HORI AKIRA JALINET

『マッドサイエンティストの手帳』79

●梅田地下街を行く

20年後の「梅田地下オデッセイ」


  拙作「梅田地下オデッセイ」を書いてから20年経った。ちょっと気になることがあって「現地」へ行ってみた。
 大阪市の広報的季刊誌「SOFT」が「都市の異相」として大阪の地下街を特集した。
 有栖川有栖さんと梅田地下街のことを中心に対談したのだが、その掲載誌が出た。

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 有栖川有栖さんは若くて、なかなかいい表情である。わしゃ髪が「薄っぺら・ぺたんこ」で、すっかりおっさんである。

 それとは別に、先日、芦辺拓さんと公開セミナー「名探偵とマッドサイエンティストが語る/体験的エンターテインメント作家への道」を行った。その時、作品の資料公開をすることになっていたので、「梅田地下オデッセイ」の古い袋ファイルを持っていった。
 ちなみに、この袋ファイルには「怪奇ラーメン男」という「仮題」がついている。なぜラーメン男なのかというと、ともかく「インスタントラーメンで育った新人類」という着想があって、同時に筒井さんの「怪奇たたみ男」のタイトルが頭にあったから、こんな仮題をつけたのだろう。中には、結局使わなかったが「即席麺」に関するコピーや切り抜きも入っている。
 この袋から出てきたのが、「週刊文春」1975年3月5日号である。
 23年前の週刊誌、切り抜かず、そのまま1冊入れてあった。
 この頃から構想をもっていたのである。
 表紙は八代亜紀。
 ただし「資料」として残していたのは、巻末のグラビアページ。
 「不況のあらし 大阪・梅田の地下街を直撃」という見開きの写真ページである。
 当時、オイルショック後の不況で釜ヶ崎から流れてきた浮浪者が梅田地下街に200人以上住み着いていた。……リストラという言葉はなかったが、賃金カットや「希望退職」が行われていて、今とよく似ていた。
 見慣れていた光景だが、このグラビアが、執筆の直接の引き金になったのは確かだ。

 下のページのいちばん大きな写真が、作中で言及した「大阪駅から地下鉄御堂筋線につながる地下通路」である。今もこのままである。
 右下の写真は、まさに「舞台」とした場所。地下鉄・梅田へ降りる「コーナー」直前部分である。

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 同じ場所に、1998年10月4日、同じように人が寝ている。デジカメで同じ場所を撮った。毛布をかぶっていないのは、まだ寒くないからである。むろんグラビアとは別人にちがいあるまい。では、グラビアでここに寝ていた人はどうなったのか……。

 あれから25年近く、なんとかボンクラサラリーマンを継続してきたが、男のホームレス、女のソープランドは、日常生活と背中あわせという恐怖感からはどうしても逃れられない。つくづく臆病な性格だと思うが、こうして写真を見比べてみると、ぼくの恐怖感が正しいとしか思えない。


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