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  マイク・モラスキー『戦後日本のジャズ文化』(青土社)

 
 副題は「映画・文学・アングラ」、帯に「戦後文化に刻まれたビート」という、なかなかいい惹句。
 きわめてユニークな「ジャズ書」だ。
 「戦後日本のジャズ」そのものを論じたのではなく、日本にジャズがどのように受容されたのかを検証した戦後日本文化論である。
 なんとユニークな視点ではないか。
 「戦後カルチャー論の空隙を突く野心作」というフレーズにまったく偽りなしである。
 取り上げてあるのは「小説」「詩」「ジャズ評論」「映画」「演劇」そして「ジャズ喫茶」まで。
 「小説」については、中上健次、倉橋由美子、大江健三郎、筒井康隆、村上春樹らの作品が取り上げられているが、いちばん面白くかつ詳細に論じられているのが、五木寛之の初期のジャズ小説。「さらばモスクワ愚連隊」から始まる数編、これらはぼくも当時読んでいる。そして当時から漠然と感じていた疑問……パップ以降の「モダンジャズ」についての記述がそう正確とは思えないのに、演奏描写がなぜこんなに面白いのか、この分析は目からウロコぼろぼろである。
 「ジャズ評論」では当然ながら相倉久人と平岡正明。「映画」については、前半(戦後間もない頃)では『酔いどれ天使』と『嵐を呼ぶ男』が対比され、フリージャズ時代に入って、足立正生、若松孝二……大和屋竺にも触れてられている。
 ……そういえば青土社は2002年に副島輝人『日本フリージャズ史』(本書でも参考文献として多く使用されている)という大著を出している。読後(6月4〜5日)、『毛の生えた拳銃』のことが気になって色々調べてみたが、まだ肝心の映画が確認できないままだ。
 本書でも『荒野のダッチワイフ』については言及してあるが、『毛の生えた拳銃』については記述なし。また気になってきた。
 などと、書きたいことがゾロゾロでてくるが、いちばん面白いと思ったのが、ジャズ受容の環境として「世界でも類のない」ジャズ喫茶について「やや挑発的」に論じた『ジャズ喫茶解剖学』の章である。
 オーストリア人の学者(日本研究者)の論文が紹介してあって(すごいものがあるんだなあ……)、戦後のジャズ喫茶の変遷は、
 「学校」(1950〜) 輸入LPを聴いて勉強する
 「寺」(1960〜) 会話禁止、禁欲的に聴く
 「スーパー」(1970〜) 学生運動衰退後、サービス拡大
 「博物館」(1980〜) CD普及後、古いLPを大切に保管
 となる。
 筆者が主に論じているのは「寺」の時代(私語禁止、物音禁止、薄暗い店内で不動の姿勢でオーディオ装置から流れるジャズに没頭する)、そして主に1970年前後の新宿文化を中心に論じている。当時の状況の描写もきわめてヴィヴィッド。
 70年代前半までは、このタイプの店が確かに多かった。(ぼくが知っているのは京都だが)
 筆者は、こうした戒律厳しき特殊な空間(お寺)での「修行」がはたしてジャズの「自由」にふさわしいものだったのかと問いかけている。
 むろんこうした「硬派の店」ばかりではなかったと断った上での「挑発的言辞」。
 これまた、ぼくが「硬派の店」に「入り浸れなかった」理由がよくわかる……漠然と感じていた違和感が解き明かされた気分である。
 ぼくが入り浸っていたのは(いや、今もよく行く)、客より店主が大騒ぎする大阪の「ハチ」(実際、カウンターの中がうるさいと客から苦情が出ていた)であったからなあ。
 ジャズ喫茶については、ぼくも調べてみたことがある。
 東京と地方都市では事情がまったくちがっていた。
 1970年代でいえば、人口30万人くらいの街に1軒くらいジャズ喫茶があり、そこはたいていライブもやっていた。……これは森山威男さんのライブ活動を調べていての副産物みたいなデータである。
 時々ライブがある以上、会話もあり、お祭り騒ぎもあった(はず/ウチアゲね)。
 東京の「硬派の店」が生んだ文化もあれば「硬派でない店」から生まれた何かもあるはず。このあたりは「懐古趣味に陥らずに」考えてみたいところだ。
 筆者・マイク・モラスキー氏は1956年セントルイス生まれの学者で、現在、ミネソタ大で現代日本文学を中心に研究している。1967年に留学生として来日して以来、日本には十数年滞在しており、ジャズ・ピアニストとしても活動していたという!
 こんな経歴がなければ生まれなかった視点であり論考である。
 それにしても、ここまで正確で端正な日本語で書かれているのには、ただ驚嘆するばかり。
 ジャズは異才を生むなあ……。

(2005.8.12)


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