HORI AKIRA JALINET

『マッドサイエンティストの手帳』47

●マッドサイエンティスト日記(1997年12月後半)

主な事件
 ・谷口英治とグラマシー・ファンブ・リバイバルズ(浅草HUB)
 ・忘年会のない年末
 ・わが書斎から梅田を眺めて
 ・越年籠城準備完了

1997年

12月16日(火)
 ひさしぶりに松本弁護士と面談。特許関係のことと別に30分ほど雑談。松本先生は某大学の講師も務めていて、そちらの話が面白い。インターネット関係にも詳しいので、会社の仕事以外でも、色々教えてもらうことが多い。
 このところ飲みに行くこと皆無だが、夕食後、久しぶりにサントリー5へ。サウスサイドバンド、今年の聴き納めである。クラの坂井原くんも来ている。23時まで。最終ステージはガラガラである。不況なのか?
 ……臨時ニュースで夕方「ポケモン」のアニメで全国的に子供が光過敏症のような発作を起こしたという。500人以上らしい。うちのボンクラ息子は幸いサッカー疲れで昼寝していたらしい。

12月18日(木)
 6時始発のひかりで上京、日本橋中心に都内5社ほど。午後、アトソンにも寄る。
 夜、浅草HUBへ。浅草の六区食堂街の中にあるビアホールみたいな作りのライブハウス。東京では数少ないデキシー・スイング系の拠点であるる
 谷口英治とグラマシー・ファイブ・リバイバルズ。アーティ・ショー直系のクラリネットに、ああ生きて手良かったなあとしみじみ思う。結局3ステージ最後まで聴く。2ステージ目にぶる(吉井)氏合流。……「小さな花」、3ステージ目の「鈴懸けの道」が泣かせる。テナーの左近氏がクラに持ち替えての2クラ演奏だが、谷口英治がピーナッッ・ハッコーのパートを吹くところが憎い。
 感激のうちに安眠。

12月19日(金)
 昼間のひかりで帰阪、夕方、大阪近郊の事業所で忘年会へ直行。立場上、福引きの「賞」提供とカラオケ一曲は、まあ義務みたいなものである。だいたい「スーダラ節」と決まっている。昨夜の谷口英治とはえらい違いだなあ。

12月20日(土)
 早朝から所用あって播州龍野の実家へ。
 夕方、JR元町でハチママと合流、17時、海文館ギャラリーへ。
 筒井伸輔展(前掲)を観る。
 帰宅20時。
 ボンクラ息子の母親を兼ねる「女中」が風邪で寝込んだママである。長男がエビを解凍している。「塩焼き」にするのだという。大丈夫かいなと食べてみたら、これが結構うまい。神戸でワインをいただいた後なのに、またビールを飲む。

12月21日(日)
19971221 日 晴/曇  朝刊を見ると、昨夕、伊丹十三が飛び降り自殺のニュース。なんであろうか。(夕方のテレビによれば、月曜発売の写真週刊誌に女性問題を暴露されたことに対しての「無実の証明」であるという)
 自転車で本町の会社。出張中の雑件整理。ついでに年賀状の宛名プリント、320枚1時間。

12月22日(月)
 気分が乗らないという理由で会社の忘年会は取りやめる。これはありがたいことだが、取引先(仕事をいただいている先様関係)の忘年会、これは疲れる。深夜帰宅。コメントなし。

12月23日(火)
 あわただしい時期の休日で、まるで年賀状を書くための祝日みたいで、例年そうしているのだが、昼まで、二日酔い気味で布団の中で読書。うちの「女中」が読み終えた、篠田節子「女たちのジハード」を読み、人物の造形力のすごさに感嘆。女流作家のパワーに驚くことの多い昨今だが、この人の作風は古典的というか、バルザック的な風格を備えている。男性の造形が女性に比べてやや弱い(戦記おたくの描写など)印象があるが、ともかく近年稀にみる才能である。今頃で申し訳ないのですが、直木賞受賞おめでとうございます。

12月24日(水)
 クリスマスイブ。まっすぐ帰宅するも「女中」本調子ならず、鶏肉がオーブンで焼かれているがワインが冷えていないというていたらく。いたしかたなし。

12月25日(木)
 朝刊によれば、昨日、三船敏郎が死亡。

12月26日(金)
 朝刊によれば、昨日、中村真一郎氏が死亡。
 作品も好きだが、ぼくには、岡本喜八「地獄の饗宴」の原作者として、そして解説書「現代小説の世界」(現代新書)の著者としての印象が強い。

12月27日(土)
 世間は休日入りした会社が多いようだが、関連会社の工場が操業中であり、会社に顔を出す。

12月28日(日)
 休日。年賀状を2時間で書いて投函。

12月29日(月)
 休暇入りした会社が多いようだが、本日まだ出社。
 依然キナ臭い話が多い。
 昼休み、かんべ事務所へ自転車で行って、雑談1時間。例年だと桂歌之助とあと約1名を加えたメンバーでの忘年会が通例だが、ぼくが約1名(女性しか弟子にしないことで知られる某落語作家)と同席したくないために、今後中止である。歌やんはウーロン茶しか飲めないにもかかわらず「受けて立つ」といってるのであるが。
 簡単に会社の机を整理。夕方帰宅。やっと休暇入り……のはずだが。

12月30日(火)
 昼までホームページ用原稿(すなわちここの文章)を整理。
 夕方、地方に分散している仕事のグループ数人で忘年会。自主的に集まって飲む忘年会はこれが今年唯一であることに気づく。
 SF関係、ネット関係がゼロであったのは寂しい。

12月31日(水)
 ホームページの原稿整理。その他、ネット関係のことを色々。
 午後、梅田まで自転車で出る。もう大半の店が休みである。
 越年籠城準備……すなわちクラリネット中心にCD、MDを揃える。ジョージ・ルイス、ジミー・ヌーン、シドニー・ベッシェから、エドモンド・ホール、ベニー・グッドマン、アーティ・ショー、鈴木章治、北村英治、河合良一、吉川裕之、笠井義正、デフランコ、ピート・ファウンティン、モンティ・サンシャイン、エディ・ダニエル、そして谷口英治。これらを聴きながら1月4日夜まで机(パソコン)に向かう計画である。読みたい本は多いが、資料関係に限定。恒例の米朝独演会も今回は見合わせる。停滞している仕事を進めるのが第一である。海外関係の連絡のためにちょっと会社には出るが、それ以外は、よほどの事情がない限り、書斎に籠もる。「外」との回線はパソコン通信だけである。
 あと8時間で今年も終わる。
 わが部屋から梅田を見る。
 茶屋町またアプローズと毎日放送のビル。この真ん中にあるのが阪急グランドビル。この屋上の定点カメラが、早朝のテレビ(某チャンネル)で、下の写真とちょうど逆方向からこちらを映していることがある。来年、こちらから信号を送ってテレビを介しての「双方向性」実験を試みるつもりである。
 近い将来、前の建物が高層化して、わが部屋からの眺望が失われる可能性が高いのである。
 ここまで公開すれば、わが部屋を特定したも同然……かな。
 望遠鏡であまり覗かないようにして下さい。  触覚のようなシルエットが、コマ劇跡に建設中の「観覧車」の一部。これが完成するのと、わが部屋からの視界が閉ざされるのと、どちらか早いか。……この17年、北梅田の変貌を定点撮影してきたが、幕を引かれる日も近そうだ。
 記念に、1997年12月31日の眺望を掲げて、さらば97年。

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