HORI AKIRA JALINET

『マッドサイエンティストの手帳』24

●マッドサイエンティスト日記(1997年6月前半)

主な事件
 ・無精猫が働く
 ・堀晃新作展
 ・SFは<もとの>時代である。

6月1日(日)
 ソリトンの先輩同人誌「PARADOX」に猫SFについて所感を書く。「無精猫原理」という宇宙の基本則を中心に書くわけだが、この無精猫の由来は、落語「無精の代参」のマクラに出てくる親子猫である。無精猫原理は、その発見以来、ぼく自身の行動原理にもなっているのだが、そうなると、原稿を書くという行為は原理に背くことにもなるのだが……。
 午後、相棒から電話がかかってきて急遽出社。中断していたソフト開発について。また仕事が増えるなあ。
 原理に背くようだが、夕方帰宅、引き続きクラークに関するエッセイ。
 アーサー・C・クラークに会ったのは1970年だから、もう27年前である。クラークは今年7月15日で80歳を迎えるはず。……となると、ぼくがニュージャパンのロビーで「都市と星」訳書にサインしてもらった時のクラークの年齢は、今のぼくと同じであったのか!
 うーん、偉人と年齢の比較してもなんの意味もないが、それにしてもえらい違いだなあ。
6月2月(月)
 夕方、梅田・中宮画廊へ。
 堀晃新作展、初日である。堀晃(ひかる)さん、来場しており、久しぶりに挨拶。

6月4日(水)
 上京。
 夕方、久しぶりに「クズSF論議の火元」高橋良平くんと会う。
髪がやや白くなり髭に風格の出てきた高橋氏に「良平くん」もないが、ぼくとカジシンは例外的に許されるのである。ぼくが名古屋に近い工場で見習社員として実習中、カジシンは名古屋市内のガソリンスタンドに「奉公」に出されていて、この時、良平くんは受験生であったのだ。時々3人で遊んだが、よく考えると、当時の良平くんは今のぼくの長男の年齢ではないか。多分にその後の方向づけをしたところはありそうだ。
そんなわけで、SF観にしろ状況認識にしろ、「本の雑誌」における良平くんの発言は隅々までわかるのだが、75年以降のSFからスタートした読者(若い書き手も含む)には誤解されるところがあるだろうなあ。
今を「SF冬の時代」「氷河期」と見るかどうか、どの時代と比較するかで、まったく異なる。SF高度成長期を見てきた立場からいえば、今はたんに「もとの時代」なのである。
それはそれでいい面もあるのだ。(どこがいいかは、また別に書く。)
 ただし、フルタイムライターは相当な覚悟をかためなければならないはずだ。……いうまでもなく「飢え死に」の心配ですよ。飢え死にがいやなら、桂文我師匠のように、守衛をやりながらシレッとして「あれ、ペケ」と下手な噺家を批判していた、こういうライフスタイルを選ぶ道もある。……このことは、ぼくと良平くんとでは、立場も生活スタイルもちがうが、良平くんの方がぼくよりも遥かに楽観的だ。頼もしくもある。
 クズSFの話は30分ほどで、あとは翻訳SFや映画の話を3時間以上。
 おなじみ台南そばの屋台で終わる。

6月7日(土)
 午後、家内と中宮画廊へ。堀晃夫妻が再び来場されているので、1時間ほど雑談。堀晃(ひかる)さん、アトリエに有線を引いていて、気分転換に時々上方落語を聴くのだという。それはいいのだが、「六代目」笑福亭松鶴が面白いという。……画廊の人を含めて、大阪関係全員で、絵のイメージを落とすから、なるべくそれは公言しないようにと、けったいな助言。米朝師匠も聴きなはれ。

【標準的1日】が1週間続く。

6月14日(土)
 朝から真夏のように暑い。
 パジャマ姿のままパソコンに向かう。
 6月前半休日の「無精猫」はどうかしている。ほぼ終日原稿を書く。
 明日に備えて、片づけるべき仕事は済ませるのである。
 「明日やれることは今日やらない」という行動原理を覆すほどなのだから、明日はよほど凄いことがあるのだ。それは何か。↓の[次回へ]をクリックされよ。


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