房法」「暑さ対策」「防犯」「防虫」「雑草処理」「通院」「ご近所付き合い(の忌避)」その他色々……「大東建託撃退」だけがまだ決定的方法を見いだせないけど。
 これも一種の「知的生産の技術」であろうか。
 ちょっとちがうか。
 「知的生産の時間を作り出すための手抜き術」とでもいうか。
 どこか新書で『システム下男学』を書かせていただけるところあれば、声をかけてくれないかなあ。
 似たような境遇の諸氏と「日本下男学会」を設立しようかなと思ったりする。
 午後、川沿いに30分ほど散歩。下男(おとこし)のつかの間の休息なり。
 
 鶏籠山、新緑と旧緑?が混じり合って、この時期だけの不思議な模様を作っている。
 センチメンタルになるぜ。

5月15日(木) 播州龍野→大阪
 朝も早よから下男仕事粛々。
 夕刻「出所」、大阪へ移動する。
 移動中に、四川大地震発生から「タイムリミット」72時間を過ぎる。
 生存者の救出の可能性が5%以下に落ちるという。
 実感を伴う数字だ。
 被災ではないが、2晩3日、55時間部屋に籠もって不眠不休という経験があって(パンと水はあり、トイレにも行った、まして負傷などしていない、そもそも自分で勝手にやったことである)、これが限界であった。その後これが妙な自信になった面もあるが、20歳の頃のことだから、もう無理である。
 今だと40時間が限界ではないか。
 どうも体調よろしくない。
 24時間、寝ることにする。

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