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  疎開小説を読む(その1)

早川幾忠『あまざかる鄙に五年』(新潮社 1977年)

 思うところあって、疎開小説をまとめて読む。
 小林信彦『冬の神話』については後で触れる。
 たぶんこの秋には刊行されるのと思われる『東京少年』(『波』に連載された)を読む前の準備体操みたいなものである。
 で、最初は、前から気になっていた本。
 『冬の神話』がらみだが、次のごとき経過で本書にたどり着く。
 筒井康隆氏の『みだれ撃ち涜書ノート』に『家の旗』が取り上げられている。その中で『冬の神話』にも触れて「私怨に走ることのない冷静な描写に終始している」とあり、これに対して「新潮」誌に発表された『あまざかる鄙に五年』は「疎開した先の農村で、村びとからいじめられた話」で、「私怨に満ちあふれた大毒舌小説」、「早川幾忠は老歌人であ」り「登場人物に愛情が感じられないという批評に対して『くそくらえ』と答えたそうだ。くそくらえという年令、心境になってしまえばこれほど強いものはない」
 あの筒井さんがその毒気に感心しているのだから相当なものである。
 この記事を読んだのが1977年。
 「新潮」のバックナンバーをと思いつつ、四半世紀以上忘れていた。
 出版されていたのであった。
 早川幾忠氏(歌人)は昭和20年4月、妻を連れて東京から鳥取県田野郡(と表記されているが、日野郡。米子から伯備線で山に入った「黒坂」であろう)に「疎開」するが、それは「戦火を逃れる」と同時に「青梅にいる」「剃刀で裂いたやうな目」の女から逃げるためでもある。……この女の怖さ、執念深さはいやというほど書いてあるが、どんな経緯でこうなったかは、最後まで明かされない。
 山陰の農村へ行った幾忠は寺に寄寓して農学校の教師になるが、農民からも学校からも苛めまくられる。村八分される。全編、農民、同僚教師、校長、それに「青梅の女」にたいする私憤で埋められている。
 作者の基本的な姿勢は「私がウソだらけの世間を噛んではき出すようにいふのは、さういふ世間が私に都合がわるいからである。ウソツキが私を憎むのは、スリが電車の中で、見ている奴を睨みつけるのとかはりはない」「村八分村八分と言って、悪いことのやうにうふけれど、当の八分にする側から言って見れば、八分することが村のタメにちがひないのである」ってところだから、徹底している。
 で、その田舎での生活を整理してみると、
 1945年4月(48歳)鳥取県日野郡に「疎開」
 1947年4月(51歳)妻病死(結核……らしい。明記されていない)
 1948年10月(52歳)教え子であった19歳の「容子」と結婚を発表。親が反対、妊娠4ヶ月であったことなどから、町中が大騒ぎになり、最終的に米子の「占領軍の情報部」へ行き「ノーブル軍曹」の見解でおさまる(クビがつながる)。
 この地に家を建てようとするが、材料は手配したのに、土地を売ってくれるものがいない。
 ……終戦間もない農村では、無理もないわなあ。
 1950年7月(54歳)日野郡を去る。(京都へ転居?)
 1955年(59歳)ころから短歌誌にこの手記を連載開始。
 1977年(81歳)本書刊行。
 タイトルが山上憶良の歌からとられているように、これは「疎開」というよりも「都落ち」であり、貴種流離と見る方がいいような。
 都落ちして4ヶ月で終戦を迎えるが、戦争についての記述はほとんどない。しかも、ストーカー女がいるから、帰京するつもりはさらさらなし。
 「stranger in strange land」であって、それだけに戦後60年、ほとんど古びていないのである。
 執筆開始時点ではまだ「くそったれ」年齢とも思えない。
 今回読んだ数冊の中でいちばん面白かったのがこれ。
 「公憤」は古びるが「私憤」は色あせない。この「姿勢」、おれも見習わねばと(今岡清、五十嵐敬喜、菅原哲朗、堀敏明のアホ4匹に対するそれね)、学ぶところ大であった。
 
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