HORI AKIRA JALINET
雑読雑聴

  

雑読雑聴 1

  なぜ今頃という本も出てきます。
  つい感想アップが遅れていたもの。
  本も生モノ。発売直後に追いつくよう努めます。(2003.4.25)

佐々木千賀子『立花隆秘書日記』(ポプラ社)
 
 先日書店で目にとまった。さっそく一読、もう書評などで話題になりかけているようだ。
 佐々木千賀子さんは80年代終わり頃、大阪のホテルプラザにあった小松左京事務所の秘書だった人である。ここにはよく出入りしていたから、歴代の秘書は皆さん顔なじみだが、佐々木さんはその中でも「飛び抜けた」存在であった。身長が。ぼくと背丈は同じくらいだった。それに見合う行動力の持ち主でもあった。
 その後、ワンクッション置いて、立花隆事務所に就職……これは93年の「婦人公論」の「秘書公募顛末」記事で知った。その後(本書によれば)スタジオ・ジブリ(宮崎駿)を経て、今は沖縄在住、こんな事情はこの本を読むまで知らなかった。
 その凄い職歴のうちの、立花隆事務所時代について書かれたのがこれ。
 佐々木さんの文章は、立花時代の短いの2つしか読んだことがなかったが、こんなに筆力のある人だとは思わなかった。
 特に猫ビルの内部の描写が素晴らしい。文春臨時増刊「立花隆のすべて」のグラビアでは見ていたが、いまひとつ実感を伴わなかった。玄関の雰囲気、地下室の構造など。これが細部まで見事に描写されている。屋上の倉庫へ本を吊り上げるところなど凄い。
 仕事ぶりに関するエピソードも満載。これをあげていくとキリがない。
 疑問が氷解したことも多い。たとえば、書籍が長期ビジョンに従って蒐集されているのではなく、かなり場当たり的であるとか。インターネット使用状態も「インターネット探検」に感じた、あまりにも素朴な面白がり方を裏付けている。
 最近の「批判本」が対象としているところも、インターネット以降が多いのではないか。それと佐々木さんの「肉体労働」に依存していた部分が、明らかに弱くなっている。過去の記述との整合性(大量のファイルを引き出してきてのチェックね)など。
 秘書は成長するものだと思う。悪く成長した例は逮捕された政治家秘書。ここでは素晴らしい変貌を遂げた実例が読める。
 ぜひとも立花隆氏に週刊文春の書評ページで取り上げてほしいところだ。
 さらに……嫌がられるかもしれないが、小松事務所時代も書いてほしいなあ。
 それにしても……猫ビルの今後が気になる。蔵書の桁は1桁ちがうが、わが穴蔵と実家の書庫、どうしようかと迷う今日この頃である。特に実家に積み上げたダンボール、整理する体力がなくなりつつある。雑多な切り抜きなど、今さら整理する気力もなし……。
(2003.4.25)

北野勇作『どうぶつ図鑑01〜』(ハヤカワ文庫)
 
 こりゃ企画の勝利ですなあ!
 北野勇作の作品ほど書評に困るものはない。ある程度内容を紹介しなければならないが、要約のしようがないからである。本人も要約できないといっている。……某紙で『どーなつ』の書評を引き受けてこれを思い知った。で、要約不能の理由を書いて逃げたが、それから他人がどう要約するか、北野作品の書評を読むのが楽しみになったほどだ。
 むろん、このページは「書評」ではないから気楽なもの。
 しかし、ともかく、短編集をまとめるにあたって「動物」でくくるとは意表を突く発想で、しかも、こうしてまとまると、なるほどなあと感心する。
 01が当然「かめ」
 02が「とんぼ」
 あと、「かえる」「ねこ」「ざりがに」「いもり」と続くらしい。
 「くらげ」がないのが寂しい。くらげの「折り紙」が難しいからか。
 書き下ろしあり、某新聞の関西版に書かれた時に読んだショートショートもある。それが、こうしてなんとなく懐かしい動物でくくられると、最初から企画に合わせて書き下ろされたような雰囲気になるから不思議だ。
 個人的な話をひとつ。
 北野さんがパソコンを5インチFDのNECから3インチのDOS/Vに変更するとき、大量のフロッピーを移植するために、ぼくの仕事場(SFでない方)へ来たことがある。そこで大量の短編やショートショートのタイトルを垣間見た。出番待ちの作品は多いのである。
 このシリーズ、うまくいけば、引き続き「食べ物」シリーズ(食材付き……が無理ならレシピ付き)とか「音楽」シリーズ(CD付き)も出してほしい。
(2003.4.25)

小川一水『群青神殿』(ソノラマ文庫)
 
 先日、グレゴリー・ベンフォード氏が来日した時、「日本にフルタイムのハードSF作家は何人いるのか?」という質問があった。
 ぼくの答えは「3人」である。
 石原藤夫博士は長年兼業であったし今も活動は多岐にわたる。小松さんをハードSF専門とはいえないし、谷甲州さんもハードSF以外の作品は多く、そちらでの受賞作もある。(作家としての格付けをしているのではありません)
 小林泰三さんも二足のワラジ組。山本弘さんは微妙だなあ。トンデモ方面でも人気作家だし。
 ちょっと異論もあろうが、厳密な意味で「フルタイムのハードSF作家」は、今のところ、野尻抱介、林譲治、小川一水の3氏ではなかろうか。
 で、なぜ今頃『群青神殿』かというと、『SFが読みたい! 2003』をざっと立ち読みした時、『群青神殿』が大きく評価されていないのが気になったのを思い出したからである。
 これはセンス・オブ・ワンダーに満ちた海洋SFの傑作であり、特に深海の描写は「日本沈没」以来の迫力である。
 ぼくはかなりの閉所恐怖症である。潜水艦映画は苦手だ。ノーチラス号みたいなのは別格。中学時代に『眼下の敵』を見て、これは楽しめたが、『Uボート』はあまりにリアルで、息苦しくなって、途中で退席した。……宇宙船も今のところ同じ事情である。宇宙へは行ってみたいが、狭い空間に長時間閉じこめられるのは耐えられない。宇宙SFのかかえるパラドックスのひとつで、広大な空間と閉所が共存する世界なのである。
 『群青神殿』に出てくる海底資源探索艇の内部描写は恐ろしいほどの閉塞感で迫ってくる。作者はぼくのような病人を怖がらせるつもりで描写したのではないだろうけど。恋人同士を乗り込ませて、それなりのサービス精神もある。だが、大げさな描写がない分リアリティがあって、脂汗が出てくるほどであった。
 そんな「病人」が一気に読んでしまうのだから、ここに出てくるアイデアの豊富さ、考証の厳密さなど、押して知るべし。
 小川さんはまだ20代なかばの若さである。この筆力には感嘆する。
 小川一水氏はもっと注目され評価されていい作家だ。
 また、潜水艇描写は宇宙船の描写にもつながるわけで、これからの宇宙SFでの期待も大きい。
(2003.4.25)

機本伸司『神様のハズル』(角川春樹事務所)
 
 第3回小松左京賞受賞作。
 昨年秋に授賞式に出てから読むまで、ちと時間が経過してしまった。(読んだのは2月ほど前)
、  小松さんの選評では、
 「宇宙を作るSFである」
 「女がわかっていない」
 「しかし文句なしの授賞である」
 「今度はこの宇宙からコッチを見たSFを書いてはどうか」……
 などなど。
 作者・機本伸司さんは挨拶で、
 「小松左京賞だから『宇宙論』を選んだ」
 「エロスとバイオレンスは入っていない」
 「替わりに『田植え』を入れた」
 「クライマックスが台風であって、本日(授賞式当日)現実を巻き込んでしまったみたい」……
 こんな話が耳に入っていて、どんな作品なのか見当もつかなかった。
 読んでみると、確かに上記どおりの作品であった。
 これは……もうあちこちで書かれていると思うが……『フェッセンデンの宇宙』の現代版である。しかも、宇宙論SFとなると、どうしても正攻法の『タウ・ゼロ』や『虚無回廊』の道具立てが必須と考えてしまうが、こんな手があったのか! まさに「宇宙を創る」話で、それが上出来の「青春小説」でもある。
 モデルにしたシンクロトロンは西播磨の「スプリング8」、この8が横になって「むげん(∞)」になっている。……スプリング8はわが実家からクルマで30分ほどのところ。近すぎてまだ見学に行く機会がない。ただ周辺の(田植えなど)風景描写は的確であることがわかる。
 天才少女・沙羅華をワトスン役の気のいい学生の視点で描く設定も巧緻。
 ゼミの教授や学生の雰囲気もきちんと描写されている。要するに大人の小説である。
 「女がわかっていない」というのがどの辺かはわからないが、弱いとすれば、天才少女の母親が、重要な役割であるはずなのに、ただオロオロしているだけ。この点だけだろう。
 なお、機本さんは、小松左京マガジン9号に『エディアカラの末裔』という短編を書かれている。
 これもいい短編。受賞作が「フェッセンデン」なら、こちらは『反対進化』の現代版と読める。
 こうした、ハミルトンやラインスターやハインライン(初期)の作品を現代SFで検証するというのは、カジシンや草上仁が好んでやるところであり、ぼくも大好きである。量産が難しい作者かもしれないが、着実に書き続けてほしい。
(2003.4.25)

星野力『幻層夢』(私家版)
 
 コンピュータ、ロボット、人工知能で知られる星野力氏(現在、筑波大名誉教授)の小説第1作である。ぼくはあえて「SF」と呼ばせていただく。
 星野先生とは2001年11月17日の京都SFフェスティバルでお目にかかった。その頃から、自分の研究を小説にする構想を話されていた。
 その第1作が『幻層夢』である。
 進化するLSI「生物モドキ」を開発しようとする相原は具体的な成果が見込めないと勤務する研究所をリストラされる。相原はゴーストタウンのようなバブル期の別荘地に居を構えて、ロッジに籠もって研究を続行する。
 京都の大学で脳科学を研究する坂口は、持ち込まれた「サイクルショック」を起こすチップの解析をきっかけに、「夢を見させる機械」のヒントをつかみ、研究室をスピンアウトする。
 そして、秋葉原の雑踏でふたりが出会った時から、両者のテーマが融合して、夢を創成する小型シンセサイザーが開発されることになるのだが……。
 ここまでが(荒っぽい)前半の要約。相原には孤独癖があり、人里離れたロッジでの生活を好む。坂口は山っ気があるらしく、東京の雑踏を好み、さまざまな業界にも手を広げる。ここに「洗脳マシン」を開発しているらしい業者や、謎めいた女子高生など、エンターテインメントSFとしては申し分のない脇役も用意しれている。
 科学者が自分の研究テーマをSFにすることはアメリカではざらにある。特に、退官後の仕事として、ジェントリー・リーみたいに、エンターテインメントの作法に則った作品を書く例は多い。
 だが『幻層夢』の雰囲気はちがう。これをサイバーパンク風に仕立てることは可能だろうし、その材料も揃っているのだが、筆致はきわめて抑制されていて、研究所の雰囲気、人気のない別荘地の生活描写、研究生活の内面などが、むしろ淡々と描写される。これが、後半の、まあ「現実感の喪失」(というとありふれた書き方になるが)……シンセサイザーが現実を巻き込んでいく過程が、大げさなレトリックが使われていないにもかかわらず、かえって不気味な効果を上げる。
 相原と坂口は、性格は対称的だが、「学会」から疎外されているところでは重なっている。同一人物の二面性ともとれる。また、基調としてシンセに使われる「音楽」が重要なモチーフとなっている。このあたりの技法は「トニオ・クレーゲル」を連想させる。小説作法についてかなりの「研究」が積まれているようで、あくまでも格調を損なわない筆致が維持されている。
 科学者SFとしては、雰囲気は(特に哲学小説としての面)A・ライトマンの『アインシュタインの夢』に近いものを感じる。
 また自分の研究テーマの「解説」ではなく、論文にできない部分の小説による表現であって、その点ではフレッド・ホイルの作品(特に「10月1日では遅すぎる」)にも通じる。
 そして(まことに失礼ながら、年齢からは想像できない)若々しさが感じられるところがいい。けっして「余技」ではないのである。これは小説に取り組む姿勢からしか醸成されない雰囲気だから。
 執筆動機、出版までの事情、そして「質疑応答」から「本書の入手方法」まで、すべて星野のサイエンスとフィクションの世界で読める。
 『幻層夢』の読後、このページを読んで、読みの浅さとこちらの誤解にも気づいた。特に「心のパラドックス」など。上記の感想はHPを読む前のものである。『幻層夢』のテーマからすれば、このような読み方も許容されるし、それを書いても決して失礼には当たらないと思う。
(2003.4.25)

菅浩江『五人姉妹』(早川書房)
 
 活動範囲を拡大、しかもSFスピリットを失わず、冒険心を失わず、作家的成長をつづけている菅浩江さんである。
 なぜ今頃『五人姉妹』を……であるが、『博物館惑星』以後、この短編集、特に表題作は、大きな転機となった傑作だと信じているからである。
 ぼくは菅さんのデビュー作「ブルーフライト」以来、ほとんどの作品を読んできたつもりで、今さらそのSFマインド云々を繰り返すのはしんどいし、その必要もないだろう。
 ストレートSFの到達点が推理作家協会賞受賞の『博物館惑星』であり、これは広くプロに認められたことでもある。
 以後、菅さんの活動は中間小説誌にも広がっている。……誤解なきよう注釈を入れると、専門誌と中間小説誌で作家としてのランクがどうこういうつもりはない。媒体を意識して(あるいは編集サイドの要請で)作風が変わるかどうか。どう変わるか。それが問題で、SFとしてのレベルが下がっては困るのである。
 ぼくは必要あって、2000年以降の全小説誌をチェックしてきた。全作品を読んだわけではないが、SFやホラーとその周辺は全部読んだつもりである。
 そして、「五人姉妹」は2000年度のベスト短編だと判断した。これは「家族」をテーマにしていて、それをクローン技術に結びつけたSFはたぶん初めてと評価する。
 これは「専門誌」掲載作品だが、その後(今世紀に入ってからの)活動も見てみよう。
 2001年。「お代は見てのお帰り」(SFマガジン)「バイエルとソナチネ」「英雄と皇帝」「大きな古時計」「マイ・ウェイ」(小説NON)「箱の中の猫」(小説宝石)
 2002年。「王立宇宙軍オネアミスの翼」(SF Japan)「風のオブリガード」(SFマガジン)「タランテラ」「いつか王子様が」「トロイメライ」「ラプソディ・イン・ブルー」(小説NON)「ナノマシン・ソリチュード」「鮮やかなあの空を」(小説現代)「カフェ・コッペリア」「言葉のない海」(小説宝石)
 凄い活躍である。
 しかも、レベルは高く、それぞれに新しい試みがある。2001年では「箱の中の猫」、2002年では「風のオブリガード」「鮮やかなあの空を」「言葉のない海」の、どれが年間ベストでも不思議でない。
 また「ナノマシン・ソリチュード」など、中間小説誌に堂々と本格SF掲載てあって、これなど筒井康隆氏の「ポルノ惑星」以来の快挙ではないかと思う。
 個別の作品については本にまとまった時に触れたいが、菅さんの活動が「五人姉妹」を契機に拡大急上昇していることを、雑誌ウォッチャーとして指摘しておきたいのである。
 誤解を招く書き方かもしれないが、菅浩江さんはSFで初めて「女流作家」と呼べる存在になるのではないか。これは……80歳半ばを過ぎたわが老母は、おれよりも読書家で、有吉佐和子、佐藤愛子、向田邦子、田辺聖子、平岩弓枝、宮尾登美子、夏樹静子……とほとんど読んでいて、林真理子も読んでいる。SFで初めてここに菅浩江が入るか、と期待している、そんな意味である。
 菅浩江さんは「読者層を拡大している」「SFマインドは不変である」「冒険心は旺盛である」「成長している」
 改めてこんなことを書いたのは、最近(けったくそ悪いからリンクはしないが)Amazon.co.jpの同書の「カスタマーレビュー」で、およそ見当違いというか、悪意そのもののレビューを目にしたからである。「チャレンジを忘れた作家」「作家としての成長が全く見られない」と、おれの評価と全部正反対。そんなバカなことあるか。某団体から委嘱されて雑誌の短編をチェックしてきた立場としては、わが鑑定眼にかけて、これはアホレビューと断ずる。
 こんな当てにならないカスレビューは禁止してはどうか。昔からよういいまっしゃろ。カスタマーあてにすな酷すぎるは禁。(2003.4.26)

 ※メールいただいて判明。上記のカスレビューは消滅してしまったようだ。いくら何でも、おれのここの書き込みが原因ではあるまい。Amazon利用者として意見表明しておく。本人が消去したのでなければ、カスレビューでもアホの見本として残しておくべきだ。それはそれで「参考になる」(読書のためでなく、精神病理学的に)のだから。(2003.5.10)

とり・みき『猫田一金五郎の冒険』(講談社)
 
 『遠くへ行きたい』や『ラスト・ブックマン』と異才ぶりを発揮しつづけるとり・みきの最新刊。
 これは『SF大将』の本格ミステリー版。
 驚いたなあ。とり・みきがこんなにミステリーにも造詣が深いとは……。
 過去10年間に発表されたものの集成。この作風というか凝り方というかギャグの密度は量産できるものではないから当然とはいうものの、1992年の「犬家の一族」から2001年の「いろは歌留多の謎」まで、テンションまったく変わらず、そしてまったく古びていない。
 好みからいえば「錯視館の恐怖」が凄いですねえ。
 カドに丸みのついた造本、扉からカバーを取った表紙まで、凝りに凝っていて、隅々まで楽しめる。
 とり・みき恐るべし。
(2003.4.28)

福井敏男『鉄腕アトムのロボット学』(集英社)
 
 2003年4月7日の鉄腕アトム誕生日を記念して、アトム関係の出版が相次いだ。
 さすがに全部は読んでいない。
 アトムの誕生日については、短い文章を石原藤夫博士主宰の「ハードSF研公報」に送ったので、ここでは雑感のみ。
 何冊か読んだ中でいちばん面白かったのがこの本。
 ロボット学の現在と鉄腕アトムが並行して論じられている。
 アトムの技術を無理矢理今のロボット技術にこじつけようしていない姿勢がいい。それをやると贔屓の引き倒しか「空想科学読本」みたいな野暮の極みになる。
 アトムに限らす、アシモフ型のロボットと、現在進行中のロボットの違いは明確にして、無理に双方を引き寄せようとしていない。開発動機をアトムから(あるいはドラえもんから)受けていても、それはあくまでも「シンボル」であるからで、これは何人かお会いしたロボット学者に共通する姿勢であった。(その点、今年始まったアニメの「鉄腕アトム」は、妙に現在のロボテックスを意識しすぎている印象を受ける。「鉄腕アトム」はもう古典なのだから、原作通りの方がいいのではないか。妙な迎合をするとたちまち古びる)
 さらにいいのは、アトム関係の記事がとてもしっかりしている点だ。
 原作の引用や「豆知識」など、コラムも充実している。
 奥付に、編集協力・中野晴行とあるから、このあたりは中野氏の仕事であろう。米朝コレクションの編集といい、がんばってるなあ。
(2003.4.28)

と学会『と学会年鑑BLUE』(太田出版)
 
 年に一度の「トンデモ寄席」感覚。
 相変わらずの面白さだが、トンデモのパラダイムもバードウォッチングからずいぶん変わってきたなあという印象も受ける。
 演者が増えたことでネタが拡大(空間的には海外もの、アイテムでは本以外の商品・現象、時間的には昔のトンデモ本)した分、珍品紹介であったり、時代が変わってトンデモになっただけのものもある。
 むろん、それはそれで面白いが、裏ネタとの区別が難しいところもある。(たとえば霊能者に送られてくるDMなんて初めて知った。)
 こんな傾向にはむろん自覚的であり、したがって、扉に「腹底」「腰くだけ」など6つのカテゴリーに分類してあり、それぞれにマークがつけられている。
 「奇跡の詩人」を先取りしている感覚もさすがだ。
 次回、白装束の一団が楽しみである。
(2003.5.3)

谷川渥編『廃墟大全』(中公文庫)
 
 この文庫にたどりつくまでに3冊通過した。
 ジャズ関係の友人で美術評論家のI氏が「あなたの作品を読んだら、モンス・デジデリオを連想した。たぶん興味がわくだろうから」と教えてくれたのが昨年秋。
 この時に読めたのは(一度は読んだはずだが忘れていた)澁澤龍彦『幻想の画廊から』の紹介文だけであった。が、不思議なもので、なんとなく気になっていたら、しばらくしてブルトン『魔術的芸術』の廉価版が再刊された。
 まあ、I氏のぼくに対する印象は、買いかぶりか、デジデリオ・ファンを増やそうとしての発言ではないかと思う。ただ、「廃墟」と「遺跡」をあまり自覚的に使い分けていなかったのに気づいたり、色々勉強になった。
 今年4月になって、これまた妙な経過だが、『自動販売機の文化史』(集英社新書)を買ったときに、隣りに並んでいた谷川渥『廃墟の美学』(集英社新書)に気づいて、これも読んだ。デジデリオに関する記述もこれに詳しかったが、この新書の巻末に紹介されていたのが『廃墟大全』である。
 しばらくして中公文庫から再刊された。
 こんな経過を経て手にとってみたら、何と知人が3人(巽孝之、小谷真理、永瀬唯)も執筆者に並んでいる。わからないことは、こういう人に訊けばよかったのだ。……などと愚考するが、むろん、この文庫にたどり着くまでに得たものの方が大きい。
 以上、経過を説明して感想に代える。
 どの論考もすべて面白く刺激的。何よりも日野啓三氏の一文が胸に迫る。
 いいタイミングで出版されたと思う。
(2003.5.3)

ユナイテッド・ジャズ・オーケストラ『ニューシネマ・パラダイス』(CASBA)
 
 田中啓文さんがバンマスをつとめるビッグバンド「UNITED JAZZ ORCHESTRA」の初CD。
 田中啓文さんはむろんSF・ホラーで大活躍している注目株だが、ジャズでの経歴の方が古い。高校時代からテナーサックスを始め、神戸大時代は「KOBE MUSSOCJAZZ ORCHESTRA」に在籍、またSJ誌の懸賞論文に入賞した理論家でもある。
 で、どんなテナーかというと、スカトロ、ゲテモノ、ゲロ吐き、何でもありの作風同様、オガーオガーッと凄まじいもの。おれはコンサート会場で子供がひきつけを起こしたように泣き出したのを目撃している。
 要するに顔文一致、じゃなかった音文一致である。
 それは2曲目の Latin Dance のソロで確認できる。
 いやはや、凄まじいもの。
 もし文壇ジャズバンドを組織すれば、田中啓文は(故・広瀬正氏や難波弘之氏など音楽と文筆を両立させてきた少数の例外を除いて)間違いなくトップクラスだろう。
 「UNITED JAZZ ORCHESTRA」は何度か聴く機会があったが、ともかくモダンな感覚を備えた実力派のビッグバンド。ソロをやるとそれぞれが抜群の技量を発揮する。
 おれは、月曜日のニューヨークのライブハウスを思い出す。
 中でも、武井努のテナーが凄い。
 聞けば、今や現在関西中心に活躍している期待のテナーマンである。
 滝川雅弘さんが、武井ってのは凄いと話していたことを思い出す。
 アフリカ・ブラスの「独演」が聴かせるなあ。
 武井がコルトレーンなら、田中啓文はファラオ・サンダース役で、もっと吹いてほしいところだが、これは贅沢かな。
 あ、ついでながらヴォーカルもそこそこ。
 さらにいいのは、田中啓文さんのMC。
 曲目解説であり映画解説であり上方落語の素養も感じさせる。
 面白くてためになるが、2回3回と聴くと辛いところもあるやもしれぬ。
 そこはそれ、奇数番だけ聴けばMCは外せるように配慮してある。
 たいしたものである。
 藤原ヨウコウ氏によるカバーデザインも秀逸。
 いずれにしても、SF作家の余技なんてレベルを超えた快演。
 武井努をはじめ、メンバー諸君の今後の活動にも要注目である。
 その他詳しい情報、入手方法については田中啓文氏のふえたこワールドとかcasbaからたどれますので、よろしく。小生からもぜひともお薦めであります。
(2003.5.17)

桂米朝『桂米朝コレクション6 事件発生』(ちくま文庫)
 
 米朝コレクションの6巻目。
 「らくだ」「どうらんの幸助」「算段の平兵衛」「阿弥陀池」など、犯罪・事件がらみのネタ中心に収録。
 この巻、特筆すべきは芦辺拓氏による解説である。
 「本格ミステリーとくにトリックという面から米朝噺の世界に分け入ってみたい」というのだが、こんな見方があるとは思わなかった。
 たとえば「らくだ」は死体の移動とすりかえを扱っているのだが、「らくだの死因」に疑問を呈することから予想もしなかった仮説が展開される。……これ、解説というより、アイデアの提示、それも「らくだ殺人事件」という別バージョンが書けるアイデアではないか!
 ネタバラシになるから詳しくは書きません。
 こんな調子で、「宿屋仇」や「次の御用日」についても、あっと驚く新解釈、「佐々木裁き」の法廷ミステリー、「百人坊主」のトラベル・ミステリーと、いろんなパターンのアイデアが惜しげもなく並べられている。
 さすがパスティーシュの名手。
 この解説だけでも値打ちものである。
 ぜひとも作品化してほしい。タイトルは「米朝殺人事件」……は不穏か。
 解説ばかりほめているが、ご本尊の米朝師匠は……いうまでもおまへんがな。
 芦辺拓氏の作品は、最近の『明智小五郎対金田一耕助』や文芸別冊『江戸川乱歩』掲載の講談「乱歩一代記」までほとんど読んでいて、その徹底した原典の分析とリメイクのセンスには感嘆している。むろん『グラン・ギニョール城』なども含めて、別項で取り上げたいと思う。
(2003.5.18)


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