上田早夕里『火星ダーク・バラード(新ヴァージョン)』(ハルキ文庫)

 上田早夕里さんのデビュー作であり、第4回小松左京賞受賞作の文庫化だが……これは別ヴァージョンというか新ヴァージョンというべきか、大幅な改稿が行われている。
 
 上田早夕里さんの散文表現に対する執着は恐ろしいものだなと改めて思う。
 このことは『美月の残香』(光文社文庫)の解説で触れているが、いっしょにSOLITONをやっていた頃、短編を幾つか「最初の読者」として読ませてもらっているが、文句なしに掲載レベルであるにもかかわらず、4、5回の改稿が行われるのである。
 確かに完成度の高い作品に仕上げられていくのだが、反面、作品のダイナミズムが失われるのではないかと心配したほどである。
 ましてそれを長編でやるとなれば……。
 だが、上田さんは長編でも細部にわたって細かく手を入れている。
 単行本『火星ダーク・バラード』についてはこちらに書いており、基本的にわが感想は変わらない。
 大きくは人類の進化に対するふたつ「哲学」の間で翻弄される少女の運命を描く人間ドラマ(スタイルはSFハードボイルド)なのだが、その双方の立場がともに強固に構築されているので、どちらに感情移入すべきか迷ってしまう。正直にいえば、おれは「宇宙における人類」を謳いあげる天才科学者グレアムに共感してしまうのである。
 単行本では「水島+アデリーン」と「天才科学者グレアム」の対決をメインに、ヒーローとヒロインがひとつの結末を迎えるかたちで終わった。
 文庫版では、(水島の年齢が変わったことも大きいが)新たに短い最終章が加えられている。これが作品全体の印象を大きく変える。
 八杉将司さんが解説で「それは前の物語を否定するものではありません」と書かれているが、まったくその通りだ。おれは新ヴァージョンと思う。
 どう変わったかは文庫を確認していただきたい。文庫で初めて読まれた方は単行本を探して確認してほしい。
 おれは「ヒーローとヒロイン」であったものが「オーバーマインドとオーバーロード」に変わったという印象を受けた。グレアムは決して「悪役」で終わっておらず、対立は新たな止揚が暗示されていて、作品はSFとしてさらに深いパースペクティブが獲得されている。
(2008.10.21)


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